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2007.02.11
リアルから脱して
奇妙な出来事が続くものだ。
先日、初めてお会いした方は、名刺交換を終えると開口一番に、
「ところで、ブログ更新しないんですか?」
久しぶりに再開した旧友は、
「稲門建築会特別功労賞なんて、大家みたいな名前の賞をもらったなっ(笑)」
編集者に本の締切りに追われていて、と話すと、
「2月発売なのに、間に合うんですか?」
みんな、なんで、知っているんだ??
先日、初めてお会いした方は、名刺交換を終えると開口一番に、
「ところで、ブログ更新しないんですか?」
久しぶりに再開した旧友は、
「稲門建築会特別功労賞なんて、大家みたいな名前の賞をもらったなっ(笑)」
編集者に本の締切りに追われていて、と話すと、
「2月発売なのに、間に合うんですか?」
みんな、なんで、知っているんだ??
自分の名前をググれば、理由は一目瞭然。
「建築浴のおすすめ」が順位の1番に来るのは想定内としても、
2番目に稲門建築会特別功労賞の受賞理由書が、
13番目に『東京建築ガイドマップ
』(斉藤理さんとの共著)
の出版が載っているとは・・・知らなかった。
梅田望夫・平野啓一郎『ウェブ人間論
』(新潮新書、2006)の冒頭で、
平野は、梅田の『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる
』(ちくま新書、2006)を次のように評している。
「梅田望夫氏の著書『ウェブ進化論』は、玉石混交の新書のベストセラー本の中にあっても、まさに新書かくあるべしと言いたくなるような、平易に書かれてはいるが、読む者の世界観を揺さぶらずにはおかない、新鮮な驚きに満ちた本だった。」(p.7)
この称賛の言葉には、多くの読者が同意するだろう。僕もその一人だった。
続いて出版された『ウェブ人間論』を手に取るのは、自明の理である。
芥川賞受賞作家である平野の役割は、読者の代表だ。
読み手の安心を引き出す、聞き手としての役割を、きっちりこなしている。
「対談」ではなく、梅田の『ウェブ進化論』の補遺であるのが、いい。
単純でありながら、的を射ぬく梅田のウェブ観(世界観)の中心が、
より、はっきりと見えてくる。
自分には、その中心は以下の2つのように思える。
(1) 社会の《全体》は無い(あるいは考えても仕方がない)ということ
(2) 存在するのは、リアルとネットの併存だということ
(1)は現代思想やアート、デザインの動向とシンクロするように思えて、
とても面白いのだけど、今は(2)の話を。
『ウェブ人間論』が多くの喝采をさらったのは、優れて中庸だったからだろう。
「やっぱり、リアルが大事」といったような、状況分析がいつの間にか
個人的な ― でも、個性的ではない ― 倫理的判断にすり替わってしまうことも、
本人は本当に信じているのだろうかと疑うような
ネット賛美(サイバーやらヴァーチャルとやら)に陥ることもない。
今回の『ウェブ人間論』の中でも、「リアル」の世界に留まることは
もはや不可能だという立場をとりながら、次のように語る。
「ネットで何か新しいことをやろうとしたら、ほとんどタダですぐに出来ちゃうからすごいことは起こるんだけど、その達成に比べてお金はあまり回らない。だからたぶん、相変わらず向こう何十年も、経済面ではリアルの世界の方が大事だということが続くと思いますよ。人間はそういうこれまで通りのリアルを生きながら、全く新しいネットをも生きる。そんなイメージを抱いています。」(p.94)
なんて、当然の意見なのだろうか…。
でも、ネットに対して世間並みの関心しかない私のような者の耳には
こうした専門家の意見は、逆に入りにくい。
それが売れたことの意味は大きい。
当然の見解があって初めて、リアル右翼もネット左翼も
存在の意味の一端を持ちえるのだし。
「ネットをも生きる」梅田は、ネットにつながっている時間を
「ネットの世界に住んでいる」と表現する。
まず「ネット上の僕の分身」である自らのブログをのぞき、
何が異変が起きていないかを確かめ、「分身を取り巻く生活の雑事を処理していく」と語る。
これを読んだ時、冒頭に書いたような「奇妙な出来事」は、しごく当然の出来事で、ネットの世界のことを、奇妙にも自分が忘れていた結果だと気づいた。
もちろん、リアルとネットの時間配分は異なる。
でも、自分の名前がネット上の人格でもあること、
それにすでに「分身」を立ててしまったことは、同じだ。
リアルの世界で言えば、自分の服が何色なのか、人に何と言われたか、誰と会ったか。それと同じようなネット上の風景を、本人だけが目にしていなかったから、奇妙な思いに捕われただけだ。
こっちの世界にも顔を出さなければ本当でないな、と感じての帰還宣言である。
本題の「建築浴」話は明日に。
「建築浴のおすすめ」が順位の1番に来るのは想定内としても、
2番目に稲門建築会特別功労賞の受賞理由書が、
13番目に『東京建築ガイドマップ
の出版が載っているとは・・・知らなかった。
梅田望夫・平野啓一郎『ウェブ人間論
平野は、梅田の『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる
「梅田望夫氏の著書『ウェブ進化論』は、玉石混交の新書のベストセラー本の中にあっても、まさに新書かくあるべしと言いたくなるような、平易に書かれてはいるが、読む者の世界観を揺さぶらずにはおかない、新鮮な驚きに満ちた本だった。」(p.7)
この称賛の言葉には、多くの読者が同意するだろう。僕もその一人だった。
続いて出版された『ウェブ人間論』を手に取るのは、自明の理である。
芥川賞受賞作家である平野の役割は、読者の代表だ。
読み手の安心を引き出す、聞き手としての役割を、きっちりこなしている。
「対談」ではなく、梅田の『ウェブ進化論』の補遺であるのが、いい。
単純でありながら、的を射ぬく梅田のウェブ観(世界観)の中心が、
より、はっきりと見えてくる。
自分には、その中心は以下の2つのように思える。
(1) 社会の《全体》は無い(あるいは考えても仕方がない)ということ
(2) 存在するのは、リアルとネットの併存だということ
(1)は現代思想やアート、デザインの動向とシンクロするように思えて、
とても面白いのだけど、今は(2)の話を。
『ウェブ人間論』が多くの喝采をさらったのは、優れて中庸だったからだろう。
「やっぱり、リアルが大事」といったような、状況分析がいつの間にか
個人的な ― でも、個性的ではない ― 倫理的判断にすり替わってしまうことも、
本人は本当に信じているのだろうかと疑うような
ネット賛美(サイバーやらヴァーチャルとやら)に陥ることもない。
今回の『ウェブ人間論』の中でも、「リアル」の世界に留まることは
もはや不可能だという立場をとりながら、次のように語る。
「ネットで何か新しいことをやろうとしたら、ほとんどタダですぐに出来ちゃうからすごいことは起こるんだけど、その達成に比べてお金はあまり回らない。だからたぶん、相変わらず向こう何十年も、経済面ではリアルの世界の方が大事だということが続くと思いますよ。人間はそういうこれまで通りのリアルを生きながら、全く新しいネットをも生きる。そんなイメージを抱いています。」(p.94)
なんて、当然の意見なのだろうか…。
でも、ネットに対して世間並みの関心しかない私のような者の耳には
こうした専門家の意見は、逆に入りにくい。
それが売れたことの意味は大きい。
当然の見解があって初めて、リアル右翼もネット左翼も
存在の意味の一端を持ちえるのだし。
「ネットをも生きる」梅田は、ネットにつながっている時間を
「ネットの世界に住んでいる」と表現する。
まず「ネット上の僕の分身」である自らのブログをのぞき、
何が異変が起きていないかを確かめ、「分身を取り巻く生活の雑事を処理していく」と語る。
これを読んだ時、冒頭に書いたような「奇妙な出来事」は、しごく当然の出来事で、ネットの世界のことを、奇妙にも自分が忘れていた結果だと気づいた。
もちろん、リアルとネットの時間配分は異なる。
でも、自分の名前がネット上の人格でもあること、
それにすでに「分身」を立ててしまったことは、同じだ。
リアルの世界で言えば、自分の服が何色なのか、人に何と言われたか、誰と会ったか。それと同じようなネット上の風景を、本人だけが目にしていなかったから、奇妙な思いに捕われただけだ。
こっちの世界にも顔を出さなければ本当でないな、と感じての帰還宣言である。
本題の「建築浴」話は明日に。
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