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2015.07.24
仏壇が日本の《建築》だという発見
5日目の仏壇原稿を書き終わりました。
このところ1日1枚、仏壇を建築として解釈し直すような文章をしたためています。
7月18日に始まった「水と土の芸術祭2015」(10月12日まで新潟市内の各所で開催)に参加しています。新潟仏壇組合さんのご協力で、過去に例のない仏壇の見せ方になったとは思うのですが、私の作品と言えるのは、やはり文章だろうと余計なことを思いつき、原稿用紙400字ずつ書く羽目に・・笑。

全体構成を決めないままに書き出して、毎回一つのまとまりができるよう、マスの最後まで文字が来るようにというルールだけで、進めています。
毎日1枚、会場である旧二葉中学校の黒板に張り出されます。開場する日数とほぼ同じ75日、75枚で黒板が原稿用紙で埋まるという仕掛けです。
使っているのはwordですが、書いてしまったら後戻りできないという手書き時代のようなことを、せっかくアートイベントという場所を与えていただいたので実行して、どんなものができるのか試してみたくなりました。

ぼんやりと見えているのは、仏壇が《建築》であること。そして、西洋的な「建築」とは異なること。それが昨今の新国立競技場問題に見られるような、わが国における「建築」の成立の難しさを照らし出しながら、やはり《建築》としてみなければならないだろうことです。
まさか、自分が仏教やアジアのテーマに関わることになろうとは・・最初の5枚は主に、閉じても美しい、写真の仏壇が書かせたものです。ご笑覧いただければ。
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「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」。「水」と「土」とが流れて動いて、人間に良いことも悪いことも与える大地で、私たちは「水と土の芸術祭」の基本理念である冒頭の問いに向き合ってきました。その心を形に凝縮したのが、身近にある「仏壇」です。
えっ、本当? と思うかもしれません。本当なんです、たぶん。
皆さんが展示に何を見るかは、自由です。私は口を出せません。やることがないので、毎日、一枚の原稿用紙を送ることにしました。全部で七十五枚が並ぶ予定です。面倒になって途中で止めてしまわないか、今から不安です(笑)。一回一回、書いていくので、文章のまとまりの途中でバラバラになってしまうかもしれませんが、それもご愛嬌と考えていただければ幸いです。
物と文章で「仏壇」をバラバラにしましょう。当たり前に思っている対象を、解体するのです。そこに現れるものは何でしょうか?
------------------------------
目の前の光景から見ていきましょう。
この教室には三基の仏壇があります。最初の赤みがかった仏壇は、閉じられています。次に見える仏壇は、手で触れて動かせるようになっています。最後の仏壇は、一部がバラバラにされて、部材が壁に取り付けられています。近くには仏壇を作る過程で用いる道具類が並べられています。
最初の仏壇は、箱(はこ)のようになって、これが移動できることを示しています。仏壇は「はこべる」のです。
次の仏壇は、近くに寄って動かしてみれば、漆塗りや金箔押し、木や金属の細工とさまざまな職人の技術が集められ、組み立てられて、仏壇が成り立っていることが分かります。一基の中に技術が畳み込まれている。つまり、仏壇は「たためる」わけです。
最後の仏壇は、無理やりにこうしたわけではありません。もともと仏壇は、分解できるように作られています。つまり「ばらせる」。
------------------------------
こうした三基の仏壇の姿は、通常あまり眼にしないものばかりではないでしょうか。
仏壇の扉を開け閉めするかどうかは、厳密に定まっているわけではないとのこと。朝の礼拝の前に扉を開け、夕方の礼拝の後に扉を閉じても、扉の内側にある金障子のみを開け閉めしても、扉を開けたままにしておいても、どれが誤りということでもないそうです。
いずれにしても、日ごろ私たちが向き合うのが、扉を開いた状態の仏壇であることは確かです。仏壇店を訪れても、見かけるのは扉を開いた姿です。金色に輝く内部が、仏壇の「表」のように見えます。
では、ここにある最初の仏壇のように、扉を閉じて、まじまじと眺めてみたら、いかがでしょう。
美しくはありませんか?
扉は漆塗りの技巧が凝らされて、深い輝きを放っています。扉にある金具と、上下部に付けられた金具とのバランスもピッタリです。
------------------------------
全体のプロポーション、つまり釣り合いも良くとれています。その様子を下から目で追ってみましょう。
一番下が最も幅が広くて、地面に根ざしたような安定感が、安心感につながっています。段、ダンとリズムを刻むように幅は狭まり、最も細くなったところで、輪郭線は上にすーっと伸びていきます。中央部が見た目の大部分を占めていますから、ボディがくびれていることが、いかに全体をスッキリと見せているか…。細長い扉も、分割して開くためにそうなっているのですが、機能を抜きにしても、上下方向の意識を高める優れたデザインとして働いていることが分かります。
再び幅が段状に広がり、最後は上向きの曲線で終わります。天を目指すような、てっぺんのカーブは新潟仏壇の特徴です。
安定感ある「基壇」、伸びやかな「胴部」、華やかな「頂部」からなる「三層構成」という仕掛けが、最初の仏壇には潜んでいます。
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これは西洋建築の古典的な原理と同じです。西洋建築の美の基準とされているのは、今から約二五〇〇年前に完成した古代ギリシアの建築です。そのデザインを引き継ぎ、原理として整えたのが古代ローマで、そこで用いられたのが「オーダー」と呼ばれる独特の柱。一番下の幅の広い「柱礎」、大部分を占める「柱身」、飾りの付いた「柱頭」という三層構成で成り立っています。
あるいは、仏壇の三層構成は、オーダーよりは痩せて、建築全体よりも太っていると言いたくもなります。
建築全体にも三層構成は用いられるのです。十五世紀から古代ローマに学んだ「ルネサンス建築」が盛んになりますが、その時代の邸宅の基本は、一階を石積み風に重々しく仕上げて、二階から標準的なデザインを繰り返し、最上階を華やかにして軒を突き出した三層構成です。安定感と美しさを感じさせることから、その後の建築でもよく利用されました。
《未完》
このところ1日1枚、仏壇を建築として解釈し直すような文章をしたためています。
7月18日に始まった「水と土の芸術祭2015」(10月12日まで新潟市内の各所で開催)に参加しています。新潟仏壇組合さんのご協力で、過去に例のない仏壇の見せ方になったとは思うのですが、私の作品と言えるのは、やはり文章だろうと余計なことを思いつき、原稿用紙400字ずつ書く羽目に・・笑。

全体構成を決めないままに書き出して、毎回一つのまとまりができるよう、マスの最後まで文字が来るようにというルールだけで、進めています。
毎日1枚、会場である旧二葉中学校の黒板に張り出されます。開場する日数とほぼ同じ75日、75枚で黒板が原稿用紙で埋まるという仕掛けです。
使っているのはwordですが、書いてしまったら後戻りできないという手書き時代のようなことを、せっかくアートイベントという場所を与えていただいたので実行して、どんなものができるのか試してみたくなりました。

ぼんやりと見えているのは、仏壇が《建築》であること。そして、西洋的な「建築」とは異なること。それが昨今の新国立競技場問題に見られるような、わが国における「建築」の成立の難しさを照らし出しながら、やはり《建築》としてみなければならないだろうことです。
まさか、自分が仏教やアジアのテーマに関わることになろうとは・・最初の5枚は主に、閉じても美しい、写真の仏壇が書かせたものです。ご笑覧いただければ。
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「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」。「水」と「土」とが流れて動いて、人間に良いことも悪いことも与える大地で、私たちは「水と土の芸術祭」の基本理念である冒頭の問いに向き合ってきました。その心を形に凝縮したのが、身近にある「仏壇」です。
えっ、本当? と思うかもしれません。本当なんです、たぶん。
皆さんが展示に何を見るかは、自由です。私は口を出せません。やることがないので、毎日、一枚の原稿用紙を送ることにしました。全部で七十五枚が並ぶ予定です。面倒になって途中で止めてしまわないか、今から不安です(笑)。一回一回、書いていくので、文章のまとまりの途中でバラバラになってしまうかもしれませんが、それもご愛嬌と考えていただければ幸いです。
物と文章で「仏壇」をバラバラにしましょう。当たり前に思っている対象を、解体するのです。そこに現れるものは何でしょうか?
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目の前の光景から見ていきましょう。
この教室には三基の仏壇があります。最初の赤みがかった仏壇は、閉じられています。次に見える仏壇は、手で触れて動かせるようになっています。最後の仏壇は、一部がバラバラにされて、部材が壁に取り付けられています。近くには仏壇を作る過程で用いる道具類が並べられています。
最初の仏壇は、箱(はこ)のようになって、これが移動できることを示しています。仏壇は「はこべる」のです。
次の仏壇は、近くに寄って動かしてみれば、漆塗りや金箔押し、木や金属の細工とさまざまな職人の技術が集められ、組み立てられて、仏壇が成り立っていることが分かります。一基の中に技術が畳み込まれている。つまり、仏壇は「たためる」わけです。
最後の仏壇は、無理やりにこうしたわけではありません。もともと仏壇は、分解できるように作られています。つまり「ばらせる」。
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こうした三基の仏壇の姿は、通常あまり眼にしないものばかりではないでしょうか。
仏壇の扉を開け閉めするかどうかは、厳密に定まっているわけではないとのこと。朝の礼拝の前に扉を開け、夕方の礼拝の後に扉を閉じても、扉の内側にある金障子のみを開け閉めしても、扉を開けたままにしておいても、どれが誤りということでもないそうです。
いずれにしても、日ごろ私たちが向き合うのが、扉を開いた状態の仏壇であることは確かです。仏壇店を訪れても、見かけるのは扉を開いた姿です。金色に輝く内部が、仏壇の「表」のように見えます。
では、ここにある最初の仏壇のように、扉を閉じて、まじまじと眺めてみたら、いかがでしょう。
美しくはありませんか?
扉は漆塗りの技巧が凝らされて、深い輝きを放っています。扉にある金具と、上下部に付けられた金具とのバランスもピッタリです。
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全体のプロポーション、つまり釣り合いも良くとれています。その様子を下から目で追ってみましょう。
一番下が最も幅が広くて、地面に根ざしたような安定感が、安心感につながっています。段、ダンとリズムを刻むように幅は狭まり、最も細くなったところで、輪郭線は上にすーっと伸びていきます。中央部が見た目の大部分を占めていますから、ボディがくびれていることが、いかに全体をスッキリと見せているか…。細長い扉も、分割して開くためにそうなっているのですが、機能を抜きにしても、上下方向の意識を高める優れたデザインとして働いていることが分かります。
再び幅が段状に広がり、最後は上向きの曲線で終わります。天を目指すような、てっぺんのカーブは新潟仏壇の特徴です。
安定感ある「基壇」、伸びやかな「胴部」、華やかな「頂部」からなる「三層構成」という仕掛けが、最初の仏壇には潜んでいます。
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これは西洋建築の古典的な原理と同じです。西洋建築の美の基準とされているのは、今から約二五〇〇年前に完成した古代ギリシアの建築です。そのデザインを引き継ぎ、原理として整えたのが古代ローマで、そこで用いられたのが「オーダー」と呼ばれる独特の柱。一番下の幅の広い「柱礎」、大部分を占める「柱身」、飾りの付いた「柱頭」という三層構成で成り立っています。
あるいは、仏壇の三層構成は、オーダーよりは痩せて、建築全体よりも太っていると言いたくもなります。
建築全体にも三層構成は用いられるのです。十五世紀から古代ローマに学んだ「ルネサンス建築」が盛んになりますが、その時代の邸宅の基本は、一階を石積み風に重々しく仕上げて、二階から標準的なデザインを繰り返し、最上階を華やかにして軒を突き出した三層構成です。安定感と美しさを感じさせることから、その後の建築でもよく利用されました。
《未完》
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