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2006.06.07
兜町の明治と昭和を歩く
早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校の
講座「建築家の近代」で、兜町の建築を見学した。
客船を思わせる流線型スタイルが異彩を放つ
三菱倉庫ビル(三菱倉庫建築課、1930)を眺めながら、
人気まばらな夕刻の兜町に、足を踏み入れた。

日証館(横河工務所、1928)のある角を曲がる。
TOPIXの傍に、山二証券(西村好時、大正末)、成瀬証券(西村好時、1935)。
戦前の建物の秀作だ。

最後に訪問したのは、みずほ銀行の兜町支店。
講座「建築家の近代」で、兜町の建築を見学した。
客船を思わせる流線型スタイルが異彩を放つ
三菱倉庫ビル(三菱倉庫建築課、1930)を眺めながら、
人気まばらな夕刻の兜町に、足を踏み入れた。

日証館(横河工務所、1928)のある角を曲がる。
TOPIXの傍に、山二証券(西村好時、大正末)、成瀬証券(西村好時、1935)。
戦前の建物の秀作だ。


最後に訪問したのは、みずほ銀行の兜町支店。
日本最初の銀行である「第一国立銀行」が創設された場所である。
明治6(1873)年に完成した建物は、清水喜助の設計で、
居留地の洋館にあるようなベランダを持った、城郭を思わせる屋根を載せたデザイン。
西洋人の住まいの形と、江戸時代以来のデザインを奔放に組み合わせたその姿は、
錦絵にも描かれ、文明開化の時代が生み出した「擬洋風建築」の傑作として名高い。
とはいえ、現在、あたりには当時をしのばせるものは何もなく、
ありふれたビルの並ぶ裏通りといった風情。
「銀行発祥の地」の銘版が銀行の壁面に取り付けられているのだが、
うっかりすると見過ごしてしまいそうだ。

「第一銀行だった当時は、もっと風格のある建物でした。
この銘版も中に入った階段のところにありまして」
この界隈、特に銀行のことに随分とお詳しい受講生のお一人に、
「失礼ですが…」と尋ねると、以前、すぐ近くで勤務していたという。なるほど・・・。
驚いたことに、翌週の講義のあと、その以前の建物を見ることができた。
1967年に撮影した写真をCD-ROMに焼いてお持ちいただいたのである。
1971年に日本勧業銀行と合併して第一勧業銀行となる前の
「第一銀行」の看板を掲げる店舗はクラシカルで、界隈の雰囲気もだいぶ違う。
首都高速の建設にともなって楓川が埋め立てられ、「海運橋」が撤去されたのは1962年。
その辺りのアスファルトも新しく見える。
こうした何気ない風景を、記憶で教えられるだけでなく、
記録として見ることは案外に難しい。
よくぞ撮って、残しておいてくれたものだ。
教えていて、教わることができるというのも、幸運な話だが…。
第一国立銀行の錦絵を眺めるように、生まれる以前の光景に思いを馳せた。

撮影:清水謙一(上2枚)
明治6(1873)年に完成した建物は、清水喜助の設計で、
居留地の洋館にあるようなベランダを持った、城郭を思わせる屋根を載せたデザイン。
西洋人の住まいの形と、江戸時代以来のデザインを奔放に組み合わせたその姿は、
錦絵にも描かれ、文明開化の時代が生み出した「擬洋風建築」の傑作として名高い。
とはいえ、現在、あたりには当時をしのばせるものは何もなく、
ありふれたビルの並ぶ裏通りといった風情。
「銀行発祥の地」の銘版が銀行の壁面に取り付けられているのだが、
うっかりすると見過ごしてしまいそうだ。

「第一銀行だった当時は、もっと風格のある建物でした。
この銘版も中に入った階段のところにありまして」
この界隈、特に銀行のことに随分とお詳しい受講生のお一人に、
「失礼ですが…」と尋ねると、以前、すぐ近くで勤務していたという。なるほど・・・。
驚いたことに、翌週の講義のあと、その以前の建物を見ることができた。
1967年に撮影した写真をCD-ROMに焼いてお持ちいただいたのである。
1971年に日本勧業銀行と合併して第一勧業銀行となる前の
「第一銀行」の看板を掲げる店舗はクラシカルで、界隈の雰囲気もだいぶ違う。
首都高速の建設にともなって楓川が埋め立てられ、「海運橋」が撤去されたのは1962年。
その辺りのアスファルトも新しく見える。
こうした何気ない風景を、記憶で教えられるだけでなく、
記録として見ることは案外に難しい。
よくぞ撮って、残しておいてくれたものだ。
教えていて、教わることができるというのも、幸運な話だが…。
第一国立銀行の錦絵を眺めるように、生まれる以前の光景に思いを馳せた。


撮影:清水謙一(上2枚)
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