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2008.06.23
原広司さん講演会「小さな『建築』としての住居」


「小さな『建築』としての住居」と題した原広司さんの講演会が、6月21日(土)に国士舘大学で開かれた。原さんを生で拝見したことはなかったので、興味津々で妻と赴いた。
定員約500名のホールは、開始時刻にはほぼいっぱい。学生が多いようだった。
同大准教授の南泰裕さんは、東京大学の原研究室の出身である。師の経歴を紹介する言葉の後、原さんが、写真で見慣れた少しルースなモノクロームのジャケットと白髪を、軽快に揺らしながら現れる。スタイリッシュである。
講演の良い所は、その人が著した文章の勘所が分かることだ。文章で何を一番に伝えようとしているか、(その人にとって当たり前なので)何が書かれていないのかが、効率よくつかめると思う。
「『あなたが偉い』と表現できる人は、歴史の中でも数少ない。その一人が数学者のリーマン」
「同じ時代の人は、それほど違うことを考えるわけはない」
「芸術が『建築』を支えているのは当たり前のこと。数学も芸術だ」
(※以下、原さんの言葉はメモ書きを参照しているので、必ずしも発言の通りでない)

「新建築」で担当されている異色の「月評」からも伺えるように、近年の原さんは以前にも増して「数学」にご執心だ。講演でも「半年間、何も設計しないで数学を勉強した」と話された。先に挙げた3つの言葉からも、その理由がはっきりと伝わってくる。
「同じ時代の…」に呼応するのは、「ル・コルビュジエは新しい幾何学をやろうとしたが、それは本質的には新しいものではなかった」という趣旨の発言だろう。背景には、建築における数学が ― 本来的には同時代的であるべきであるのに ― 数十年あるいは数世紀の遅れをとっているという意識がある。
原さんの中での数学は、これまで人間が体感的に受けとめていた、援軍の無かった弱い思考に対して「あなたは偉い」と言ってくれるものだ。それは、40年来の宿敵である「均質空間」に抗する。作り手が一つの価値を押し付けるのではなく、受け手がそれぞれに価値を発見できるような「芸術」の実現に、大いに力になると考えられている。いうなれば、ポストモダンの実現に。
最先端の数学は役に立つものではないのだが、数十年前の数学が不思議と、予期せぬ工学(=人間の役に立つもの)の手助けとなることは少なくない。であれば、その最後の応用が、どうやったって人間くさい「建築」に現れるというのは、論理的には納得がいく。
面白かったのは、終盤近くに提示された図式である。以下のようなものだった。
集合論 ・・・→ 群論 ベクトル解析 ⇔ 線形代数
↓ ・ ↓
位相空間 ・ 曲線と曲面 ― 微分幾何
| ・ ・ ・
| ・ ↓ ↓
| ・ 非ユークリッド幾何学
| ↓ ・
└─────→ 多様体 ⇔ 位相幾何学 ←┘
↓
これはどんな順番で数学を学習したら良いかという手ほどきの図。いわば、数学の世界地図である。これが地中海、中南米、東欧、中東、インド、西アフリカと、世界の共有関係を追って行く『集落への旅』(原広司著、岩波新書、1987)と重なってみえる。現地の発見を熱く語り、クールでリリカルな言葉と、見たことの無いような形態に置き換えて行く手腕も ― 対象がいわゆる具体的であるか抽象的であるかの垣根を越えて ― 同じである。
どうやら、「数学」は原さんにとって、新たな「フィールドワーク」の対象であるらしい。そこには旧来の「建築」の外部に触れるというワクワク感が連続している。それが人をこんなにも若々しく見せているのだと感じる。あぁ「建築家」だと思う。
「この世代の建築家の人って、男性として魅力的だよね」と、珍しく真面目に話を聞いていた様子の妻が帰り道で熱っぽく言った。

「『あなたが偉い』と表現できる人は、歴史の中でも数少ない。その一人が数学者のリーマン」
「同じ時代の人は、それほど違うことを考えるわけはない」
「芸術が『建築』を支えているのは当たり前のこと。数学も芸術だ」
(※以下、原さんの言葉はメモ書きを参照しているので、必ずしも発言の通りでない)

「新建築」で担当されている異色の「月評」からも伺えるように、近年の原さんは以前にも増して「数学」にご執心だ。講演でも「半年間、何も設計しないで数学を勉強した」と話された。先に挙げた3つの言葉からも、その理由がはっきりと伝わってくる。
「同じ時代の…」に呼応するのは、「ル・コルビュジエは新しい幾何学をやろうとしたが、それは本質的には新しいものではなかった」という趣旨の発言だろう。背景には、建築における数学が ― 本来的には同時代的であるべきであるのに ― 数十年あるいは数世紀の遅れをとっているという意識がある。
原さんの中での数学は、これまで人間が体感的に受けとめていた、援軍の無かった弱い思考に対して「あなたは偉い」と言ってくれるものだ。それは、40年来の宿敵である「均質空間」に抗する。作り手が一つの価値を押し付けるのではなく、受け手がそれぞれに価値を発見できるような「芸術」の実現に、大いに力になると考えられている。いうなれば、ポストモダンの実現に。
最先端の数学は役に立つものではないのだが、数十年前の数学が不思議と、予期せぬ工学(=人間の役に立つもの)の手助けとなることは少なくない。であれば、その最後の応用が、どうやったって人間くさい「建築」に現れるというのは、論理的には納得がいく。
面白かったのは、終盤近くに提示された図式である。以下のようなものだった。
集合論 ・・・→ 群論 ベクトル解析 ⇔ 線形代数
↓ ・ ↓
位相空間 ・ 曲線と曲面 ― 微分幾何
| ・ ・ ・
| ・ ↓ ↓
| ・ 非ユークリッド幾何学
| ↓ ・
└─────→ 多様体 ⇔ 位相幾何学 ←┘
↓
これはどんな順番で数学を学習したら良いかという手ほどきの図。いわば、数学の世界地図である。これが地中海、中南米、東欧、中東、インド、西アフリカと、世界の共有関係を追って行く『集落への旅』(原広司著、岩波新書、1987)と重なってみえる。現地の発見を熱く語り、クールでリリカルな言葉と、見たことの無いような形態に置き換えて行く手腕も ― 対象がいわゆる具体的であるか抽象的であるかの垣根を越えて ― 同じである。
どうやら、「数学」は原さんにとって、新たな「フィールドワーク」の対象であるらしい。そこには旧来の「建築」の外部に触れるというワクワク感が連続している。それが人をこんなにも若々しく見せているのだと感じる。あぁ「建築家」だと思う。
「この世代の建築家の人って、男性として魅力的だよね」と、珍しく真面目に話を聞いていた様子の妻が帰り道で熱っぽく言った。

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