2009.09.30
建築学校「MISA」を池田昌弘さんが設立
構造家の池田昌弘さんが、学校を設立した。
開校は2010年の4月で、名称は「Masahiro Ikeda School of Architecture」で略称が「MISA」。
2年制の本科(昼間)と1年制の専科(夜間)からなり、本科は大学建築系学部卒業者または建築の実務経験を有する社会人、専科は建築の実務経験を有する社会人 を対象にしている。
MISAホームページ
http://www.ikedaatelier.com/misa.html
説明文には「MISAは構造設計のプロフェッショナルを育成します」とあり、「建築構造を教えるビジネススクール」とも書かれている。池田さんを学長に、これからの構造設計に必要な技術・知識を学ぶ。実践的なスクールになるようだ。
とはいえ、「統合家」を名乗り、構造設計の枠組みを超えた建築生産の再編を構想する池田さんのことである。「今すぐ役に立つ」内容をしっかり押さえながらも、それだけではなさそうだ。構造の立場から提案が行え、建築界のキープレーヤーとなれるような「これから長く役に立つ」知恵を身につける場をつくろうとしている。そう思う。
ご相談を受けた時、印象的だったのは佐藤勤さんの存在で、佐藤さんはもと新建築社の編集者だ。突出しているようにも受け取られかねない池田さんの言葉を着地させ、一般に伝える。編集者としての佐藤さんがいるからこそ、池田さんの個性が発揮できる。顔の見える学校である。
下北沢ほぼ毎日通信(佐藤勤)
http://tsutomsato.exblog.jp/
かつての「名門」がすっかり鳴りを潜め、専門学校であっても安藤忠雄さんのような個性を売りにしなくて良くなった現在。
次の「建築家」はどこから出てくるか、分からない。こういう学校が、もっと出てくるといい。
MISAに関して言えば、構造や環境工学の立場からの思考が ―これまでの《意匠からの突破》という思考と同様に― 必要だと感じ、応援している。
開校は2010年の4月で、名称は「Masahiro Ikeda School of Architecture」で略称が「MISA」。
2年制の本科(昼間)と1年制の専科(夜間)からなり、本科は大学建築系学部卒業者または建築の実務経験を有する社会人、専科は建築の実務経験を有する社会人 を対象にしている。
MISAホームページ
http://www.ikedaatelier.com/misa.html
説明文には「MISAは構造設計のプロフェッショナルを育成します」とあり、「建築構造を教えるビジネススクール」とも書かれている。池田さんを学長に、これからの構造設計に必要な技術・知識を学ぶ。実践的なスクールになるようだ。
とはいえ、「統合家」を名乗り、構造設計の枠組みを超えた建築生産の再編を構想する池田さんのことである。「今すぐ役に立つ」内容をしっかり押さえながらも、それだけではなさそうだ。構造の立場から提案が行え、建築界のキープレーヤーとなれるような「これから長く役に立つ」知恵を身につける場をつくろうとしている。そう思う。
ご相談を受けた時、印象的だったのは佐藤勤さんの存在で、佐藤さんはもと新建築社の編集者だ。突出しているようにも受け取られかねない池田さんの言葉を着地させ、一般に伝える。編集者としての佐藤さんがいるからこそ、池田さんの個性が発揮できる。顔の見える学校である。
下北沢ほぼ毎日通信(佐藤勤)
http://tsutomsato.exblog.jp/
かつての「名門」がすっかり鳴りを潜め、専門学校であっても安藤忠雄さんのような個性を売りにしなくて良くなった現在。
次の「建築家」はどこから出てくるか、分からない。こういう学校が、もっと出てくるといい。
MISAに関して言えば、構造や環境工学の立場からの思考が ―これまでの《意匠からの突破》という思考と同様に― 必要だと感じ、応援している。
スポンサーサイト
2009.09.29
遠藤勝勧さんの出版記念パーティー

遠藤勝勧さんが『スケッチで学ぶ名ディテール―遠藤勝勧が実測した有名建築の「寸法」
』(日経BP社)という本を出された。その出版記念パーティが少し前に座・高円寺であった。呼ばれて行ったら、すごいことになっていた。

会場のアンリ・ファーブルに上がると、目の前のテーブルで、川添登さんと菊竹清訓さんと高橋てい一さんが談笑している。そこに穂積信夫さんが深々と挨拶され、見回せば(分かっただけでも)近藤正一さん、武者英二さん、曽根幸一さん、仙田満さん、鈴木恂さん、富田玲子さん・・・。伊東豊雄さんや古谷誠章さんが、ずいぶん若手に見える。

動く戦後建築史絵巻である。
堀越英嗣さんに「一番若いんじゃない」なんて声をかけられてほっとし、こういう中だと、あまり年が変わらないような錯覚に陥って、宮崎浩さんなどとも緊張せずに話せたのは幸いだった。
面白かったのは、入口に用意された芳名録。パシフィックホテルで奥様と披露宴を挙げられた時のものを、遠藤さんが持参された。
その空いているページに今回は記入するという粋な趣向で、菊竹事務所の「アーキビスト」遠藤さんらしい。
以下は田中一光さんの記帳。

2009.09.20
会場からの声「環境に対する建築家の意識」

9月12日に大阪・中之島の中央公会堂で開かれた建築講演会「環境に対する建築家の意識」(過去の関連記事)。あれだけの方々が集まっただけに、会場からの写真&レポートがいくつもウェブに上がっている。
面倒くさいと照れくさいの「ダブルくさい」で講演会の中身は記していなかったので、ありがたく、雨をおしていらしていただいた皆様に改めて感謝します。
『芦澤竜一×平沼孝啓+倉方俊輔 建築講演会 “環境に対する建築家の意識”』 - カブハウス
http://kabuhaus.exblog.jp/11153377/
環境に対する建築家の意識。。 - はまログ
http://www.hamada-design.com/blog/index.php?e=25
SI☆NA、ヒサ絵@アリオ八尾~建築講演会「環境に対する建築家の意識」@中央公会堂 - アオアオマン
http://49497.diarynote.jp/200909171458527527/
環境に対する建築家の意識|講師:芦沢竜一×平沼孝啓 進行:倉方俊輔 - Bird's eye
http://tatsuyatori.seesaa.net/article/128047042.html
当日の講演会後は、打ち上げの会場を用意していただいていて、関西の建築家ネットワークの一端に触れることができた思い。

山崎亮さん(今度はどこで遭遇するのか)、米澤研二さん(レストランかっこいいなぁ)、森本真さん(最初の紹介からインパクト抜群でした)、高松樹さん(京都のおもてなし上手に触れさせていただき)、古関俊輔さん(お名前も生年も同じでしたね)、萬田隆さん(同じく生年と出身都が)、繁田諭さん(建築写真家論でも再び)…楽しかったです。また!
2009.09.18
SDレビュー2009を語る審査員

SDレビュー2009を見に行った(ヒルサイドテラスF棟ヒルサイドフォーラムで9月27日まで)。
SD Review 2009
http://www.kajima-publishing.co.jp/sd2009/index.html
審査員の一人である伊東豊雄さんは「今までのSDレビュー入選案の実現率は7割。僕は5割くらいかと思っていたら、意外と高い」と言い、「今回は国際的なもの、それからセルフビルドのものが多かった。どこまでが建築家で、どこまでがクライアントで、という関係が分からない」ところに新しさを感じたと続けた。

審査員の新谷眞人さん、栗生明さん、陣内秀信さんのお話の後、アドバイザーを務める槇文彦さんにマイクが渡る。
「今回はこれまでの建築を解放していこうというものが多かった」と初めに述べ、ペルーに住宅を建てるという入選案に触れながら「われわれメタボリズムが唯一共同した」ペルー低所得層低層住宅(1968-1978)の経験を語る。「住民がやったのか建築家がやったのか分からないものになった」。
「SDレビューもあと2年で30年。例えば住宅なら住宅で何が変わったのか。それを振り返るのもまた有意義ではないか」。
いつもながら明晰で、話の長さも、難易度も、微笑みポイントの入れ方も的確。これは若い人では難しいが、逆に人生の達人になればなるほど、また難しかったりする。
モダニズムが(一時期非難されたほど堅いものではなく)柔らかいものであることを、われわれは槇文彦という存在で知る。
2009.09.17
博報堂旧本社ビル、10月に取り壊し


神田錦町の博報堂旧本社ビルに、10月1日から解体工事のお知らせ。
完成は1930年で、設計は岡田信一郎。大阪市中央公会堂(1918)や現・鳩山会館(1923)、歌舞伎座(1924)や明治生命館(1934)の設計者だ。

正面は古典主義のようだが、よく見ると左右は非対称で、右手の塔屋はロマネスク風。綱形装飾を配したてっぺんの小円柱やバルコニーに見とれつつ側面にまわれば、正面の意匠が品良く変奏されている。古典主義と中世主義が破綻無く一つにされていることに感心する。

企業の本社に様式的な品格が求められた戦前期の産物。とはいえ、オフィスビルとしての効率も追求されなければならない。うっとりすることをやめて眺めれば、平面的にはほぼ箱形で、開口部まんべん無くとられていることに気づく。けれど、それを感じさせないくらい、壁面の凹凸の設定が適確なのである。

最終最強の様式主義者・岡田信一郎の意匠の冴えを示す好例なのだが…。
鳩山首相の初仕事で、買っていただくわけにもいかないだろうし。
2009.09.16
「水都大阪2009」建築展覧会と講演会―芦澤竜一さん篇
〔前日から続いて〕
取り急ぎ、写真を一挙掲載しよう。

国立国際美術館の建築展(9月18日まで)の芦澤竜一さんの部屋は、中之島公演会場の竹を利用した構築物が中心に据えられている。

その後、中之島会場に移動した。
竹のしなりと、上からの重さを拮抗させて支えている。平沼孝啓さんによる間伐材を利用した「東京大学くうかん実験棟」と同様に、使われていない素材の特性を生かそうという試みだ。

中之島会場全体が芦澤さんがてがけ(けっこう広い)、これは川に張り出したステージ。

アーティストがワークショップ形式で作品をつくりだす。毎日何かが行われている。

ヤノベケンジがデザインした「ラッキードラゴン」が停泊していた。

あいにくの雨模様、の向こうに浮かぶ中之島の中央公会堂。

眺めていたら芦澤さんが、安藤忠雄さんが設計したと教えてくれた。

ふだん中々撮れないので、リハーサルの合間にカメラを持って走っていた。

取り急ぎ、写真を一挙掲載しよう。

国立国際美術館の建築展(9月18日まで)の芦澤竜一さんの部屋は、中之島公演会場の竹を利用した構築物が中心に据えられている。

その後、中之島会場に移動した。
竹のしなりと、上からの重さを拮抗させて支えている。平沼孝啓さんによる間伐材を利用した「東京大学くうかん実験棟」と同様に、使われていない素材の特性を生かそうという試みだ。

中之島会場全体が芦澤さんがてがけ(けっこう広い)、これは川に張り出したステージ。

アーティストがワークショップ形式で作品をつくりだす。毎日何かが行われている。

ヤノベケンジがデザインした「ラッキードラゴン」が停泊していた。

あいにくの雨模様、の向こうに浮かぶ中之島の中央公会堂。

眺めていたら芦澤さんが、安藤忠雄さんが設計したと教えてくれた。

ふだん中々撮れないので、リハーサルの合間にカメラを持って走っていた。

2009.09.15
「水都大阪2009」建築展覧会と講演会―平沼孝啓さん篇

「中之島公会堂のステージに立てるなんて、もう、あるかないか(笑)」なんて話を芦澤竜一さん、平沼孝啓さんとしていたら、緊張もだいぶほぐれた。
「水都大阪2009」というイベントが8月22日から10月12日にかけて、大阪の中心部で開催されている。その開催記念として、9月12日に「環境に対する建築家の意識」と題した建築講演会が大阪・中之島の中央公会堂で催された。その進行役を務めることになった。
東京と歴史を出たことのない私が、大阪で環境がらみとは、なんて“アウェイ”なんだろうか。唯一の救いは、芦澤さんも平沼さんも同じ1971年生まれ、というくらいで…。

昼に大阪に着いて、国立国際美術館に向かった。なんだかんだで年1回くらい大阪に来ているが、実はこのあたりに来るのは初めて。あれがgrafのビルか、あれがクラブ・リバーサイド(過去の関連記事)か、と水辺の風景を実際に見られて、すでに気分は高揚する。
国立国際美術館の入口で声をかけられて振り向くと、建築家の福屋粧子さんで、なんでここにと話したら、別の用事で昨日から来ていたらしい。偶然にもう一人、同年生まれとの遭遇。
国立国際美術館では、平沼孝啓さんと芦澤竜一さんの2人の建築展が開催されている(9月10日~18日 10:00~17:00、最終日は15:00まで。関連HP)。
ふだん講堂に使われている部屋を会場としているのだが、その規模がとても良かった。
入口から左右二手に分かれている。

平沼さんの会場は、でんと置かれた「東京大学くうかん実験棟」の一部原寸模型が、動線を画していた。これは東京大学生産技術研究所腰原研究室との共同研究で、和歌山県の間伐材を利用した新しい木造建築の取り組みだ。木造ブロックを中空状に積層した空間に、光が差し込む。
面白いのは、木の香りが会場全体に立ちこめ、また不均質な木のざらつきもリアルな印象なのだが、できあがった空間の感触は、固体とも気体ともつかない媒体を彷彿とさせるところだ。
これまでの「木材らしさ」よりも「木材らしく無さ」、言い換えると、まだ発見されていない新たな素材感を志向しているようだ。

「東京大学くうかん実験棟」の他には、数々の国際コンペで入選したアンビルトのプロジェクトが並べられている。思考のスケールが大きい。良い意味で「荒唐無稽」だ。こちらの展覧会には「非現実から現実へ」というタイトルが付いている。
その名の通り、冒頭に並んだものが最も「非現実的」なプロジェクトであり、最後が代々木公園の中に木と鉄のツリーハウスを建てるという現在進行中のプロジェクトなのだが、比較の問題でこれすら、だいぶ「現実的」に思える。
しかし、やたらめたらに「非現実」なのではない。そこに一貫して、素材と場所の性質を発見して新しい空間の感触を目にしたいという思いが横たわっている。それが平沼さんらしさなのだろう。