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2009.02.23
長谷川豪さん「狛江の住宅」について

長谷川豪さんの新作「狛江の住宅」は面白かった。「新建築住宅特集」2008年4月号や「JA 80」などで以前から予告されていた住宅だけに期待して訪れたのだが、正直、初めはピンと来なかったのだ。


約110平方mの敷地のうちの約40平方mをつかって、天井の高い空間を木造で立ち上げ、ほぼ同じ床面積のコンクリート造の空間を隣に埋める。このコンクリートのボックスは地上から90cmほど顔を出していて、その上部が庭になっている。
つまり、《地上のリビング+ダイニングキッチン》+《半地下の個室+水回り》+《道路からやや高くなった庭》という、明確に区分された3つの領域から成っている。一般的な住宅の常識をくつがえす構成でもある。


初めにピンとこなかったのは、にも関わらず、3つの領域が予想していたほど劇的に転換しないからだろう。「コントラスト」の欠如と言い換えてもいい。
もちろん、これはしばらく眺めた後で出てきた感想で、最初はリビングに窓が多すぎるのではないか、しかも窓の形が無造作ではないか、地下のトップライトはもっと壮観になるだろうといった、脊髄反射のような思いがよぎったというのが正直なところだ。
玄関のドアを開けたり、リビングの階段を降りたり、半地下から階段で庭に上がった時に、もっとエッジの立った劇的な体験があるかと思ったら、そうでも無い。
この裏切られた感は、こちらの勝手な期待がもとになっている。「建築家」の住宅らしい大胆な構成だから、それを強調されているに違いないという先入観にもとづく期待だ。コントラストの「欠如」なんて言ってしまうのも、絶対的な欠如というよりも、こちらの期待に反して、という位の意味である。


そうした期待を裏切っているのは、設計者の落ち度によるものではない。それが設計意図に深く関わることは、「コントラスト」の欠如が、「狛江の住宅」の全体に見られることからも分かる。
木造部分の外装とコンクリート、および室内の仕上げは、もっと素材と構成の違いを引き立てるようにできるはずなのに、そうなってはいない。白からグレーの色調の中に溶け込んでいる。むろん、これは訪問日が曇天だったから余計にそう感じるので、晴れた日には外装材が光を反射するだろう。しかし、それでも周囲の住宅地の中で浮き立つほどの存在感を誇示するとは思えない。


曲線の使い方もそうだ。基本的に矩形をなすこの住宅の中で、曲線(曲面)は次の箇所だけに使われている。外部からリビングにつながる玄関、リビングから半地下に下りたところの壁、半地下から庭に上がった部分の3か所である。どれも3つの領域の「あいだ」にあたる部分だ。これも「コントラスト」を下げる働きをしている。
言うまでもなく、道路からやや高くなった庭という計画自体、周囲からの際立ちを避けようとしたものである。


以上の話と直接に関係するかは分からないが、「狛江の住宅」には、頬が緩むようなディテールがある。
リビングの床面近くに開けられた穴は、何だろうと思って外にまわったら郵便受けだった。
半地下につづく階段をかこむ壁をよく見ると、照明のスイッチが仕組まれていた。これらは遊びといえば遊びだが、外部と内部をつなぐ郵便受けや、人間と建物の間にあるスイッチへの興味は設計者の「あいだ」をつなぐものへの関心を示しているようにも思える。
これまでの設計にも見られたそうした性格が、如実に現れたのが「狛江の住宅」ではないか。


こうして、初めにピンとこなかった設計者の狙いは、自分なりに合点がいった。
では、この住宅が設計者の狙い通り、周囲の環境と家族の生活の間にあって、それらを取り結ぶようなものになるのか?
オープンハウスの段階では、まだ分からない部分もあったと言い添えておこう。
リビングの大きな開口部は、隣家の目線が直接に入る位置にある。そこにカーテンか何かが取り付いた時には、どういう効果が生まれるのか。あるいはエッジの立った壁面と天井の取り合いやクールな素材感といった「建築家」の住宅らしい仕上げが、本当にこの住宅の狙いに適しているのか。個人的には、想像を膨らませる余地があったのである。
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