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夕刊に武基雄(たけ もとお)さんの訃報が載っていた。享年95。
1910(明治43)年の生まれだから、丹下健三さんより3つ年上。
戦後、早稲田大学を代表するプロフェッサー・アーキテクトの一人だ。

直接お会いする機会は無かったのだが、
『吉阪隆正とル・コルビュジエ』を執筆している中で、
吉阪さんの日記に登場したりするので、親近感が湧いていた。

1937年に早稲田大学理工科建築学科を卒業し、石本建築事務所に入られる。
この時の同期組が、詩人として知られる立原道造(東京帝国大学建築学科卒業)。
数寄屋橋にあった事務所で親しく交際する。
ある日、立原にこう尋ねたという。
「『詩人と建築家が君の中には同居しているが、対立するようなことはないのか』と。すると彼は即座に『別々の作用をもちながら、手と足が一つの身体になっているのと同じだ』」(『建築家・武基雄と早稲田大学武研究室の軌跡』2000年)

3年間勤務した後、大学に戻り、早稲田大学講師を経て、50年に助教授、
55年から80年まで教授を務める。
主な作品に、48年のコンペで一等を獲得したデビュー作の仙台市公会堂(1950)、
生地である長崎に建った長崎水族館(1959)、長崎市公会堂(1962)、
古川市民会館(1966)、鎌倉商工会議所(1969)、島原文化会館(1974)などがある。

しかし、現在におけるその存在は、渋い。
ある時期までライバルだったともいえる丹下健三と比べると、なおのこと。
(丹下さんの広島平和記念館に対し、長崎水族館は長崎復興の一環なのだ)
一時期、作品を追っかけて、古川や長崎や鳴子をまわったことがある。
大架構などを駆使して、技術的な「かた」を明快に追求していたのが印象的。
古川市民会館は、4枚の三角形の壁柱で、正方形のホールの屋根を吊っている。
平坦な敷地にすぱーんと建っていて、気持ちはいい。
少し前に壊された早稲田大学第二学生会館も、井桁の柱が外観を特徴づけている。
ともに仕組みが分かるデザイン。
長崎公会堂は、後期ル・コルビュジエ的な造形が前面に出て、
毛色がやや異なっていたけど。
システマティックでありながら、その空間の感触はヒューマン。
別の言い方をすれば、甘い。そのあたりに違いがあるのではないか。

武さんも多くの学生や大学院生を実施設計に参加させて、経験を積ませる。
菊竹清訓さん、竹山実さん、藤井博巳さんをはじめ、多くの建築家が巣立っていった。
ご冥福をお祈りいたします。
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