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2013.05.24
日本女子大学から雑司ヶ谷まで建築散策
3か月に2回位のペースで行っている「朝日カルチャー新宿教室」の建築講座。本日は日本女子大学から雑司ヶ谷へと散策した。
集合は11時に目白駅。定員25名がすぐに埋まってしまい、若干増員したので、少し人数が多い感じ。一体感にやや欠けるのが、申し訳ない・・。

さて、日本女子大学へ。同校は1901年の開学時から、大隈重信が創立委員長を務めるなど早稲田大学との関連も深い。
それは建築分野にも現れていて、戦前から佐藤功一や今和次郎など早稲田の教授が、真剣に教えていた。そんな住教育の歴史が、林雅子さんや妹島和世さんといった戦後の女性建築家の輩出までつながっているのだ。

最初に見学させていただいたのは、開学と共に1901年に建てられ、日本女子大学の創立者である成瀬仁蔵が1919年に没するまで暮らした「旧成瀬仁蔵住宅」。
和風のつくりながら、サンルームのような和室の構成や増築部の洋室の天井など、意匠が、同時期(1907年竣工)の雑司が谷旧宣教師館(マッケーレブ邸)と呼応するのが面白い。
成瀬仁蔵は自邸を建設する以前にアメリカに留学し、マッケーレブはアメリカからやってきた。キリスト教を通じた洋風建築の伝播が分かる。この場所はなかなかの穴場なのである。

次に「成瀬記念講堂」(旧豊明図書館兼講堂)へ。1906年に建設され、関東大震災の後の大修復によって講堂部は現在の姿となった。
当時の官学に匹敵するような本格的な講堂。わが国で最初の組織的な女子高等教育機関をつくろうという構想の大きさと、協力者を惹き付ける魅力が成瀬に備わっていたことが知れる。設計は清水組の技師・田辺淳吉だ。

正門を挟んで反対側にある「成瀬記念館」も忘れてはならない。1984年の完成で、設計者は浦辺鎮太郎。
成瀬記念講堂に呼応するデザインながら、安易なコピーに堕していない。その腕前は、さすがモダニスト世代ながら独自の道を行った浦辺鎮太郎である。外部から内部へと続きながら上昇する空間の構成はモダニスト的だけど、装飾による空間の彩り方はとても前川國男と丹下健三の間の年齢とは思えない(浦辺は1909年生まれ)。浦辺鎮太郎を再考しなければ、と改めて感じる。

不忍通りを渡り、「雑司ヶ谷 寛」で皆さんと一緒にお昼にする。ここはサンカ小説で一世を風靡した三角寛の旧宅を活用した個室料亭。こんな場所にという意外性もいい。
落ち着けるし、緑も綺麗で、お昼は3,500円から。季節を感じさせる旬の食材の取り合わせがうまい。予約制で2名から入れます。

最後は「雑司ヶ谷宣教師館」(旧マッケーレブ邸)へ。道すがら、建築らしい建築があって、誰がやったのだろう? と思って後で調べたら、三幣順一さん(A.L.X.)+増渕大さん(studio M)の「雑司ヶ谷の集合住宅」だった。「新建築」の2007年2月号にも掲載されているのこと。

雑司ヶ谷宣教師館は修復工事を終えて綺麗になっていた。田畑の中に忽然と現れたアメリカ、といった様子がいっそう伝わる。

予定の14時半に講座を終えることができ、途中で雑司が谷に来ているとFacebookに書いたら「帰りはあぶくりにお越し下さいw」というコメントをくれた建築家の嶋田洋平さんの奥さんのカフェに寄る。
名前は「あぶくり」で、オープンは昨年の8月。嶋田さんは3年前の北九州時代(西日本工業大学准教授だった頃)に出会って、北九州を盛り上げ始めた盟友の一人。話を聞いていたので、行ってみたかった。

で、本当にあぶくりに顔を出したら、嶋田さんがいた(笑)。
素敵な店内。他のお客さんが自然に落ち着いて長居をしている感じ。いいカフェだと分かる。
雑司ヶ谷にはこういうお店が無かった。あぶくりは斬新に、新しい普通を作り出していた。

集合は11時に目白駅。定員25名がすぐに埋まってしまい、若干増員したので、少し人数が多い感じ。一体感にやや欠けるのが、申し訳ない・・。

さて、日本女子大学へ。同校は1901年の開学時から、大隈重信が創立委員長を務めるなど早稲田大学との関連も深い。
それは建築分野にも現れていて、戦前から佐藤功一や今和次郎など早稲田の教授が、真剣に教えていた。そんな住教育の歴史が、林雅子さんや妹島和世さんといった戦後の女性建築家の輩出までつながっているのだ。

最初に見学させていただいたのは、開学と共に1901年に建てられ、日本女子大学の創立者である成瀬仁蔵が1919年に没するまで暮らした「旧成瀬仁蔵住宅」。
和風のつくりながら、サンルームのような和室の構成や増築部の洋室の天井など、意匠が、同時期(1907年竣工)の雑司が谷旧宣教師館(マッケーレブ邸)と呼応するのが面白い。
成瀬仁蔵は自邸を建設する以前にアメリカに留学し、マッケーレブはアメリカからやってきた。キリスト教を通じた洋風建築の伝播が分かる。この場所はなかなかの穴場なのである。

次に「成瀬記念講堂」(旧豊明図書館兼講堂)へ。1906年に建設され、関東大震災の後の大修復によって講堂部は現在の姿となった。
当時の官学に匹敵するような本格的な講堂。わが国で最初の組織的な女子高等教育機関をつくろうという構想の大きさと、協力者を惹き付ける魅力が成瀬に備わっていたことが知れる。設計は清水組の技師・田辺淳吉だ。

正門を挟んで反対側にある「成瀬記念館」も忘れてはならない。1984年の完成で、設計者は浦辺鎮太郎。
成瀬記念講堂に呼応するデザインながら、安易なコピーに堕していない。その腕前は、さすがモダニスト世代ながら独自の道を行った浦辺鎮太郎である。外部から内部へと続きながら上昇する空間の構成はモダニスト的だけど、装飾による空間の彩り方はとても前川國男と丹下健三の間の年齢とは思えない(浦辺は1909年生まれ)。浦辺鎮太郎を再考しなければ、と改めて感じる。

不忍通りを渡り、「雑司ヶ谷 寛」で皆さんと一緒にお昼にする。ここはサンカ小説で一世を風靡した三角寛の旧宅を活用した個室料亭。こんな場所にという意外性もいい。
落ち着けるし、緑も綺麗で、お昼は3,500円から。季節を感じさせる旬の食材の取り合わせがうまい。予約制で2名から入れます。



最後は「雑司ヶ谷宣教師館」(旧マッケーレブ邸)へ。道すがら、建築らしい建築があって、誰がやったのだろう? と思って後で調べたら、三幣順一さん(A.L.X.)+増渕大さん(studio M)の「雑司ヶ谷の集合住宅」だった。「新建築」の2007年2月号にも掲載されているのこと。

雑司ヶ谷宣教師館は修復工事を終えて綺麗になっていた。田畑の中に忽然と現れたアメリカ、といった様子がいっそう伝わる。

予定の14時半に講座を終えることができ、途中で雑司が谷に来ているとFacebookに書いたら「帰りはあぶくりにお越し下さいw」というコメントをくれた建築家の嶋田洋平さんの奥さんのカフェに寄る。
名前は「あぶくり」で、オープンは昨年の8月。嶋田さんは3年前の北九州時代(西日本工業大学准教授だった頃)に出会って、北九州を盛り上げ始めた盟友の一人。話を聞いていたので、行ってみたかった。

で、本当にあぶくりに顔を出したら、嶋田さんがいた(笑)。
素敵な店内。他のお客さんが自然に落ち着いて長居をしている感じ。いいカフェだと分かる。
雑司ヶ谷にはこういうお店が無かった。あぶくりは斬新に、新しい普通を作り出していた。


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