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阿知須合同納骨塔_倉方01

日本には、まだまだ思いもかけない近現代建築がある。それを発掘する「ドコノモン100選」という連載を「日経アーキテクチュア」誌で持っている。
第13回となる2009/2/9号では、山口県山口市の「阿知須合同納骨塔」を採り上げた(日経BP社のケンプラッツに登録している方ならこちらで記事を読める)。1967年に完成。今も当時の姿を残すが、これまで建築的に紹介されたことは無いのではないか。

阿知須合同納骨塔_倉方04

まずは形に目が行った。三角錐のような形態は、町外れの小高い丘の上に立っているので、より目立つ。子どもが描く宇宙基地のようでもある。
中に入れば、さらにその「進歩性」に打たれる。これは公共(当時の阿知須町)でつくった納骨堂なのだが、お骨を収めるロッカーがまさに「ロッカー」なのだ。鉄板を折り曲げてつくった無装飾のロッカー。その片隅には、丁寧にも「阿知須町備品」のシールが貼られている。確かに、これで、十分だ。その即物的な割り切りに、後ろを振り返らないアジア新興国家の威勢というものを連想せざるを得ない。
これが旧墓地の再編として造られたと知れば、なおさらである。まちなかにあった近世以来の墓地が市街発展の障害になるという考えから、短期間のうちに行政主導で移転が実施された。以前の墓石が切り刻まれ、納骨塔の基壇として再利用されているというのも、なんとも象徴的だ。
市街地再開発によって生まれた死者の団地。これも「モダニズム」の成果と言えなくもない。

阿知須合同納骨塔_倉方03

ご好評をいただいて、今回から連載のページ数が1から2に増え、文字数も増加した。おかげで、歴史的背景なども書き込めるようになった。
それでも、分量の関係もあり、「日経アーキテクチュア」誌上で触れなかったことがある。
「阿知須合同納骨塔」の源流は何かということだ。これだけの計画-意匠が1967年に突如として出現したとは考えにくい。発想の基になったものがあるはずだ。

阿知須合同納骨塔_倉方06

戦時下の忠霊塔が、それではないか。
集合する死者の記憶が、「郷土」のモニュメントとして小高い丘に立つ。例えば、大連の忠霊塔のような存在が、納骨塔というこの新たなビルディングタイプを自然なものにした。そう推測してしまうのである。公式の資料に手がかりはなく、集合墓地の系譜もまだ精査していないので、あくまで臆断だが…。

阿知須合同納骨塔_倉方02

「忠霊塔」が、実は1945年を越えて、高度成長期の「納骨塔」に引き継がれていた。やや意外な結論に戸惑うが、両者が一世代(四半世紀)しか離れていないことは確かなのだ。

*「建築浴MAP」(googleマップ)で所在地を見る
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