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Googleマップ「ストリートビュー」倉方俊輔 02

昨日に引き続き、村野藤吾(村野・森建築事務所)が設計した東京の建物を、googleマップの「ストリートビュー」機能を使って紹介。

今後「ストリートビュー」は、対象範囲が拡大されていくだけでなく、すでに対象の地域でも随時が更新されていくのだろう。それが数か月に一度なのか、数年に一度なのか分からないけれど…。そして、以前の画像データも消去されることはないはずだ。普通には見えない場所で保管されていることだろう。
とすれば、数年後、数十年後には、その時点で公道に面したどの場所に、どんな建造物があったかが集積されていることになる。まるで、Mac OS X Leopardの「Time Machine」(2007/10/27の関連記事)のように、任意の時点の映像にさかのぼれることになる ― それに加えて、将来の「ストリートビュー」機能はさらに強化されているはずだ。3D化とか?
「自らのミッションを『世界中の情報を組織化(オーガナイズ)し、それをあまねく誰からもアクセスできるようにすること』と定義している」(梅田望夫『ウェブ進化論』p.50)googleだからして、それらのデータもまた無料で提供されることは容易に想像できる。
この時点で道路ができたとか、橋が開通したなどの土木的な出来事も含めて、都市景観の変遷そのものが永遠に記録されるわけだ。そうなってくると単に建築研究に影響を及ぼすだけでなく、我々の記憶のあり方も変化を余儀なくされるに違いない。それが良いことか悪いことか分からないけれど、事態はそこまで行っている。



■日本生命日比谷ビル/日生劇場(1963年)千代田区有楽町1-1-1[ガイド解説04-33]

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[解説]
日本生命の創業70周年を記念し、東京での知名度を上げるシンボルにしたいという5代目社長・弘世現の希望によって建設された。
通りをはさんでフランク・ロイド・ライトの帝国ホテル(1923年)が建ち、裏側には昭和戦前の宝塚劇場(1934年)、隣には日比谷三井ビル(1960年)。そんな環境を意識して設計されたが、帝国ホテルと宝塚劇場は今は建て替わり、日比谷三井ビルも再開発が決まっている。しかし、この建物は日本生命の誇り。壊せないだろう。

■内幸町ダイビル(1982年)千代田区内幸町1-3-3

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■麹町ダイビル(1976年)千代田区麹町5-7-1[ガイド解説04-03]

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[解説]
「ポストモダニズム建築」もびっくりのゴシック様式的なオフィスビル。しかし、印象ではそうであっても、具体的な細部意匠は似ていなかったりする所が、また面白い。

■南部ビル(1980年)千代田区紀尾井町3-3

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■迎賓館(赤坂離宮、1974年改修)港区元赤坂2-1-1[ガイド解説9-34]

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[解説]
片山東熊の設計で1909年に赤坂離宮として竣工した。戦後、一時期は図書館などに使われた後、建設省から村野に声がかかり、改修デザインに助言を行った。
一見変わっていないようだが、オリジナルでは黒色と金色だった周囲の柵を、白色と金色に塗り替えるなど、宮殿から迎賓施設への転用という目的に配慮している。

■早稲田大学文学部校舎(1962年)新宿区戸山1-24-1[ガイド解説]

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[解説]
「ストリートビュー」は大学施設には弱い ― キャンパスの中には入れない ― ので、あえてこの角度から。スレンダーな高層棟が、威圧感の少ないシンボル性を獲得している。

■常陸宮邸(1976年)渋谷区東

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[解説]
当然ながら見えません。

■目黒区総合庁舎(千代田生命本社ビル、1966年)目黒区上目黒2-19-15[ガイド解説11-07]

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[解説]
東洋一のオフィスを目指した千代田生命本社ビルだが、2000年に会社が経営破綻。外資の所有になった後、目黒区の総合庁舎として生まれ変わった。公共施設に厳しい安全性が求められる世の中だが、デザインに配慮した改修で、村野らしさは健在。入口のキャノピーは、ゆったりととられた前室、そして優雅な階段へと続く前奏曲だ。

■グランドプリンスホテル高輪貴賓館(竹田宮邸洋館、1972年改修)港区高輪3-13-1[ガイド解説12-32]

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[解説]
迎賓館(赤坂離宮)と同じ片山東熊の設計(木子幸三郎・渡辺譲と協同)で1911年に完成。西武鉄道グループとの一連の仕事の一つである。

■グランドプリンスホテル新高輪(新高輪プリンスホテル、1982)港区高輪3-13-1

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[解説]
そして、西武鉄道グループの総帥・堤義明の実現であろう建物が、これ。ホテルの収容人数が約2000人、大宴会場はそれ以上の人数に対応可能という「数」の時代の最後の巨艦。その形を任された村野は、単調さを可能な限り回避し、この物量でしかできない空間を実現しようとした。
とにかく、こんなものは二度と建たないだろうと思わせる。「昭和遺産」にしたい建物だ。

■ルーテル学院大学(日本ルーテル神学大学、1970)三鷹市大沢3-10-20[ガイド解説16-09]

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[解説]
教会や教室、寄宿舎がつながって設計されている。大地から建ち上がったような外観。幾度にも屈折する外光の採り入れ。有機的な感覚と機械的な表現がない交ぜになったようなデザインが魅力的だ。
粗い吹付仕上げによるモノリシックな表現は、その後、現在開かれている「村野藤吾 建築とインテリア」展過去の関連記事)のポスターにもなっている谷村美術館(1983年)で追求されることになる。
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