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M2ビル(隈研吾,1991)01_倉方撮影

午前中の芝浦工業大学の授業のあと、ごはんを一緒に食べた大学院生に「午後は市民講座でM2の見学会なんだ」と話したら、「えっ、一般向けでそんな講座があるんですか!?」と言っていたが、それが、あるのだ。

アーキテクトファイブの「世田谷ビジネススクエア」(1993)に集合して、象設計集団の「用賀プロムナード・いらかみち」(1986)を歩き、内井昭蔵さんの「世田谷美術館」(1985)を見学。
考えてみると用賀には、丹下健三、吉阪隆正、菊竹清訓の弟子がそろい踏みで、その継承と変容を見る楽しみもある。
梅雨の晴れ間だったので、世田谷ビジネススクエアはミラーガラスの反射がシャープだし、用賀プロムナードでは絵に描いたように子どもが水遊び。世田谷美術館は次の展覧会の準備中で、中をゆっくり見せてもらった。

M2ビル(隈研吾,1991)02_倉方撮影

早稲田エクステンションセンター八丁堀校での講座はもう7年続いていて、受講生が高度なので、最近は個人的な興味を容赦なく押し出している。それで、M2に潜入しようなんて、思った。
隈研吾さんの設計で1991年に完成した「M2ビル」が2003年から株式会社メモリードの葬儀場(東京メモリードホール)になったというが、どんな風に変わったか知らない。というより、恥ずかしながら、そもそも内部に入ったことがなかった。あー「恥ずかしながら」なんて人が口にするのは、実は本当に恥ずかしくない時だ。
M2ビルを取り上げるとき、多くの人は外観だけを語る。名著『バブル建築へGO!』でも、内部が今どうなっているかは分からない。
だったら、みんなを連れて、潜入してしまえ! 友引に合わせて、見学のお願いをした。
とはいえ、少し不安もあった。これ、外観以外の面白さはあるのか?

M2ビル(隈研吾,1991)13_倉方撮影

環八通りの砧町東のバス停を降りると、そこは屹立するイオニア式オーダー(よく見ると老朽化で、柱身と柱頭の接点が少し怪しい)。
「え~、隈さんらしくない~」という受講生に、「いやいや、ウチらからすれば、隈さんといえば、これだぜ」と熱く語りながら、受付へ。
バスの遅延で予定時刻を過ぎてしまったわれわれを、清楚な女性社員が快く迎えてくれた。

M2ビル(隈研吾,1991)03_倉方撮影

オーダーの中は吹き抜けのエレベータ室になっている。周辺の素材は外観の印象とは違って無機質で、高速道路の防音壁が使われていたりする。
「M2」とは、そもそも「MAZDA」の「2」の意で、自動車会社のマツダが「本社ではできないこと」を試みる子会社のオフィス兼ショールームとして、このビルをつくったという。それでハイスピードの自動車にまつわる素材と、冷静沈着を売りとする古典主義の要素が遭遇している。
しかし、本社ではできないことって…。本社ですら、できなくなったその後を知ると、「選択と集中」という言葉が無かった時代が懐かしく思い出される。ここでない何処かが垣間見えたかのような、あの時代。

M2ビル(隈研吾,1991)08_倉方撮影

しかし、意外にも内部のデザインも細かいわけであり、例えば、男子トイレの小便器もトンガリキッズである。
ハサミで切り取られるようなメタリックな鋭角線を、屹立するイオニア式オーダーと関連づけて、「フロイトですね、わかります」なんて言ってしまうと、たぶんこっちの負けだ。

さらに、内部の驚きはオリジナルのデザインだけではない ― 後編に続く
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