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コマツビル01

けっこう目立つ60年代製ビル。東京・溜池の交差点に面しているので、外堀通りからも、六本木通りからも、良く見える。
首都高がここでカーブしているので、車からの視線も奪う。今は隣の敷地が建て替え工事で更地なのでなおさら、外壁の六角形の繰り返しが目に焼き付く。
その存在は通るたびに気になっていたのだが、『東京建築ガイドマップ』を出した時には深く調べないままで、「日経アーキテクチュア」の連載「ドコノモン100選」を始める時になって調査を行った。

コマツビル02

すると分かったことは、この1966年につくられたコマツの本社ビルが2人のモダニズム建築家の共作であることだ。
一人は、「無責任男シリーズ」の撮影にも使われた - 今でもある - 「大和證券ビル」(1956)や「真駒内屋内スケート競技場」(1972)などを手がけた中山克己。
もう一人は、レーモンド事務所から巣立ち、「最小限住居」(1952)、「成城学園」(1958-)などを設計した増沢恂である。
両方の事務所で聞いた内容をまとめると、増沢建築設計事務所の側が主にデザインし、中山克己建築設計事務所がサポートにあたったようだ。

コマツビル03

外壁はすべて耐力壁になっている。壁の内側には鉄骨。当時の高さ制限31mの中で、室内の梁丈をできるだけ小さくして天井高をかせごうという構造の工夫を、率直に反映した結果が、特徴的なファサードの六角形の窓である。
そんな説明で、だからこれは時代を反映した「モダニズム建築」なのだ、とまとめようとすると、異議を唱え始めるのが大理石張りの外壁・・・考えてみると、どちらの建築家からも出てきそうにない要素だ。
ここで、あと一人の人物に登場してもらう必要がある。それはケンプラッツの記事で。

*「建築浴MAP」(googleマップ)で所在地を見る
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