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「建築雑誌」2009年5月号 建築雑誌2008年2月号表紙

※昨日の記事から続く

改めて難波和彦さんが「青本往来記」で、私が担当した「建築雑誌」2009年5月号の特集「非線形・複雑系の科学とこれからの建築・都市」のことを書かれた文章を読むと、その評価が的確であることを、ありがたく思う。

それは「非線形・複雑系の科学」を考えることなど建築家にとって意味がない、とは決して言っていない。「射程距離の長いとらえ方」ができるのだという。「非線形・複雑系の科学」にそうした可能性を見て特集を企画した者として、大いに意を強くした。

しかも、建築にとって「非線形・複雑系の科学」とはAでなくBだと、念を押してくれている。前回書いた通り、これは今回の特集の主旨に等しい。
Aに当たるのは「その理由は」から「プロセスである」までの3~6文目の中で、批判されている物事。これはまったく同感だ。

Bに当たる最も好適な表現が、前回は分析しなかった、最後から2文目「要するに非線形と複雑性の科学は、社会主義国家の崩壊に象徴されるモダニズムの計画概念の変容と密接に関係しているのだ」という文章だろう。
設計とは計画である。計画とは未来を予期するということである。そこには、それが可能だという確信が無いといけない。その最たるものが社会主義だという理解でとりあえず良いだろう。
現在、そんな予測が完全にできると考えている建築家(職業設計者一般ではなく)は少数派に違いない。では、何が、どうやったら、どの程度に可能かが問われることになる。いや少し違うな。そうした手法以前に、価値の問題として設計が何を狙うべきかを、見識ある建築家なら問うているのだと思う。
人を幸せにするために「設計=計画」に何ができるか。若手の(1970年代生まれ位の)建築家をたぶん最近、興味深く見ているのは、そこに意匠や解釈のあれやこれやではなく、実践的な計画学と呼ぶべきものを共通に感じるからだろう。
それは「建築雑誌」2008年2月号で任せていただいた前回の特集「慈しまれる? モダニズム建築」以前の記事)で扱った思潮と無縁ではないし、これはまた別の接続の仕方だが、原広司さんは改めて的確だったのだなあと感じ入る。

そうした特に1960年代末以降の脈流を「非線形・複雑系の科学」は露にするものである。それは社会全体の変容に関わり、だからこそ建築の計画概念に最も深く関係してくるはずだ、理論的には。
以上を念頭に、特集の解題では次のように書いた。



「非線形・複雑系の科学」は、無機物から形や秩序が自己組織化されるプロセスを開示した。被創造物であるとしか思えないような単純な複雑さ―永久に不変でもなければまったくランダムでもないもの―が、原理の展開によって生まれることを示した。神なき世に神に代わって、とは言い過ぎにしても、今日でもやはり同種の創造力を存在基盤にしなくもない「建築家」に代表される設計者の立場を、これは脅かす出来事だろうか。あるいは逆に、設計者固有の領域があることを科学的に証明してくれるのだろうか?

倉方俊輔「解題 非線形・複雑系の科学とこれからの建築・都市」『建築雑誌』2009年5月号より



さて、ここまで見解が同じなのに、なぜ、一見、批判に読める文章を著されたのか?
すぐに思い浮かぶ2つの可能性が共にありえないことは、昨日の記事で書いた通りである。

解釈するに、これは「非線形・複雑系の科学」が「AでなくB」だとはっきり言えという発破だろう。そして、言いにくい点を言っていただいたのだ。
「建築雑誌」ということで、お行儀を気にしすぎた部分があったかもしれない。優しいご鞭撻はもっともだ。今回の記事を書いて少し補うこともできた。それも難波さんの記事のおかげだ。

ありがとうございます。もっと精進いたします!
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