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写真フォルダをあさっていたら、こんな写真が出てきた。

盆栽生け花

昨年の夏に「妻有アートトリエンナーレ」に行った際のスナップだ。
露天に放置された農作業機械のシートにうまい具合に苔が生えて、生け花のように見える。
こちらは同じくトラクター。もはや、草が乗車してしまっているような…。

草生け花
アートトリエンナーレのこの地区では、古い民家に前衛生け花が展示されていて、
一見すると普通の民家の扉を開けると、例えばこんな見たことの無い光景が広がっている。

民家の生け花

日常風景の中に「前衛」が存在している。
おどろおどろしい、びっくり箱を開けるような面白味がある。
でも、無理して新しいものをやっているという感じをまったく与えない、説得力のある展示でもあった。
たぶん美術館の中だと、これほどの説得力はないのではないか。
生け花と日本家屋の素材が通じあいながら、状態を異にしているからだろう。
生きた木と草による生け花が、日本家屋が結局、死んだ木と草で形作られているという事実を浮き彫りにする。
アートの「批評性」とは、なるほど、こうしたことなのか。

そして民家を出ると、先ほどのような農作業機械のインスタレーションがあるわけで、
眼と頭は当然、これも「アート」と認識する。
どこまでが意図されたものなのか、決定不能だ。
日常がかけがえのない、面白いものだと再発見させる。
それもアートの効果と納得させられるのである。
そして、思うのは赤瀬川原平さん、藤森照信さんらの「路上観察学会」は、やはりスゴイということだった。
作るものではなく、受け取るものにアートの主導権がある。
そんなポストモダンの潮流を、何も形作らずして証明したのだから。
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