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木屋瀬のまち01

まちがミュージアムとは、こういうことかと思った。
北九州市八幡西区の木屋瀬(こやのせ)を訪れて。

建物はもちろんだが、最も書いておきたいことは、
ボランティアガイドの素晴らしさである。
マニュアル化されてはいない。
みなさん自分のスタイルで話しかけ、語る。
それにしても知識が豊富だ。
眺めているだけでは分からないことを教えてくれる。
何を聞いても答えてくれそうだ。
お決まりの解説セットが出てくるのではない。
あくまで主体はこちら側にあるのだ。
考えてみれば、ガイドの方が自分のスタイルを持っていることと、訪れる者が主導権を持っているということは矛盾しない。
ホテルマンにしても何にしても、一流のサービス業とはそういうものではないか?
木屋瀬で感じたのは、真のサービスである。

木屋瀬のまち04

しかし、これは誰でもできるというものでもないだろう。
まずは多分、好奇心が必要だ。
好奇心、向学心が、生きた知識をつくる。
建物の歴史、細かなつくりから、地域との関係まで、ガイドの方の知識は、専門家である私が聞いても、なるほどと感心した。

それと、プライド。
自分のまちに対する誇りを皆が持っている。
だから、語りかけは静かで柔らかく、力強い。
こうしたまちへのプライドは、木屋瀬のここ10年、20年の取り組みで、より涵養されていったものだと推測する。
それは自分自身への誇りと、重なりあうことだろう。
自分に出自があり、そこにいつかは還るということ。それは人に抑制と、生き生きとした前途への努力を与えるのである。

しかし、こう考えていくと、こうしたことは年輩者に圧倒的に有利だ。
何かのためでない純粋な好奇心・向学心にしても、静かな誇りを持てることも、残念ながら20代や30代ではまるで及ばないだろう。
初めに書いたような、自分のスタイルで語り、間合いを計っていることなど感じさせず、こちらの緊張を解いて我々が自分自身になれるようなサービスは、お年を召された方、あるいはリタイアされた方の得意種目だと言って良い。
このまちは特にそのことを感じさせてくれた。

木屋瀬のまち03

木屋瀬には郷土資料館もあって、それは充実した展示だったが、やはり分が悪い。「もやいの家」や「旧高崎家住宅(伊馬春部生家)」などは無料で入れ、ボランティアガイドの方の説明を聞きながら、歴史と地理を自分の身体で発見する喜びに浸れるのである。
建築とは何て豊饒なものかと思った。

ヨーロッパを訪れた際、ふらっと訪れたまちに良好な美術館があったり、刺激的なイベントに遭遇したりという経験をして、若かったこともあって、豊かだとはこういうことかと、いたく感銘を覚えた。
木屋瀬を訪れ、無料で最上級のサービスを受けて、そんな経験を思い出した。
声高に宣伝しているものだけが優れているのではない。普通にそれぞれが高い質を持っていて、訪れるのを待っているといった「無駄」とも言える状態。日本も、特に大都市以外は、そうなりつつあるし、そうならないといけないのではないか?

「まちがミュージアム」というのは、その時に実現性が高い思想だろう。
仕事(子育てや勤務)を終え、故郷に腰を落ち着けた年輩者が、日々新しい人々に会って精神と肉体の若々しさを保ちながら、誇りを感じて生きられるような。
子供から年輩者までが、この日本にまわりきれないほどの歴史と地理の豊かさがあることを知り、そこから次の仕事や趣味を産み出せるような。
そのように使い続けられていくことによって、建築やまちを保存・保全できるような。

もちろん、こうしたことは直接に利益を生み出しはしない。
意欲に応じた補助が必要だろうし、今もそうなっているに違いない。
その補助は、医療保険や教育や建設に対する支出に比べた時、膨大になるだろうか?
自然環境から前近代、近代、戦後にまで目を向ければ、かなりのまちがミュージアムになりえるだろう。極端に言えば、何もつくらなくったってそれは可能で、効果は絶大だ。

木屋瀬のまち02
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