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吉阪隆正+U研究室が設計した大学セミナー・ハウス(東京・八王子)を舞台にしたワークキャンプ「ぐるぐるつくる大学セミナー・ハウス」の第2回を来月半ば(3月16~18日)に開催する(前回記事を参照)。
それにあわせて、大学セミナー・ハウスの成り立ちと面白さを連載で紹介。
文章は基本的に、2005年に刊行された拙著『吉阪隆正とル・コルビュジエ』(王国社)の第3章を一部を改稿したもの。
なお、「建築浴のおすすめ」に書いた吉阪隆正関連の記事は、ここにまとめている。

セミナー・ハウスのスラブ


吉阪隆正が東京・八王子に建つ大学セミナー・ハウスの設計依頼を受けたのは1962年、生前最後の増築(第7期工事)を終えたのは1978年。約2万坪の敷地の中に、長い時間をかけて増築されていった建築が群をなしている。
ここにはディテールから都市計画まで、吉阪の多様な側面が形となって現れている。大学セミナー・ハウスを訪れた者は、他の吉阪隆正(U研究室)の作品との間に、さまざまな関係線を引くことができるだろう。敷地内を歩いていると、吉阪が書いた文章はこういう意味だったのかと気づかされることも多い。すべての考慮すべき建築がそうであるように、大学セミナー・ハウスがいまあることは、一種の奇跡に思える。

道を開いたのは飯田宗一郎だった。1931年に同志社大学を卒業し、複数の大学の事務職を歴任した人物だ。大学セミナー・ハウスの構想は1959年に始まる。後の飯田の回想によれば、次のような思いからだった。
「大学が大衆化していく過程のなかで、学生生活がだんだん孤独と寂寥にむしばまれていくように見えてならない。教師と学生の間にもっと開かれた心の交流がなければならないし、何か既成の大学のワクをこえたもの」が必要である(飯田宗一郎「創造の心、そしてこれから」『セミナー・ハウス』第68・69号)
さまざまな大学が利用でき、生活を通して教師と学生が交流できるような施設。そんな先例の無い存在に、彼は「セミナー・ハウス」という名前を与えた。これが後に各地に建つ「セミナー・ハウス」の先鞭をつけることなる。

飯田には明確なヴィジョンと行動力があった。すぐに東京大学や早稲田大学の総長らを訪問して、理解者を集め、最初の会合を開いた。これを基に財団法人を設立する。大学や企業の賛同を募って資金の目処をつけ、敷地を八王子に選定した。まだ、多摩ニュータウンの建設も始まっていなかった。敷地を通るのはハイカーくらいで、草地と雑木林が広がり、多摩丘陵が遠くまで望めた。そんな時代だった。
(つづく)
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