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Nコレクション展

巨匠が誰かを言うと「このあいだ日記に書いただろ。金取るぞ(笑)」と言われるので、言わない。

ただ、3つだけ簡単に書いておきたいことがあって、
一つは、これは東大生研の大田省一さんのアイデアで、担当されている『建築雑誌』8月号のフィールドワーク特集の巻頭を飾るインタビューだということ。字数の制限があるので、どこまで載るか分からないが、楽しみにしていてください。

二つは、2006年の『GOETHE』創刊号に巨匠の「喧嘩人生」が12ページにわたってフィーチャーされていた。シブい、いい所に幻冬舎が目を付けたなと思いながら買っておらず、今回古本で購入。目を通して、ライターの石川拓治さんの文章力にうなった。臨場感を盛り立てる構成で、ぐいぐい読ませる。しかし、情報と解釈は的確で、決してカッコイイ雰囲気だけを醸し出す文章、ではない。
雑誌でこういう記事を見かけると、世の中、捨てたものではないと思うのはなぜだろう?

三つは、これは事前のお話の中での言葉だったのだが、「日本の建築家は頼まれないと仕事をしない(だからダメだ)」という一言にハッとした。
確かに、あっちの建築家って、特に若い頃には、頼まれてもいないプロジェクトを持続的に、憑かれたようにつくり出す。ああしたアンビルトの伝統の強さは、日本にはあまりない。菊竹清訓さんとか、安藤忠雄さんといった人はいるが、それが例外的に思えてしまうほどだ。
記事の冒頭の写真は、金沢工業大学で4月に行われた「Nコレクション」展の光景だが、これも「頼まれていないが自分の仕事はある」と思っている世界の建築家が、編集者・中村敏男さんに託したもの。

もちろん、建築は依頼されてなんぼである。依頼芸術である。実際につくられる過程で介入してくるファクターをいかにさばくか、また、施工レベルの問題をいかに災い転じて福と成すか、そこに「建築家」の本性が現れる。だから、アンビルトの計画などは、本来の建築家の実力ではない。そうしたものに重きを置くのは、悪しき計画概念の、イデア中心主義の残滓である。それよりは、うまく立ち回り、仕事をとり、小さくてもいいから実現させた人を見るべきだ。
そんな風潮は、それ以前よりも90年代、0年代と向かうにつれて、高まっているのではないか。考えてみれば、僕が評論を書く時の傾向も、そんな風潮の中にある。しかし、それだけでは小さくまとまってしまうのだ。頼まれてもいないのにマイワールドを構築することすべてが、用済みになったわけではないだろう。あるいは、今そんな建築は、いわゆる建築界の外にあるのかもしれない。吉岡徳仁さんとか。
そんな風に、いろんな連想がわいてきた計7時間。
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