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2014.03.08
UR花畑団地の再生プロジェクトに人間主義的汎用性を見た
2012年5月の「UR団地再生デザインコンペ」で最優秀賞を受賞した藤田雄介さんの「花畑団地27号棟プロジェクト」が完成したので、今日は見に行った。

1964年から入居が開始された東京都足立区の花畑団地の、1966年に建設された住棟1棟をまるごと再生するというプロジェクト。東京オリンピックの年にでき、今は高齢化も進行している、いわば「団地」のど真ん中は、どのようにリノベーションされたのだろうか。

結論から言えば、団地の持っていた戦後の人間主義的汎用性が、現在の手法で再生されている。私はとても良いと思った。
このリノベーションの良さは、図面や文書からではよく分からないのではないか?
間取りをとても変えたわけでもなければ、コミュニティに直接手を加えようとしているわけでもない。だから選出した西澤立衛さんら審査員の慧眼たるや・・。

訪れて理解できたのは、この設計の魂が、間取りそのものというより、部材のディテールと周辺環境にあることだ。
小さな部材と大きな都市が操作の主対象であって、あいだの建物スケールは最重要ではない。極端に言えば、中抜き。そこが新しい。建物スケールを操作することが「建築」だと思ってきた、ここ約半世紀の日本の建築界 — 実は団地の時代はそうではなかった — に一石を投じている。

室内に入ってみよう。まず感じるのは、正方形の開口部を通して、周囲の広がりが室内に入り込んでくる清々しさである。その理由は、民間開発ではあり得ない当時の団地の建ぺい率の低さだけでなく、「ヒューマニズム」の設計ではあり得ない工業主義的な住棟配置が寄与している。
団地の住棟配置は一般に機械的だ。でも、この花畑団地ほど整然としたグリッド配置は珍しい。だから、室内の人間がとる姿勢が都市と整合して、内外が一貫した空間の爽やかさの中で生きることができる。

その関係性をつくる上で大事なのは、間に噛ませる建具。工業主義と人間主義を同時に体感させる、この木製のサッシでなければいけないと、設計者は考えたのだろう。
実際、この形態と素材が、新設されたテラスを外部の部屋のように感じさせている。屋外に広がる団地の工業主義と人間主義を、古臭い存在ではなく、再考に値するものとして捉えさせる。

この1981年生まれの設計者によるプロジェクトには、ここ十数年における北欧モダンブームやリノベーションの一般化、団地の再評価といった空気が、当たり前のように入り込んでいる。
同時に、これは建築家の個性の表明でもある。正直、今まで私は藤田さんの都市的な思考とtoolboxへの参加に見られるような部材への関心の間にどんなつながりがあるのか、頭では理解していても、しっくり来ていなかったところがある。
でも、今日、この作品によって藤田雄介という建築家の姿が見えた。建具と都市を接続しながら汎用性を志向するということが腑に落ちた。

彼は個別性ではなく、新たな汎用性に賭けている。団地なんて、建材みたいなものだ。決して一品生産ではない。でも、手に馴染むようにと設計されたいくつかのヴァリエーションがある。そして、自分を主張するのではなく、生活の幅を静かに拡張する。
「デザイン」の狂躁を経て、そんな新たな豊かさを私たちが手にし始めた事実と同期する建築家が現れたことを、私は支持する。

1964年から入居が開始された東京都足立区の花畑団地の、1966年に建設された住棟1棟をまるごと再生するというプロジェクト。東京オリンピックの年にでき、今は高齢化も進行している、いわば「団地」のど真ん中は、どのようにリノベーションされたのだろうか。

結論から言えば、団地の持っていた戦後の人間主義的汎用性が、現在の手法で再生されている。私はとても良いと思った。
このリノベーションの良さは、図面や文書からではよく分からないのではないか?
間取りをとても変えたわけでもなければ、コミュニティに直接手を加えようとしているわけでもない。だから選出した西澤立衛さんら審査員の慧眼たるや・・。

訪れて理解できたのは、この設計の魂が、間取りそのものというより、部材のディテールと周辺環境にあることだ。
小さな部材と大きな都市が操作の主対象であって、あいだの建物スケールは最重要ではない。極端に言えば、中抜き。そこが新しい。建物スケールを操作することが「建築」だと思ってきた、ここ約半世紀の日本の建築界 — 実は団地の時代はそうではなかった — に一石を投じている。

室内に入ってみよう。まず感じるのは、正方形の開口部を通して、周囲の広がりが室内に入り込んでくる清々しさである。その理由は、民間開発ではあり得ない当時の団地の建ぺい率の低さだけでなく、「ヒューマニズム」の設計ではあり得ない工業主義的な住棟配置が寄与している。
団地の住棟配置は一般に機械的だ。でも、この花畑団地ほど整然としたグリッド配置は珍しい。だから、室内の人間がとる姿勢が都市と整合して、内外が一貫した空間の爽やかさの中で生きることができる。

その関係性をつくる上で大事なのは、間に噛ませる建具。工業主義と人間主義を同時に体感させる、この木製のサッシでなければいけないと、設計者は考えたのだろう。
実際、この形態と素材が、新設されたテラスを外部の部屋のように感じさせている。屋外に広がる団地の工業主義と人間主義を、古臭い存在ではなく、再考に値するものとして捉えさせる。

この1981年生まれの設計者によるプロジェクトには、ここ十数年における北欧モダンブームやリノベーションの一般化、団地の再評価といった空気が、当たり前のように入り込んでいる。
同時に、これは建築家の個性の表明でもある。正直、今まで私は藤田さんの都市的な思考とtoolboxへの参加に見られるような部材への関心の間にどんなつながりがあるのか、頭では理解していても、しっくり来ていなかったところがある。
でも、今日、この作品によって藤田雄介という建築家の姿が見えた。建具と都市を接続しながら汎用性を志向するということが腑に落ちた。

彼は個別性ではなく、新たな汎用性に賭けている。団地なんて、建材みたいなものだ。決して一品生産ではない。でも、手に馴染むようにと設計されたいくつかのヴァリエーションがある。そして、自分を主張するのではなく、生活の幅を静かに拡張する。
「デザイン」の狂躁を経て、そんな新たな豊かさを私たちが手にし始めた事実と同期する建築家が現れたことを、私は支持する。
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