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2009.03.05
「東京中央郵便局を重要文化財にする会」と鳩山総務大臣の面談の詳細

先ほど「東京中央郵便局を重要文化財にする会」の事務局長である多児貞子さんから、発起人および賛同者宛のメールが届いた。
ご了承をいただいたので、以下に全内容を転載して、せめてもの手助けとしたい。
「東京中央郵便局を重要文化財にする会」の活動には、全面的に賛同している。
本blog中の「東京中央郵便局」関連記事一覧
http://kntkyk.blog24.fc2.com/blog-category-25.html
発起人および賛同者の皆様へ
すでに新聞等の報道でご承知のことと存じますが、昨日、鳩山総務大臣に面談いたしました。
当方からは、前野代表、南、山本、大橋の各運営委員及び事務局長多児が出席。
また、皇居周辺の景観を守る活動をされている五十嵐敬喜法政大学教授ら、合計9人でした。
総務大臣は、重要文化財に指定したいが日本郵政が受け付けてくれない、と。
その後、当会からの要望書を前野代表から手渡し、南運営委員が内容を説明いたしました。
海外では、郵政事業を民営化しても庁舎は転用したりして残している、民営化のために壊すのは
日本くらいと。また様々な疑念についても調査をお願いいたしました。
また、調査工事といいながら、削岩機で壊す音が外まで響いていることを訴えました。
会談後、前野代表が記者からの質問を受けている最中に、大臣が中央郵便局の現場に行った、との
情報が入り、マスコミの方々と追いかけました。
添付の写真は、佐藤弘弥氏撮影です。
2009年3月4日
東京中央郵便局を重要文化財にする会
事務局長 多児貞子
以下:「東京中央郵便局を重要文化財にする会」から総務大臣・鳩山邦夫宛の「東京中央郵便局庁舎の重要文化財指定に関する要望書」(2009.03.04)



※兼松紘一郎さんの記事
旧東京中央郵便局
旧東京中央郵便局のどこが重要文化財と言えるのか理解しがたい。この建築物を模倣した建築物が現れなかったから、希少価値があるというのだろうか。この建物が重要文化財と言えるのなら、重要文化財の数は恐らく現在の100倍程度なるであろう。
2009/03/07 Sat 12:12 URL [ Edit ]
倉方俊輔
「旧東京中央郵便局」さん、コメントありがとうございます。
意見を書き込むのは勇気がいることで、批判にはもっと勇気が必要ですから…。
さて、「模倣した建物が現れなかったら」という一文、実に文化財の核心を突いています。時代の一般と、時代の特殊。どちらがより残すべき価値があるのか。理論的になかなか難しい問題を提起されています。
では、「残せ派」(と仮に命名しますが)は「この建築物を模倣した建築物が現れなかったから、希少価値がある」と考えているのでしょうか。どちらかというと、その逆ではないか。すなわち、《模倣したものが現れた先駆者(で完成度も高く、同種のものがあまり現存していない)から価値がある》といった評価が近そうです。
これは勝手な思い込みではなくて、例えば「法隆寺」(は国宝ですが)を主語にしても、《模倣したものが現れた先駆者(で完成度も高く、同種のものがあまり現存していない)から価値がある》という文章は(「旧東京中央郵便局」さんから借りた「模倣」の語が曖昧であることに目をつぶれば)成立しそうですから、「残せ派」も同じ論法を使ってくるに違いありません。
そう考えると「この建築物を模倣した建築物が現れなかったから、希少価値があるというのだろうか」という批判が効果的かどうか、良く分かりません。「法隆寺」と「東京中央郵便局」の質の差を語るべき時が来たようです。どこかでアピールしてください。
次に「この建物が重要文化財と言えるのなら、重要文化財の数は恐らく現在の100倍程度なるであろう」という一文。これも、たいへん重要なご指摘です。実際に日本の「現在の100倍程度」の歴史的建造物をリストアップしている国はあります。
「先進国」の例で恐縮ですが、「登録数が比較的少ないアメリカでも日本と一桁違う数万棟が、ドイツやイギリスでは数十万棟が登録されて」(後藤治『都市の記憶を失う前に―建築保存 待ったなし!』白揚社、2008、p.135)います。これらは日本の登録文化財に近いものですが、場合によっては重要文化財に匹敵する規制力と優遇措置を持ちます。
なお、そもそも「重要文化財」の概念も、だいぶ変化しています。連想しやすい古寺などだけでなく、昭和のダム(白水溜池堰堤水利施設他)や鉄道施設(清水港テルファー他)、和風邸宅(泰山閣他)などが次々に重要文化財になっている昨今。それらに比べて、東京中央郵便局はそれほど特異なのでしょうか?
もちろん、こうした近年の重要文化財の拡大の善し悪しは論議できます。「文化財」とは、われわれのものです。なので、意見は闘わされるべきでしょう。
それにしても、「重要文化財」という言葉を使った瞬間に、議論が喚起されます。残したいだけなのに「東京中央郵便局を重要文化財にする会」と命名した。その戦略性が、改めて浮彫りになります。
意見を書き込むのは勇気がいることで、批判にはもっと勇気が必要ですから…。
さて、「模倣した建物が現れなかったら」という一文、実に文化財の核心を突いています。時代の一般と、時代の特殊。どちらがより残すべき価値があるのか。理論的になかなか難しい問題を提起されています。
では、「残せ派」(と仮に命名しますが)は「この建築物を模倣した建築物が現れなかったから、希少価値がある」と考えているのでしょうか。どちらかというと、その逆ではないか。すなわち、《模倣したものが現れた先駆者(で完成度も高く、同種のものがあまり現存していない)から価値がある》といった評価が近そうです。
これは勝手な思い込みではなくて、例えば「法隆寺」(は国宝ですが)を主語にしても、《模倣したものが現れた先駆者(で完成度も高く、同種のものがあまり現存していない)から価値がある》という文章は(「旧東京中央郵便局」さんから借りた「模倣」の語が曖昧であることに目をつぶれば)成立しそうですから、「残せ派」も同じ論法を使ってくるに違いありません。
そう考えると「この建築物を模倣した建築物が現れなかったから、希少価値があるというのだろうか」という批判が効果的かどうか、良く分かりません。「法隆寺」と「東京中央郵便局」の質の差を語るべき時が来たようです。どこかでアピールしてください。
次に「この建物が重要文化財と言えるのなら、重要文化財の数は恐らく現在の100倍程度なるであろう」という一文。これも、たいへん重要なご指摘です。実際に日本の「現在の100倍程度」の歴史的建造物をリストアップしている国はあります。
「先進国」の例で恐縮ですが、「登録数が比較的少ないアメリカでも日本と一桁違う数万棟が、ドイツやイギリスでは数十万棟が登録されて」(後藤治『都市の記憶を失う前に―建築保存 待ったなし!』白揚社、2008、p.135)います。これらは日本の登録文化財に近いものですが、場合によっては重要文化財に匹敵する規制力と優遇措置を持ちます。
なお、そもそも「重要文化財」の概念も、だいぶ変化しています。連想しやすい古寺などだけでなく、昭和のダム(白水溜池堰堤水利施設他)や鉄道施設(清水港テルファー他)、和風邸宅(泰山閣他)などが次々に重要文化財になっている昨今。それらに比べて、東京中央郵便局はそれほど特異なのでしょうか?
もちろん、こうした近年の重要文化財の拡大の善し悪しは論議できます。「文化財」とは、われわれのものです。なので、意見は闘わされるべきでしょう。
それにしても、「重要文化財」という言葉を使った瞬間に、議論が喚起されます。残したいだけなのに「東京中央郵便局を重要文化財にする会」と命名した。その戦略性が、改めて浮彫りになります。
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