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2009.04.17
メンバーズオンリーの美質「嵐山カントリークラブハウス」

ケンプラッツ「ドコノモン100選」の第17回は、1961年に完成した天野太郎の「嵐山カントリークラブハウス」。知っている人は知っているだろうこの建築、行ってみると印象は当時の雑誌写真のままで、感動ものだった。
しかも、動き回っての面白さは、誌面での予想をはるかに上回る。ようやく天野太郎という建築家の真価が分かった気がした。
ライトの弟子がつくった光の空間:嵐山カントリークラブハウス - ケンプラッツ
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/column/20090414/531976/
ゴルフ場のクラブハウスといえば、建築家の名品が少なくない。
戦前の代表例が、アントニン・レーモンド。いくつものクラブハウスを手がけていて、中でも「東京ゴルフクラブ」(1932)は戦前モダニズムの傑作だ(ったらしい)― 蛇足だが、朝霞という町名もこのゴルフクラブから来ていて、現在の駒場公園からこの地に移転した時にクラブの名誉総裁である朝香宮鳩彦王にちなんで名付けられた。

他にも、吉村順三、磯崎新、隈研吾などのクラブハウスが思い浮かぶ。
イメージが大事な奢侈品だからというのもあるだろうが、それだけだと商売用の建築はみなそう言える。でも、クラブハウスは普通の商業建築とも、また少し違うのだろう。
ゴルフ場は「カントリークラブ」と呼ばれるように「クラブ」の名が付いている。会員の集いの場だから、新規顧客をそれほど積極的に開拓する必要は無い。だから建築に、流れゆくものより、留まるものを提供できる契機が与えられる。
単なるスポーツ施設ではない憩いをいかに生みだし、限られたメンバーが共有する「家」をつくるか。それが問われる。流行遅れだから、非経済的だから、といったスクラップアンドビルドの荒海に投げ出されるのとは違う。開放的でないことの良さだ。

フランク・ロイド・ライトのもとから戻って与えられたこの仕事は、天野太郎という建築家の性向に適したものだった。それが分かるのは、今も嵐山カントリークラブの品格の一部として、大事に使われているからだ。
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