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建築家吉田鉄郎物語06

「日本における近代建築の原点 ― 吉田鉄郎の作品を通して ―」と題されたシンポジウムが6月30日の18時から建築会館大ホールで開かれた(関連記事)。ほぼ満員の会場で、会は予定の20時を15分過ぎて終了した。
後半のパネルディスカッションも興味深いものだったが、前半に上映された、吉田鉄郎を追った特集番組が何しろ良かった。富山テレビの制作で、富山では5月19日に放映されたらしい。
他地域の方がこれを見られないのは、とても残念なことだ。約50分間の上映が終わって、建築という存在の面白さを教えられたような気がした。
特集番組のタイトルは「平凡なるもの ~建築家 吉田鉄郎物語~」。富山テレビ報道制作局の東亜希子さんがディレクターを務めている。シンポジウムの冒頭、東さんは促されて壇上に上がった。控えめな方にお見受けした。短い挨拶の中で、次のようなことを話された。

「皆さんの大きな手助けで番組を作ることができました。富山でしか放送されなかった番組ですので、たいへん嬉しく思います。〈中略〉今日は番組にもご出演いただいた吉田鉄郎の甥御さんである廣瀬龍夫さんがいらしていて、先日の東京中央郵便局の方針に『残してくれてありがとうとおっしゃられました。それをどう捉えたらいいか・・・私には分かりません。」

謙虚な言葉にもかかわらず、番組には制作者の思いがにじみ出ていた。事実に語らせ、声高でなく、分かったような単純なまとめなど無いだけに、思いはじんわりと強靭に伝わるものだった。
番組は吉田鉄郎の仕事の中でも、特に近年その行く末が問題になっている東京中央郵便局に焦点を絞る ― 2008年6月25日に外壁部分を「保存」した38階建ての超高層ビルへの建て替え計画が日本郵政によって発表された(プレスリリースPDF)
カメラは東京から吉田鉄郎の生まれ故郷である富山県南砺市福野町へ向かう。それだけではない。ドイツのチュービンゲンに、シュトゥットガルトに、スウェーデンのストックホルムにも飛ぶ。各地の映像を通じて、東京中央郵便局に織り込まれた意味を、私たちと一緒に読み解いて行く。

建築家吉田鉄郎物語04

番組のシナリオが巧みだ。まず、冒頭で吉田鉄郎の生原稿の発見というトピックを置いて眼を引きつけ、そこから主題である東京中央郵便局を登場させて、「控えめな白」というキーワードを提出する。
「控えめな白」は、「日本の伝統」と「モダニズム」という2つの吉田鉄郎のテーマの交点である。それを視聴者は、富山県福野町とシュトゥットガルトの取材から自然に理解するだろう。随所に挟み込まれる内田祥哉さんのコメントがいい。特に「壊したものは生き返らない」 と語る言葉。その説得力を文字で伝えらないのが、もどかしい。

建築家吉田鉄郎物語02

そして、再び焦点は東京中央郵便局そのものへ。「東京中央郵便局を重要文化財にする会」の活動を紹介した後、ストックホルム市庁舎の現状が取材される。東京中央郵便局が完成に向かうつつある時、吉田はヨーロッパを旅行し、以前から憧れていた北欧を訪れた。取材カメラは、歴史を経ても生き生きと使われている建築と都市を映し出す。その意味が何であるかを、無粋な言葉で要約することはしない。
その後、大阪中央郵便局、1956年に没するまでの吉田の活動、教育に情熱を燃やした日本大学で設立された「吉田鉄郎賞」の様子などが続く。最後まで見るものに考える余地を与えている。

建築家吉田鉄郎物語03

ここには構成力と取材力と、映像ならではの説得力があった。
本日のエントリーの最後に、番組のシーンを列記し、特に印象に残った言葉を「」内に記してみた。章立てと小見出しは、こちらで勝手に付けたものだ。制作の意図からはズレているかもしれない。
1で引きつけ、2で疑問を提示し、3と4に分岐して、5で一回り大きく結合して本題へ、6と7で完結するというつくりなのが分かる。こうした構成力は、文章でも真似したいものだ。普通だと吉田鉄郎の他の建物なども入れてしまいたくなるところだが、分量をちゃんと見切って、そうしなかったのがいい。
取材力も、個人でものを書く時に報道局と同じとはいかないだろうが、改めて心がけたいと思った。吉田鉄郎の生原稿も、福野町の離れも、今回わずか数ヶ月の取材で判明した発見である。
そして、映像による説得力。これは文章が残念ながら及ばないところだろう。欲しいところに映像が現れて理解を助け、しかも、言葉で理解させるのとは違う、要約できない情感が説得力を持つ。

ディレクターの東さんの思いは、番組そのものによって、しっかりと語られていた。とりわけ、解体の危機にある東京中央郵便局と、今も愛されるストックホルム市庁舎を対照させた内容によって。
ストックホルムに対する「古いものに敬意をはらい、建築の時代が積み重なる街」というナレーションは、当然ながら「それで東京は?」という疑問を喚起させる。映像が、建築と街の織りなす豊かさを伝え、説得力を持つ。人の行き交うストックホルム市庁舎の光景が、エンディングの人の姿が消えた東京中央郵便局の映像と重なって、ぐっとくる。
吉田鉄郎と中央郵便局のことを解説するだけならば、ここまで時間を割く必要はなかっただろう。これはテレビという手段を使って、一過性の情動を喚起しているのではない。私たち個々人が心の中に抱きながら、うまく言葉にできなかった感情を、要約して定着させ、共有できるものとして伝えているのだ。

建築家愛好家以外に向けて「モダニズム」が語られた番組は、これが初めてではないか? 「平凡なるもの ~建築家 吉田鉄郎物語~」は、東京中央郵便局や吉田鉄郎について知る最重要アイテムである。さらにそれを越えて、さまざまなものが読み取れ、意外な場所や時代にリンクする「建築」の面白さと責任を教えられる。
そんなわけで、何度も見たくなる番組なのである。一人でも多くの方の目に触れてほしいと思う。

※本エントリーの画像は富山テレビBBTスペシャルの番組紹介ページのものです



「平凡なるもの ~建築家 吉田鉄郎物語~」の内容メモ

■1 オープニング ― 吉田鉄郎の原稿の発見
・ドイツ南部の都市であるチュービンゲンで、吉田鉄郎の3冊の本の原稿を発見。
・ヴァスムート社社長、吉田鉄郎の本の重要性を強調。
・マンフレド・シュパイデル氏、ブルーノ・タウトが吉田鉄郎の東京中央郵便局を評価したことを解説。
・東京中央郵便局の概説。
・内田祥哉氏のコメント ― (吉田さんの建物は)「本当に贅肉がないんですよね」
・東京中央郵便局の建て替え計画が持ち上がっていることを説明。全体の予告。タイトル。

■2 東京中央郵便局の「控えめな白」
・東京中央郵便局の建て替え計画のきっかけは3年前の郵政解散 ― 「日本郵政は不動産事業を新たな収益源と位置づけたのです」
・早朝から日中までの東京中央郵便局の外観の光の変化を追う。「その秘密は建物の表面を覆うタイルの色にあります」
・小谷喬之助氏、吉田鉄郎のデザインの基本の色が白であることを解説 ― 「白といってもてらてら光り輝く白ではない。しっとりと落ち着いた白」

■3 第一のキーワード=「日本の伝統」 ― 吉田鉄郎の郷里・富山県福野町へ
・その白は、ふるさと・富山に降る雪の色だったのではないか。
・吉田鉄郎の生まれを紹介。
・吉田鉄郎が金沢の第四高等学校の在学時に描いた農学校の鳥瞰図を紹介。
・兄の洋画家・健三のアドバイスで東京帝国大学に進学した。
・吉田鉄郎の甥・廣瀬龍夫氏が吉田鉄郎の住んでいた場所を案内する。吉田鉄郎が設計した郵便局舎・住まいの一部である「離れ」が隣地に移され、残っていることを発見。
・「離れ」の設計図を発見。
・「離れ」の紹介。吉田鉄郎のデザインした襖には「東京中央郵便局と同じ控えめな白を思わせる」雪の結晶が描かれている。

■4 第二のキーワード=「モダニズム」
・内田祥哉氏が東京中央郵便局の窓について解説。
・「日本の伝統」ともう1つのキーワードは「モダニズム」。
・ヴァイゼンンホーフ・ジードルンクの解説。
・赤煉瓦の明治建築から鉄筋コンクリートの導入、関東大震災後の普及という日本近代建築の流れを解説。
・吉田鉄郎の『世界の現代建築』を紹介し、吉田の先見性を説明。

■5 解体の危機にある東京中央郵便局/今も愛されるストックホルム市庁舎
・内田祥哉氏が吉田鉄郎の作風を総括 ― 「壊したものは生き返らない」
・「東京中央郵便局を重要文化財にする会」の活動の紹介。
・会の事務局長である多児貞子氏のコメント ― 「よく見ると、実に計算された魅力的な建物」
・東京中央郵便局が完成に近づいた頃、吉田鉄郎は世界一周の海外旅行へ旅立った。ストックホルムで憧れの建物である市庁舎に出会う。
・現在のストックホルム市庁舎の紹介 ― 「完成から85年が経ったストックホルム市庁舎。今も市民のシンボルとして愛されています」
・吉田鉄郎が当時撮影したストックホルム市庁舎の16mmフィルム映像 ― 「鉄郎が映した建物は、今も現役の市庁舎として使われながら、当時のままの姿をとどめています」
・その他、コンサートホールや街並みも残されていることを紹介 ― 「古いものに敬意をはらい、建築の時代が積み重なる街」
・市庁舎の黒い八角形の柱が東京中央郵便局と類似していることを指摘。

■6 東京中央郵便局の後の吉田鉄郎
・大阪中央郵便局の紹介 ― 「ガラスにうっすらと紫色が使われたメカニカルな窓、直線でありながら、花のような優しさがあります」
・1944年に吉田鉄郎は逓信省を辞め、富山に帰る。1946年に日本大学の教授に就任。
・小谷喬之助氏の回想 ― 「細かく丁寧に指導してくださった」
・1949年に吉田鉄郎は脳腫瘍で倒れ、体の自由を奪われる。
・吉田鉄郎の口述筆記を担当した矢作英雄氏の回想
・1956年没。享年62歳。

■7 エンディング
・ドイツ南部の都市であるチュービンゲンで、吉田鉄郎の3冊の本の原稿を発見。手紙の最後の消印は、亡くなる8日前のものだった。
・『日本の庭園』で紹介された富山の民家の映像。
・業務の一部移転が行われ、人の姿が消えた東京中央郵便局の映像。
・日本大学の吉田鉄郎賞の受賞風景。
・「平凡な建築を日本中にいっぱい建てたという、吉田鉄郎。彼が残したもの、それは今も未来を切り拓く力として息づいています」。
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