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お盆に仕事でアメリカへ。考えてみたら、生まれて初めて終戦記念日をアメリカで過ごしたことになる。

朝食は、近くの感じのいい店へ。本格的なホットドッグで、塩加減もちょうど良く熟成されたソーセージとベーコン。チーズもパンもしっかりと味がして、とろんとした卵が仲を取り持つ。

ホットドッグ

この街はとにかく、ご飯がおいしい。人がやさしい。自然が近い。それでいて知的だ。
アメリカは相変わらず豊かだなあ、と言いそうになってしまうのだけど、都市という単位で見ると、戦後69年の間に目まぐるしい浮沈があるわけで、時代の変化と共にこっちが豊かになったと思えば、あっちはしなびたりする。都市の中でエリアが競っていて、エリアの中で店が競っている。
結果的にさまざまな都市が競い合って、人材を引き付け、国全体としては沈没しないで21世紀を迎えた。流動性って、そういうことなんだねーと。

そして、そんな「自分が選択した都市の個性」を証明するものとして、都市の形や建築物を、自然と同じくらい大事にしている。自分の延長として大事に思っているから、変える時は大胆に変える。

さらに思えば、アメリカという国全体がそうだ。
ここまで、国、都市、エリア、人の様態が一緒だということは、ここがただの一つの国であって、「世界」の訳ではないことを証明してる。でも、移民と共に入ってきた世界の粒が(アメリカの関門をくぐり抜けたものだけが目に見えて)それなりに多様だから、ここが世界だって考えてしまうのにも納得できたり。
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伊東忠太の『阿修羅帖』の2枚目は、1914(大正3)年8月10日の「全欧修羅の巷となる」です。前回の絵と構図は似ていますが、動きが出ていますね。
この動きが100年前の第一次世界大戦の激動そのものであることを、「Yahoo!ニュース個人」で書きました。

阿修羅帖002t
終戦の8月に100年前の開戦を考える(「建築史家は語る」Yahoo!ニュース個人)

もうすぐ8月15日。
日本がポツダム宣言を最終的に受諾したのは8月14日、降伏文書に調印したのは9月2日です。こちらが国際的には終戦記念日なのに、8.15の特権化はいかに成立したのかを、佐藤卓己『八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学』(ちくま新書、2005)は描いています。

1945年8月10日は、ポツダム宣言の受諾が昭和天皇のいわゆる「ご聖断」によって方向付けられた日です。その34年前に、第一次世界大戦は本格化します。
伊東忠太の絵は親しみで引きつけながら、厚みを持って二つの「8月」の意味を考えさせます。
その技量は建築家のそれであり、まごうことなき建築史家だと、筆遣いの一つ一つを見返して、改めて思わされるのです。