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2006.01.07
坂牛卓さんへの返信 ―『言葉と建築』の追記
はじめまして、坂牛卓さん。
文章と作品では存じておりますが、直接に1月3日の日記にコメントをいただき、
びっくりするとともに、嬉しく思います。
インターネットの恩恵を実感する出来事です。
さきほど、建築家・難波和彦さんの日記「青本往来記」をのぞいたところ、
やはり、難波さんも『言葉と建築』を正月休みに読まれていて、
(さすが、建築界きっての理論系読書家です)
内容と翻訳に、惜しみない称賛を贈られてましたね。
「あちこちで目から鱗が落ちるような指摘に出会った。
…翻訳の良さにも感心させられた
…本書は間違いなく僕の必読書に加わるだろう」
(2006年1月5日の「青本往来記」からの引用:
こうやってまとめると、ペーパーバックの裏にある推薦文みたいです)
この言葉に、まったく同感です。
言葉・思想を扱うという、難易度の高い、デリケートな問題が、
翻訳であることを感じさせずに伝わってくる。
特殊な術語や、奇妙な造語、あるいはカタカナ表記に逃げていない。
例えば、形(フォーム)の章。
形態(フィギュア、ゲシュタルト)、形状(シェイプ)、形式(フォルム)
という訳し分け方一つとっても見事です。
言葉(日本語)が、大事にされています。
複数の訳者にもかかわらず、一貫性の欠如もありません。
入念な読み合わせをされたこと、監訳者が実質的な作業にきちんと
立ち入られたことが、一目瞭然です。
ふだん翻訳書を読むときに、翻訳者のことは意識しないのですが
(よっぽどまずい場合は別です)、
翻訳だということが意識に上らないほどに巧いと、
意識するものだなと気づかされました。
こうした優れた本を、坂牛さんをはじめとした皆さまが、
静かな情熱をもって翻訳されたことは、
私が言うまでもなく、日本の建築文化への多大な貢献だと思います。
後から来た小人が、巨人の肩の上に乗ることができます。
良書の刊行は、情熱と引き換えにしてしか割に合いません。
まさに献身です。だから、言いたいのです。
お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。
※コメント欄にはリンク機能が無いので、記事にしました
文章と作品では存じておりますが、直接に1月3日の日記にコメントをいただき、
びっくりするとともに、嬉しく思います。
インターネットの恩恵を実感する出来事です。
さきほど、建築家・難波和彦さんの日記「青本往来記」をのぞいたところ、
やはり、難波さんも『言葉と建築』を正月休みに読まれていて、
(さすが、建築界きっての理論系読書家です)
内容と翻訳に、惜しみない称賛を贈られてましたね。
「あちこちで目から鱗が落ちるような指摘に出会った。
…翻訳の良さにも感心させられた
…本書は間違いなく僕の必読書に加わるだろう」
(2006年1月5日の「青本往来記」からの引用:
こうやってまとめると、ペーパーバックの裏にある推薦文みたいです)
この言葉に、まったく同感です。
言葉・思想を扱うという、難易度の高い、デリケートな問題が、
翻訳であることを感じさせずに伝わってくる。
特殊な術語や、奇妙な造語、あるいはカタカナ表記に逃げていない。
例えば、形(フォーム)の章。
形態(フィギュア、ゲシュタルト)、形状(シェイプ)、形式(フォルム)
という訳し分け方一つとっても見事です。
言葉(日本語)が、大事にされています。
複数の訳者にもかかわらず、一貫性の欠如もありません。
入念な読み合わせをされたこと、監訳者が実質的な作業にきちんと
立ち入られたことが、一目瞭然です。
ふだん翻訳書を読むときに、翻訳者のことは意識しないのですが
(よっぽどまずい場合は別です)、
翻訳だということが意識に上らないほどに巧いと、
意識するものだなと気づかされました。
こうした優れた本を、坂牛さんをはじめとした皆さまが、
静かな情熱をもって翻訳されたことは、
私が言うまでもなく、日本の建築文化への多大な貢献だと思います。
後から来た小人が、巨人の肩の上に乗ることができます。
良書の刊行は、情熱と引き換えにしてしか割に合いません。
まさに献身です。だから、言いたいのです。
お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。
※コメント欄にはリンク機能が無いので、記事にしました
始めまして坂牛です。
いただいた賛辞を素直に喜んでいます。
しかしクレジットを明らかにしておくなら、いまで無かったのこうした本をロンドンで発掘してきくれたのはもう一人の監訳者邊見浩久です。彼は僕の大学時代の同級生で学部時代はディビッド・スチュワートのもとでコルビュジェ論を書いた仲間です。僕等は卒論はすべて英語で書きましたが、彼はロス生まれで日本語より英語の方がはるかにできる人でした(す)。
また訳に対するお褒めの言葉をいただくに値するのは私が後書きに書いた共訳者の面々です。人文系の彼等は日本語に対する鋭敏なセンスを持ち合わせていたと思います。それゆえ訳語一つで読み合わせが30分とまることもしばしばだったと記憶します。
いずれにしても、いろいろな偶然が重なった成果これです。高い本ですがひとりでも多くのひとの目に触れ、建築業界のあいまいな言葉の使用に多少なりとも指針を与えられれば喜ばしい限りです。
いただいた賛辞を素直に喜んでいます。
しかしクレジットを明らかにしておくなら、いまで無かったのこうした本をロンドンで発掘してきくれたのはもう一人の監訳者邊見浩久です。彼は僕の大学時代の同級生で学部時代はディビッド・スチュワートのもとでコルビュジェ論を書いた仲間です。僕等は卒論はすべて英語で書きましたが、彼はロス生まれで日本語より英語の方がはるかにできる人でした(す)。
また訳に対するお褒めの言葉をいただくに値するのは私が後書きに書いた共訳者の面々です。人文系の彼等は日本語に対する鋭敏なセンスを持ち合わせていたと思います。それゆえ訳語一つで読み合わせが30分とまることもしばしばだったと記憶します。
いずれにしても、いろいろな偶然が重なった成果これです。高い本ですがひとりでも多くのひとの目に触れ、建築業界のあいまいな言葉の使用に多少なりとも指針を与えられれば喜ばしい限りです。
2006/01/08 Sun 23:38 URL [ Edit ]
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