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2009.02.06
磯崎新「カザルスホール」と都市

[前々エントリ、前エントリから続く]
10+1のウェブサイトの「特集|書物・言葉・眼差し──2008年の記憶|アンケート」で書いた本のうち、平松剛『磯崎新の「都庁」』は他の方も挙げていた。
そんな磯崎新の手による、数少ない東京の建築が無くなるかもしれない。
お茶の水の「カザルスホール」は、1987年に主婦の友社によって建設され、2002年に日本大学の手に渡った。同館が2010年3月で閉館することを、2009年2月4日付の朝日新聞は伝えている。記事によれば「建物自体を残すかどうかは未定だが、敷地は大学の施設として使う予定」という。

この「カザルスホール」(完成時の雑誌表記は「お茶の水スクエア」)。磯崎建築として語られることはほとんどないが、いかにも彼らしい。前から好きな建築である。
もともとここにはウィリアム・ヴォーリズの設計で1925年に完成した「主婦の友社社屋」が建っていた。現在の建物は、その外形と一部のデザインを踏襲して、磯崎アトリエが設計したものだ。1980-90年代に流行った、いわゆる「イメージ保存」の一つ。しかし、その効果をこれほど生かした建築が、他にあるだろうか。

エンターブラチュアを貫通する正方形の窓や端部の廃墟的な処理、誇張された曲線…。どこまでが元々の資質で - ヴォーリズ建築には確かに様式主義末期の分裂と、親しみやすい素人っぽさがある -、どこからが磯崎新の個性 - 例えば「つくばセンタービル」(1983)のような - か判別しがたい効果に、デザインの狙いがある。
竣工時の説明によれば、当初は旧建物の再利用を計画していたが、実施設計の直前になって解体復元に変更された。したがって、プランは以前のものが踏襲されたという。
建設は、金銭や期日といった必然によって、偶然のように要素が決まり、その拘束条件がもとになって次の要素が決まり・・・しかしできあがってしまうと、それはひと息に与えられたもののように錯誤されてしまう。絵画にしても、小説にしても、「作品」という概念はそういうものだ。

磯崎はそうした「錯誤」を意識的に活用する。そのことが、ここでは見えやすくなっている。新たな設計者にとっていかんともしがたい細部を持ちながら、確固とした「保存」のよりどころもない「イメージ保存」という枠組みを利用して、過去に戻るのでも白紙からの創造でもなく、事後的な効果を狙って設計を行っている。

1月28日に東京工業大学で開かれた公開シンポジウム「アーキテクチャと思考の場所」でも、磯崎から自分は「都市デザイナー」として設計しているという発言があったが、磯崎は理性で乗り越えられず、事後的に意味が生成されるものとして「都市」を見た。
前々エントリの言葉を再び使えば、「都市」とは「過去の意図や自然条件の織物を目の前に拡げられて、その事後的にしか読み解けない(それだけに豊か)な有り様」なのである。
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