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風景の解像力展01

7月5日に東京・京橋のINAX GINZAセミナールームで『風景の解像力 30代建築家のオムニバス』展のシンポジウムがあった。6月28日に続いての第2回だ(第1回のレポートはこちら)。当日は展覧会の最終日でもあった。
仕事の都合で15時20分に会場に入ると、すでに個別のプレゼンテーションは終わり、ディスカッションに移っていた。先週よりもペースが早い。一番左に司会の長谷川豪さんが座っている。右側に、藤村龍至さん、中村竜治さん、中山英之さん、藤本壮介さんと並ぶ。
関係者席も先週以上に埋まっていて、最前列しか空いておらず、ばたばたと入って雰囲気を乱してしまい、申し訳ない・・・。
予想通り、ディスカッションは、藤本壮介さんが威勢良く切り込んでいた。
席に着いた矢先にも、中国での見聞を皮切りにしながら、

四角いビルだけど認識によってああも見えると、こうも見えるよという読み方の問題ではなしに、新しい都市の形を僕らが構想できるのか。それを問いたい
〔前回のレポートに続き、各建築家の発言はメモに基づいた意訳です〕

と発言していて、その巨匠ぶりに痺れたのは、一番端に座っていた背の高い建築家の身振りが、斜めの角度で見事に決まっていた、ためばかりではないだろう。
もちろん、藤本さんの言葉は自分を含めた「僕ら」に向けられている。鼓舞し、おそらくは反論も待っているのであって、要するに、あえて前方に放り投げている。単純さを装い、提案することで前進しようとしている。藤本さんの建築にも通じる性格だと思う。

発言の分量では、中山英之さんが多かったかもしれない。中山さんといえば「かわいいスケッチ」である。それが本人にとって得なのか損なのか分からないが、今回の展覧会でも出展物はスケッチだけだったので、中山さん自身がそれを引き受けているとは言えるだろう。
司会の長谷川豪さんは冗談めかして、会場へのサービスも意識して、「スケッチはどこで止めるのか、いつもはぐらかされてしまうので、今日はそれを聞かせてほしい」というようなことを、何度も尋ねていた。ある時は以下のような答えだったと思う。

ずるいかもしれないけど、僕のは経験則で、決定を遅らせるほどよいと考えている。ある程度の幅を持たせておいて、問題が起こらないようにする

調整的であることが建築的であること、という考え方を示した後で、こう続けた。

今は小さい規模なので、手綱の締め方は感覚的にできるが…

ここでディスカッションの全体について触れてしまうと、藤本さんにしても、中山さんにしても、小テーマとして差し出したボールが十分に展開されていない嫌いはあった。つまり、「30代建築家の40代」という未来に続く(ということは会場に来ていた20代にも役立ちそうな気がする)テーマが。
同じ「30代」でも、四捨五入して30歳と40歳とでは、自ずとスタンスが違ってくるのかもしれない。

中村竜治さんは、あまりしゃべらない。他のパネリストと比べれば、発言の分量は一ケタのオーダーで少ない。にもかかわらず、メモを読み返すと、書きとめた分量はそこまで劇的には違わない。

美しいと思うのは本能で、本能の中には自然が含まれている。だから、本能を利用するのがいいと思っています

といった発言が説得力を持っていて、書きとめてしまうのである。熟成された中村さんの言葉は、そのまま文章になるくらい正確だ。
吉村順三さんだ、と思った。お会いしたことは無いので、著述などを読んでの勝手な印象に過ぎないが、その言葉のシンプルな強さを思い出したのだった。
中村さんの朴訥は、どんなしゃべりの巧さよりも、同世代の建築家と差別化している。しかも、悪い印象を抱く人は日本人にはまずいないだろう。戦略だったら凄いが、そうは思えない。作っているものが有無を言わせないくらい強靭で無い限り、どう考えても、不利な選択だからである。
吉村順三の名を挙げたのは、素材の声を聞くアントニン・レーモンドから吉村順三の系譜と、中村さんの創作態度の一端が重なるからだ。
しかし、できたものの感触はまるで違う。中村さんのそれは、デジタルな視界を経験した後に見えてきた「もの」だからである。それは強靭で、自ずと多くを語る。中村さん自身が、その声をかき消すようなことはない。

藤村龍至さんが、議論と同じくらい、建築そのものが好きだということは、ディスカッションでよーく分かった。ディスカッションの後半で、藤本さんが自分のつくった建築のフィードバックについて質問を投げかけると、

2日前から自分たちの設計したBUILDING Kに事務所を移したのだけど、使うって全然違う。感動している

と熱っぽく語り始める。長谷川さんが「どこが違うの?」と畳み掛けると、「とにかく違う」と。好感が会場に広がる。
もちろん、そんな感覚的な話ばかりをされていたわけではなく、「批判的工学主義」の主張は理路整然としていて、建築家としての責任感に満ちていた。しかし、私も含め、それは『建築雑誌』6月号や『JA』第70号で既に読んだ ― どこまで理解されたかは別として ― 内容であって、今日の成果はそこに現れない藤村さんの生の声だった。ただ、あまりにナイーブな発言であることは確かだろう。藤本さんが苦笑していた。
俎上に乗ったのは良いのだが、その上で跳ねている時と、下から論じている時のギャップをどう理解すべきか、手がかりくらい与えてほしい。そう望むのは無い物ねだりか?

風景の解像力展02

前回に引き続き、「それでは、レポートを書いていただく会場の倉方さん」と、急に振られたので、ディスカッションの後半の噛み合なさの理由について思うところを述べた。自分のことを書くのも何なので、割愛する。
その後、社会学者の南後由和さんが、私の発言を引き取ってくれた上で、さらに新たな展開へと持っていった。会場が暖まってきた。その中から、共通性を浮かび上がらせた質問を一つ。

南後由和:今回の他の建築家と自分はどこが共通するか、あるいはどこが違うと考えているか、お聞かせください
藤本壮介:『JA』ができてみると、自分のだけ違っていた。字も大きいし、写真も強い。何でこいつだけ誌面の声が大きいんだろう、と感じた(笑)
中山英之:他の7人と僕はまったく違う人間だと思っているし、思いたい。自分独自のものが共有されると信じている
中村竜治:個人的な思いの中に普遍性がある、というところが共通しているのではないか
藤村龍至:目指している空間やモデルには違いはないと思う


14時に始まった第2回のシンポジウムは、予定の17時を30分ほど過ぎて終了した。
このレポートも何とはなしに総括。今回の『JA』第70号と1週間の展覧会と2回のシンポジウムが、2008年の建築界の一断面を焼き付けたことは間違いない。
もちろん、まだ何も終っていない。というより、始まってもいない。打ち上げで、誰かが「あ、今回の8人が全員『国立大学』だ」と指摘していて(国内の最終学歴で言うと、東京芸術大学4、東京工業大学2、東京大学1、京都大学1)、「確かに、面白い」と思ったのだが、それ以上に、だからどうしたというものでもないだろう。
今回の8名は、今のジャーナリズムに出ている30代建築家というセレクトとしては、かなりの程度、妥当なものだろうが、元来そんなセレクトの前提条件が流動的である。

シンポジウム終了後、集合写真を撮ろうということになった。パネリストやスタッフが集合する。
この写真も後から見れば、歴史的な資料になるかもしれない。あの大家がこんなところで同席していたのか、と回顧され、「前列右から○○、○○、一人おいて○○」とキャプションが入るような…。「『おかれない』ようにしたいですよね」と軽口を叩いたら、意外にうけてくれたので、ほっとした。
シャッターを切ったのは『JA』編集長の橋本純さんだった。

風景の解像力展04 打ち上げで挨拶する長谷川豪さん

風景の解像力展05 わずか2時間で撤収完了

風景の解像力展06 二次会で挨拶する藤村龍至さん
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