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久しぶりに、教えに行っている専門学校へ。
9時5時で、再履修の学生の監督当番である。
本を読んで、結果として生まれた自分の考えを3000字ほどでまとめてください。
自分しか言えないことを、誰が読んでも分かるように書くことを目指してね。
その考えが建築やインテリアにまったく無関係でなければ、選ぶ本はなんでもいいです。
という内容の「意見文」の課題が未提出なので、それをやってもらう。
熱心にメモをとっていたので、どんな本でどんな方針で書こうと思っているかを話してもらったのだが、どうも様子が変だ。

本を見せてもらうと、新書・・・お、なかなか良いのでは。
カバーをとると、アラン・チャン ・・・ですか…。
現れ出た本に1分程で目を通すと、唖然。
羞恥心は絶対的なものではなくて、共同体の中で維持するための総体的なものであって、昔の「セケン」から、多様化した現在の「狭いセケン」へと変わったから、「ジベタリアン」(すでに懐かしい)が生まれた、という読み捨てのコラムくらいの内容で、一冊を書き上げてしまえるのがスゴイ。
むしろ、学者さんの「羞恥心はどこへ消えた?」という社会学的考察のサンプルでは?
しかし、今気づいたのだけど、「唖然」って、使ってOKなのだろうか?

口当たりのいいキャッチコピーは、カモを狙っているのかと、疑ってかかったほうがいい。
奥付や参考文献の書き方に目を光らせるといろんな情報が読みとれる。
などと、都会に娘をやる母のごとく言い聞かせて
街に送り出すと、しばらくして、ちゃんとした本を選んで帰ってきた。

羊の皮の狼が多い今、向学心に燃えた若者は大変だ。
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