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孤風院01

NHK文化センターの講義を終えて地下鉄の階段を駆け下り、一路、羽田空港へ。
16時半発のJAL647便は定刻に阿蘇熊本空港に降り立ってくれ、空港のレンタカーのお兄ちゃんは人懐っこい笑顔でカーナビの使い方を簡潔に説明してくれたので、予定通りの19時過ぎに孤風院と初顔合わせすることができた。
人里離れた立地を勝手に思い描いていたのだが、実際にはそうではなく、国道から少し入った草むらの向こうにあって、窓から漏れるオレンジ色の光がやわらかだった。「孤風院の会」は、すでに学生の発表で賑わっているようだった。
熊本大学にあった1908(明治41)年竣工の旧熊本工業高校講堂の保存運動に関わった木島安史(1937-92)が、結局は壊されることになったその部材を引き受け、1976年に移築改造して阿蘇の麓の自宅とした怪作「孤風院」。
ここには椙山哲範君(東海大学)と、浜田由美さん(熊本県立大学)に両手をとられて訪れたようなものだ。
「木島安史さんについて研究するっていう面白い奴がうちにいるんだよ」DOCOMOMO Japanの会議の後、東海大学の渡邊研司さんに言われ、木島安史さんが伊東忠太に興味を持っていたので伊東忠太の建築思想について尋ねたいという椙山君が家にやってきたのが昨年。4時間くらいしゃべっていた気がする。
孤風院02 孤風院03

木島安史さんは早稲田大学の吉阪隆正さんの下で学び、丹下健三+都市建築設計事務所勤務やエチオビアの大学の講師などを経て、1970年にYAS都市研究所を設立。翌年、助教授として熊本大学に赴任した。
僕自身の伊東忠太と吉阪隆正に関する研究は今のところ、それぞれ別個の関心が元になっているので、何か統一された目論みがあるわけではないし、両氏の生年も半世紀違う。
だから、伊東忠太と吉阪隆正の両方に関わる事柄というのはあまり無い。
木島安史さんの存在は、その数少ない例外である。上無田松尾神社(1975)なんて、伊東忠太が諦めた場所から先に、初めて歩を進めた建築だと感心していた。木島さん自身、来日したチャールズ・ジェンクスを築地本願寺(1934)に連れていったというから、伊東忠太を建築家として意識していたのだと思う。

ほったらかしにしておいたこのミッシングリンクをきちんと調べようと決めたきっかけが椙山君。
苦労の末の彼の卒業論文「上無田松尾神社の意匠に到る木島安史の設計理念とその背景」は見事2007年の日本建築学会優秀卒業論文賞に輝き、その発表も行なわれた孤風院のオープンハウスに誘われたのだが、その時は都合がつかず訪れることができなかった。
それが7月10日の「DOCOMOMOフォーラム都城」の折に熊本県立大学の浜田由美さんに会い、翌日、磯達雄さんや五十嵐太郎さんとの宮崎建築見学の際に車が一緒だったので、孤風院の会の今の活動の様子を詳しく聞いた。
9月29日に今年の活動報告会があるというので、この機を逃す手は無いと「参加しようかな」と答えたら、後日あれこれ資料も送ってくれて、これはもう行くしかない、となったわけである。

(つづく)
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