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2009.06.15
『建築論事典』をめぐって
6月13日のシンポジウム「『建築論事典』をめぐって-建築論と建築の現在を考える-」の主催は日本建築学会「建築論・建築意匠小委員会」。個人的に関わったりしているわけではないのだが、主題解説者に興味があったので、会場の法政大学に足を運んだ。
最初の主題解説者は、建築史家の陣内秀信さん。
増田友也さんと稲垣栄三さんの交流から話を始め、ティポロジアの方法論から、法政大学大学院エコ地域デザイン研究所の活動を踏まえながら、建築論の今後に「西欧(ギリシア視点)から始まった建築論世界の再構成」を期待する。「21世紀らしい日本発の論理を構築する必要」があり、それは「場所」「風景」「都市」「建築」の再定義を伴うと言うのだ。
陣内さんのお話は何度も聞いたことがある。だから、呑み込みやすかったが、やはり新鮮だった。面白かったことの一つが「トポス」の説明。「こういうことを今、一番知っているのがタモリではないか」という。秋からNHKで、タモリによる街探訪の番組も始まるらしい。前回の「建築雑誌」編集委員会でも、そんな話が出ていたからタイムリーかも。
その後、稲垣さんの保存論について休憩時間に話していたら、稲垣さんについて以前に書いた拙文をお褒めいただいて恐縮し、そんなものまで読んでいる陣内さんを畏れる。
続いては、構造家の佐々木睦郎さん。
佐々木さんのお話を聞いてみたいと強く思ったのは、「日経アーキテクチュア」の「2009年注目の10人」で、鈴木啓さん、小西泰孝さん、満田衛資さんの記事を書いた時だ。取材すると、お三方とも師匠である佐々木さんの精神を強く意識し、自分の個性と溶かし合いながら「構造家」と呼べる仕事をされている。
そのインタビューの中で佐々木さんの言葉として聞いた「計画は意志だ」を、一番に彷彿とさせたのは、せんだいメディアーテークの説明だった。伊東豊雄さんの案を〈ミース的な水平の床の積層+ドームのようなチューブ〉の融合と見たという。
こうした解釈を行い、統一されたイメージとして抱くことが「意志」。雑多な与条件に、ある観点を与え、世界を描き直す。それがあるから、ものの形を決める時に、ある部分の形が適切かそうでないか判断できるのだろう ― 当然ながらどのような構造をとるかには選択の幅がある。それは建築家と同じだ。
「ある建築のあり方を捉えていく時に、一番最初に構造があるのであって、外延ではない」と最後に言われた。それが説得力があった。
最後に、環境行動研究の高橋鷹志さんがお話される。
高橋さんのお仕事に関しては、不覚にも知らなかった。環境行動研究というので、工学的な話かと思っていたら、哲学だった。「建築(構築環境)の目標とは何か」という問いを提出し、古代ギリシア、16世紀から、モダニズムの考え方までも参照しながら、「自在」「慎」「喜」「移行」といった言葉を通じて、それを明らかにする。思想と言うより、哲学の講義を受けた時の感触に近い。しばらく使っていなかった神経を刺激された感じだ。
「一般の市民も構築環境のデザイナーである」。この言葉だけ聞くと平易な主張のようだが、その奥にはロジックとしての哲学があり、その支えとして工学的な研究が位置づけられているということだろう。
休憩後の全体討論には、前田忠直さん、小林克弘さん、林一馬さんが登壇される。前田忠直さんは、京都大学の建築論スクールの大御所。お話をお聞きしたことは無かった。東京でそういう機会は、なかなか無いだろう。そんなことも、今日来てみた理由の一つだった。
「建築論とはどういうジャンルなのか?」、「学でもなし、術でもなし。それはそもそも人間にとってどうであるのかという、学以前、術以前」。お話は分かりやすかった。話されているのは難解というのではなく、プリミティブな事柄だった。だから深い問いかけとして持続する。
高橋鷹志さんのもそうだが、お話を聞きながら頭の中で重なっていたのは、吉阪隆正の言葉と行動だった。勝手に遠く思って「敬して」いてはいけないなと思う。

終了後の懇親会も開かれた雰囲気。京都大学の朽木順綱さんや陣内研の元気な院生と話しこむ。
二次会で奥山信一さんと初めてお話する。口調はオーキッドバーによく似合う寛ぎを感じさせ、しかも一言一言が鋭い。両方同時というのは、なかなか無い。響がおいしかった。
0時前に解散したのだが、高村雅彦さん、下吹越武人さんともう1軒。高村さんと一緒だと、新宿もまるでアジアなのだ。

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