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2009.05.14
「ホテル立山・室堂ターミナル」の中の1930年代

今回の「ドコノモン100選」は標高2450mにある「ホテル立山・室堂ターミナル」(富山県立山町、1972)。
その存在は『新建築 建築ガイドブック』で知ってはいた。しかし、近代主義的な無味乾燥な建物だろうな、というくらい認識しか無かった。
(19)大自然と“対決”する標高2450mの宿泊施設:ホテル立山・室堂ターミナル - 倉方俊輔の「ドコノモン100選」
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/column/20090513/532544/

でも、行ったら違った。
一つは、その形。山小屋風だったり、有機的な形だったりするわけではない。いかにも図面上で線を引きましたというような、直線で成り立っている。ところが、これが見る角度によって、山並みと重なる。どこまで関係性を意図したのかは分からないが、存在を主張しながら景色の一部になっている・・・モダニズムの鑑である。
もう一つは、そもそもの成り立ち。僕のような軟弱者でもお金を払いさえすれば、標高2450mまで連れて行ってくれて、暖房の効いた部屋から素敵な風景を眺められる。良くも悪くも、技術の力で自然を人間の領域に変えるという行為が日本最高地で実現している・・・モダニズムの鑑である。
「傍流」かどうかは別として「名建築」であるには違いないので、再訪して取材した。今度はホテルに宿泊して、関係者に話を聞いた。共に「中」に入ったわけである。

すると、また違った。
その形も成り立ちも、ただの戦後モダニズムということでは解釈できない。
最上階のラウンジに入ると、設計者の村田政真がホテル建築を多く手がけていることに納得した。彼が戦前、岡田信一郎の事務所と宮内省内匠寮にいたことが、思い出された。戦後は当然、ゼロからスタートしたわけではない。

そして、頭に浮かんだのが、砂本文彦さんの『近代日本の国際リゾート―一九三〇年代の国際観光ホテルを中心に』のこと。鉄道省が主導した1930年代の国際観光政策の背景や制度、それによって整備された14のホテルの経過を解き明かした浩瀚な研究書である。黄表紙で発表されていた時から内容は読んでいたが、1冊にまとまったので一気にパースペクティブが理解できるようになった。
電源開発などとも相乗りして「国際リゾート地」を切り開くという点では、これも一緒だ。佐伯宗義が戦後すぐに抱いた構想は確かに先駆的だが、10年ほど前まで国際観光政策が生きていたことを知れば、そうあり得ない発想ではないだろう。
しかし、実現した施設は洋風でも和風でもない。戦前ではありえなかったモダニズムのデザインだ。
とすれば、戦前の「国際観光ホテル」の系譜は「ホテル立山・室堂ターミナル」まで引き継がれ、ピークに達し、建築的にも新たな成果を生んで、国際観光という意味でもようやく成功したと言えるのではないか。
*「建築浴MAP」(googleマップ)で所在地を見る
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