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東京中央郵便局

日本における真の「保守」というのは非常に難しいのである。歌舞伎座に関する知事もそうだけど。



鳩山総務大臣の言われることは、死刑の執行に関しても妥当だと思って来た例が多いのだが、中央郵便局の保存に関してだけは、同感できない。
都心にある中央官庁の建物で残さなければならないほどの美的なものはほとんどない、と言ってもいいだろう。
そもそも、文部科学省のあの醜悪な建物の前面を一部残したのにも、私はほんとうにびっくりした。そのことによって大切な空間の利用がどれだけ損なわれたかしれない。
鳩山大臣は、中央郵便局には思い出があるからと言われたが、おそらく文科省の建物にも、文部官僚は思い出があるから残したに違いない。しかし行政は同窓会の論理で動くべきものではない〈中略〉
思い出の場所などというものは、思い出だけで充分なのだ。
歌舞伎座もそうだが、コンクリート造りの戦前の建物などに、文化財保護の目的に叶うものなどほとんどないだろう。木造や、せめて煉瓦建てなら、保存しておきたいものがあるかもしれないが〈中略〉
今の歌舞伎座に行くには、近くの地下鉄の出口にエレベーターもエスカレーターもないので、障害者や高齢者は苦労している。新しい建物になれば、そうした不便も解消されるし、古い建物が、地震の時の災害から人命を守りきれない危険もなくすことができる。〈中略〉
昔戦争の時、私の母たちの世代は、愛着のある指輪や装身具をお国のために供出した。今、国民は公共の利益のために自我を棄てるなどということを全く教えられておらず、従って考えることさえ悪だと思っている。そういう利己主義があらゆる面で、社会を硬直させている。
2009年3月18日(水)産経新聞朝刊「曾野綾子の透明な歳月の月」



昨日までのものを大事にしない者が、いったい国の何を保てるのか? とも思うが、まあ「保守」という考え方が、世界文明の中心国に特殊なもので、その猿真似も、猿真似を嗤うのも、同じ穴のムジナかもしれない。
一気に太古―や西洋、むろん共に仮想の―に飛んでしまうロマンティシズムという点では、日本におけるいわゆる保守も進歩主義者も一緒で、結局そこには行けないので現状に荷担する勢力に終わってしまいがちだった。お守りみたいなものだった。
今回の記事のことは、矢代眞己さんから田島恭子さんを通じて教えていただいた。
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