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2005.09.09
晴海高層アパートは最初のデザイナーズ・マンション?
気楽にブログを書いていきたいと思う。
「お手軽に仕上がる日記=覚え書き」というくらいの認識。
そんなんで大海に漕ぎだして、本当にだいじょうぶ?

ありし日の晴海高層アパート(新建築社ArchitectureGuideより)
早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校の講座で《集合住宅歴史館》を訪れた。
都市機構(独立行政法人 都市再生機構)の都市住宅技術研究所の一施設。
次の集合住宅(の部屋)が移築されている。
(1) 代官山アパート 独身住戸・世帯住戸(設計:同潤会設計部、竣工:1927年)
(2) 多摩平団地 (日本住宅公団、1958年)
(3) 蓮根団地 (日本住宅公団、1957年)
(4) 晴海高層アパート (日本住宅公団+前川國男、1958年)
都市機構の出発点は、1955年に設立された日本住宅公団で、さらに祖先をたどれば、1924年設立の同潤会に行きつく。それぞれ戦前と戦後の公的な住宅供給をリードした組織だ。
その最初期の鉄筋コンクリート造集合住宅(1)、
戦後の低層(2)、中層(3)、高層(4)のサンプルが保存されている。
研究所の中なので堅苦しいのでは?、素人には分からないのでは? ― そんな心配は無用。
説明員の方が分かりやすく解説してくれるし、展示説明も充実している。
なにより、物と空間そのものが語りかけてくれるので、ある種、ストンと腑に落ちる。
いろいろ考えさせられる「大人の社会科見学」。

迷わないように取り付けられていた案内板
個人的には今回が3度目の訪問となる。
代官山アパート ― 狭いながらの工夫と暖かいディテール、
多摩平団地 ― テラスハウス形式の魅力、
蓮根団地 ― 典型的2DKが持つプロトタイプとしての完成度、
それぞれに再発見があった。
しかし、何といっても心打たれるのは、晴海高層アパートだ。
公団として初の高層住宅に、前川國男事務所のアイデアが盛り込まれている。
3階ごとにしか止まらないエレベーター。上下の階には専用階段でアクセスするという仕組み。
外部廊下が無いおかげで、両面採光が可能になっている。
板の間と畳のスペースに二分されていて、長ーい板の間は、台所と食事室。
コンクリートブロックも、配管もむき出しだ。
通常の寸法と違う長細い畳のせいもあって、日本家屋の寸法感覚とは離れている。
広いバルコニーには、玄関から土足のまま行ける。
生活の一部としてどう使いこなすか、想像をかき立てる。
他の公団住宅にも感心するのだけれど、晴海高層アパートはまた何かが違う。
生活を追求しながらも、どうしても隠し切れない「建築家」ゆえの格好良さ。
部分のデザインや、部屋の構成だけによるのではないだろう。
典型的2DKのほうが、生活にフィットしそうだ。「便利」な住み方を、空間が教えてくれそう。
比べると、晴海高層アパートは、万人向けに作り込まれてはいない
(設計者の意図がどこにあったかは別として、結果的に)。
いつまでもなじまない部分が、住み方を触発する。
「便利」という柔らかな制約ではなくて、未完の可能性が感じられる。
公団の2DKよりも、いま建築家が求められるものに近い。
晴海高層アパートは「デザイナーズ・マンション」の先がけである。
こんなことを言うと、前川國男さん(今のイメージの)に怒られるかもしれないけど…。

この晴海アパートの跡地には、晴海アイランド・トリトンスクエアが建っている。
団地「再生」という美名で、取り壊されてしまった。
都市機構がその技術的主体を担ったわけで、複雑な気持ちになる。
と、ひとまず「薄味」のシメを・・・。
見学について
「都市住宅技術研究所」では、集合住宅歴史館を含めて5施設が公開されている。
ユニバーサルデザインや居住性性能、省エネルギーやリサイクルなどを扱った他の施設も、見どころ充分。
公開日:火、水、木及び第2・第4金曜日
公開時間:午後1時30分~4時30分
申込み方法:事前に電話(0426-44-3751)かHP(http://www.ur-net.go.jp/rd)より申込み
年に一度の特別公開日には、ふだん公開していない施設に入ることもできる。
「お手軽に仕上がる日記=覚え書き」というくらいの認識。
そんなんで大海に漕ぎだして、本当にだいじょうぶ?

ありし日の晴海高層アパート(新建築社ArchitectureGuideより)
早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校の講座で《集合住宅歴史館》を訪れた。
都市機構(独立行政法人 都市再生機構)の都市住宅技術研究所の一施設。
次の集合住宅(の部屋)が移築されている。
(1) 代官山アパート 独身住戸・世帯住戸(設計:同潤会設計部、竣工:1927年)
(2) 多摩平団地 (日本住宅公団、1958年)
(3) 蓮根団地 (日本住宅公団、1957年)
(4) 晴海高層アパート (日本住宅公団+前川國男、1958年)
都市機構の出発点は、1955年に設立された日本住宅公団で、さらに祖先をたどれば、1924年設立の同潤会に行きつく。それぞれ戦前と戦後の公的な住宅供給をリードした組織だ。
その最初期の鉄筋コンクリート造集合住宅(1)、
戦後の低層(2)、中層(3)、高層(4)のサンプルが保存されている。
研究所の中なので堅苦しいのでは?、素人には分からないのでは? ― そんな心配は無用。
説明員の方が分かりやすく解説してくれるし、展示説明も充実している。
なにより、物と空間そのものが語りかけてくれるので、ある種、ストンと腑に落ちる。
いろいろ考えさせられる「大人の社会科見学」。

迷わないように取り付けられていた案内板
個人的には今回が3度目の訪問となる。
代官山アパート ― 狭いながらの工夫と暖かいディテール、
多摩平団地 ― テラスハウス形式の魅力、
蓮根団地 ― 典型的2DKが持つプロトタイプとしての完成度、
それぞれに再発見があった。
しかし、何といっても心打たれるのは、晴海高層アパートだ。
公団として初の高層住宅に、前川國男事務所のアイデアが盛り込まれている。
3階ごとにしか止まらないエレベーター。上下の階には専用階段でアクセスするという仕組み。
外部廊下が無いおかげで、両面採光が可能になっている。
板の間と畳のスペースに二分されていて、長ーい板の間は、台所と食事室。
コンクリートブロックも、配管もむき出しだ。
通常の寸法と違う長細い畳のせいもあって、日本家屋の寸法感覚とは離れている。
広いバルコニーには、玄関から土足のまま行ける。
生活の一部としてどう使いこなすか、想像をかき立てる。
他の公団住宅にも感心するのだけれど、晴海高層アパートはまた何かが違う。
生活を追求しながらも、どうしても隠し切れない「建築家」ゆえの格好良さ。
部分のデザインや、部屋の構成だけによるのではないだろう。
典型的2DKのほうが、生活にフィットしそうだ。「便利」な住み方を、空間が教えてくれそう。
比べると、晴海高層アパートは、万人向けに作り込まれてはいない
(設計者の意図がどこにあったかは別として、結果的に)。
いつまでもなじまない部分が、住み方を触発する。
「便利」という柔らかな制約ではなくて、未完の可能性が感じられる。
公団の2DKよりも、いま建築家が求められるものに近い。
晴海高層アパートは「デザイナーズ・マンション」の先がけである。
こんなことを言うと、前川國男さん(今のイメージの)に怒られるかもしれないけど…。

この晴海アパートの跡地には、晴海アイランド・トリトンスクエアが建っている。
団地「再生」という美名で、取り壊されてしまった。
都市機構がその技術的主体を担ったわけで、複雑な気持ちになる。
と、ひとまず「薄味」のシメを・・・。
見学について
「都市住宅技術研究所」では、集合住宅歴史館を含めて5施設が公開されている。
ユニバーサルデザインや居住性性能、省エネルギーやリサイクルなどを扱った他の施設も、見どころ充分。
公開日:火、水、木及び第2・第4金曜日
公開時間:午後1時30分~4時30分
申込み方法:事前に電話(0426-44-3751)かHP(http://www.ur-net.go.jp/rd)より申込み
年に一度の特別公開日には、ふだん公開していない施設に入ることもできる。
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ここのヘッダーの絵は、昭和を代表する東京タワーですが、私はこの東京タワーのすぐ近く、芝公園にも勤めていたことがある。夜のライトアップはきれいだったが、ここのおみやげ物売り場は、タワーが造られた昭和30年代そのまんまが残っているので、大好きなスポットでもある。お土産の第一人気は、やはりカレンダー付きのペン立てだが現在は絶品。(私は持ってるけど)そして、次はタワーのプラモ!
このプラモ、既存のプラモメーカーが作ったのではないが、当時マルサンが日本で始めてプラモデルを発売した時期で、箱が薄くて軽いというのが、お土産として造られた理由だ。プラモには
大・小の数サイズがあり、色も赤、白、豪華メッキ仕様と数色がある。電飾付きもあり、私も数種類買い込んだのは言うまでもない。そう、私はこういったモノのマニアでもあるのだ。(別に偉くはないが…)プラモは、展望台では大きいのは持って降りるのにじゃまだと敬遠されるのか、小さいモノが主に売られ、下の売店では大・小両方売っていたりもしたんだょ~ん。う~む、私の生まれる半年前の昭和33年建造、朝鮮戦争に使われた戦車を溶かした鉄も使われたそうで、高さ333mとすべて3づくし。ついでに長嶋選手の背番号も3だし、これは縁起がいいゃぃ。
その後、何度も怪獣に壊されたりもしたが、今だに我々昭和30年代のオヂさんにとって、東京タワーは永遠のあこがれなんだ!
このプラモ、既存のプラモメーカーが作ったのではないが、当時マルサンが日本で始めてプラモデルを発売した時期で、箱が薄くて軽いというのが、お土産として造られた理由だ。プラモには
大・小の数サイズがあり、色も赤、白、豪華メッキ仕様と数色がある。電飾付きもあり、私も数種類買い込んだのは言うまでもない。そう、私はこういったモノのマニアでもあるのだ。(別に偉くはないが…)プラモは、展望台では大きいのは持って降りるのにじゃまだと敬遠されるのか、小さいモノが主に売られ、下の売店では大・小両方売っていたりもしたんだょ~ん。う~む、私の生まれる半年前の昭和33年建造、朝鮮戦争に使われた戦車を溶かした鉄も使われたそうで、高さ333mとすべて3づくし。ついでに長嶋選手の背番号も3だし、これは縁起がいいゃぃ。
その後、何度も怪獣に壊されたりもしたが、今だに我々昭和30年代のオヂさんにとって、東京タワーは永遠のあこがれなんだ!
2005/09/17 Sat 19:22 URL [ Edit ]
倉方俊輔
3づくし、なるほど~。それは気づきませんでした。
長嶋茂雄の入団と同年に完成したのですね。
ちなみにこの年には「こだま」も開業。
といっても、もちろん新幹線ではなく、東京-大阪間を結ぶ特急電車。
所要時間は約7時間。これでも当時は大ニュースだったわけで。
昭和40年代の前の、まだスローだった昭和30年代が、
東京タワーにはあるのかもしれません。
長嶋茂雄の入団と同年に完成したのですね。
ちなみにこの年には「こだま」も開業。
といっても、もちろん新幹線ではなく、東京-大阪間を結ぶ特急電車。
所要時間は約7時間。これでも当時は大ニュースだったわけで。
昭和40年代の前の、まだスローだった昭和30年代が、
東京タワーにはあるのかもしれません。
2005/09/21 Wed 18:59 URL [ Edit ]
toshimiya
はじめまして、toshimiyaといいます。TBありがとうございました。
集合住宅歴史館へ実際に行かれた方のエントリーを読むことができたので、かなり嬉しいTBでした。
またお邪魔します。
集合住宅歴史館へ実際に行かれた方のエントリーを読むことができたので、かなり嬉しいTBでした。
またお邪魔します。
そうそう、こだま号!
私の父親は若い頃電車の運転手をしていたので、私は親譲りの鉄道ファン。このこだま号のおかげで、大阪へ日帰り出張もできるというコピーだったが、往復に半日もかかり仕事はいったい何時間できたのか…。
私の父親は若い頃電車の運転手をしていたので、私は親譲りの鉄道ファン。このこだま号のおかげで、大阪へ日帰り出張もできるというコピーだったが、往復に半日もかかり仕事はいったい何時間できたのか…。
2005/09/22 Thu 19:28 URL [ Edit ]
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行ってきました。生誕100年 前川國男建築展行く途中、とある用事で立ち寄った場所でパチリ冬空の下の東京タワー&増上寺東京駅ステーションギャラリーに行くのは初めて。駅を出て、右に行くのか、左に行くのか迷っちゃいました。東京駅をまじまじと見るのも久しぶり。さ
☆きもの道楽☆ねこ道楽☆くい道楽☆いえ道楽 2006/02/02 Thu 21:00
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