2009.07.28
岸田日出刀の水辺モダンスタイル

「ホテルはリバーサイド」は井上陽水だが、「クラブはリバーサイド」は岸田日出刀だ。
大阪における「ドコノモン」的建物評価の盟友(というか先達)であるところのビルマニアの面々が、こんど繰り出すのは、2日間限りの水辺バー。
場所は土佐堀川に面した大阪北区中之島3丁目。ここに、遠目には川面に映える水平窓が、近めには味わい深いタイル使いが好ましい「レトロモダン」なビルがあるんですね。
竣工は1965年。設計は、あの岸田日出刀(岸田建築研究所)だったりする。

「ちょうど最上階のテナントが空室になったので、2日間だけお借りしてバーでもやるかと。」(高岡伸一)
という街っ子な乗りで、かつてクラブリバーサイドのあったビルでのイベントと相成ったようだ。「素敵すぎる当時の貴重な写真も公開予定」とのこと、お近くの方はぜひとも。
日時:7月31日(金)と8月1日(土)の18:00~22:00
場所:大阪北区中之島3-1-8 リバーサイドビルディング5階502号
[イベントのお知らせ]真夏の夜のBBB - ビルマニアカフェブログ
http://bldg-mania.blogspot.com/2009/07/bbb.html
改めてビルを観察。このモダンへの憧憬と、他方でプロポーションや素材において伝統的な建築のまとまりに後ろ髪を引っ張られているレトロスペクティブな体質。当時も今も最先端でないところが、いい。
水辺だからというのもあるけれど、オランダにでもありそう。基本的には戦前モダン派の岸田らしいな。
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2009.07.19
アトリエ・ワンのポニーと住む家

ある雑誌のアトリエ・ワンの特集に関係しているので、このところ写真撮影に同行している。今日は神奈川県相模原市の「ポニー・ガーデン」を訪れた。
ポニー・ガーデン - アトリエ・ワンHP
http://www.bow-wow.jp/profile/2008/PonyGarden/index.html
「近い将来、会社を退職したら、大好きな馬と一緒に住むための家である」。
「新建築住宅特集」の掲載号(2009年4月号)で、塚本由晴さんはこんな風に解説を始めている。同号の写真だと前面に広くとられた庭は土だったが、その後、芝を生やし、軒下は小石を敷き詰めていたので、少し感じが違った。
「少し目を離すとジャングルになっちゃうのよ」。気さくな奥様が雑草取りに汗を流されていて、これだけ面倒見が良いところを見ると、ポニーを飼うという希望も自然に思える。

予想外をもう一つ挙げれば、周囲は割に建て込んでいた。細い接道からは、ポニーガーデンは隣の家に隠れて見えない(おかげで一回、行き過ぎてしまった)。一方で、家の中に入ると、目の前の山まで遮るものはない。付近の家はほとんど視界に入らない。
やはり、アトリエ・ワン。都市でも郊外でも、建ち方の巧さが光っている。
ある作家の建物を連続して見るというのは初めての経験だが、ああでもないこうでもないと考えられて、なかなか面白い。

2009.07.13
北海道滝川市で“本音の”デザイン会議

原研哉(グラフィックデザイナー)、梅原真(デザイナー)、新堀学(建築家)、伊藤隆介(映像作家・美術作家)、津村耕佑(ファッションデザイナー)、西山浩平(デザインプロデューサー)、陶智子(女性礼法研究家)、五十嵐威暢(アーティスト)が、築80年の蔵の内側で、本音の議論を展開する(以上敬称略)。
彫刻家の五十嵐威暢さんが主宰する「太郎吉蔵デザイン会議」の第3回が、2009年8月8日に催される。開催地は北海道滝川市。
定員は120名で、以下で参加を受け付けている。事前会議の内容も読める。申込みの締め切りは7月15日(水)。
大都市から離れた場所だが、だからこそ一層、贅沢な会議だと思う。
2009太郎吉蔵デザイン会議
http://www.designconference.jp/2009/
この会議のことを知ったのは、以前、新堀学さんと共に五十嵐威暢さんにインタビューした時だった。北海道滝川市におけるNPO「アートチャレンジ滝川(A.C.T.)」などの活動を「まちのリノベーション」と捉えて、アートと建築と都市をつなぐロジックを考えたいと思った。
太郎吉蔵からの問い──都市は誰のものか? - INAX リノベーション・フォーラム
http://forum.inax.co.jp/renovation/interview/005/001.html
会議に興味を抱き、まだ見ぬ滝川の風景に思いを馳せた。それに今回は新堀さんもパネリストとして話される。聞きに行くことに決めた。
せっかくなので色々と見ようと、車でまわるコースを新堀さんと話し合っている。「モエレ沼公園」とか「水の教会」とか「アルテピアッツァ美唄」とか…。ご一緒できる方がいたら、個人的に連絡を下さい。
2009.07.10
川奈ホテルにみる高橋貞太郎の力量

“スイーツ(笑)”(笑)というわけで、川奈ホテルのフルーツロール。
見た目どおり、奇をてらわずバランスの取れた味で、美味しかった。
梅雨の伊豆は空いていて、狙い目ですね!
・・・話の間が持たないので、建築のことを…。
1936年開業の「川奈ホテル」は伊東市川奈に秘やかに構え、名門ゴルフコースでも知られる。
建物の設計者は高橋貞太郎。イギリス流の邸宅を得意とした。1928年に建った「旧前田侯爵邸」は公開されているので、重厚な雰囲気を味わえる。
他に手がけた建築に、例えば神田錦町にある「学士会館」がある。これは1925年に行われたコンペの当選案で、1928年に開館した。
この度、百貨店建築としては初めて重要文化財に指定される「高島屋東京店」(日本生命館)も1929年のコンペで当選した設計だ。完成は1933年。
日本橋高島屋店は、さまざまな要素のバランスをとって設計されている。お客様には、まるで自分の邸宅かのように(邸宅がある人もない人も)思ってもらいたいし、商業施設として最新の設備も備えたい。加えて、コンペの時から日本的なデザインを入れる方針でもあった。

川奈ホテルも、なかなか複雑な条件に応えた建物だ。
外観はスペイン瓦を使って、温暖な川奈らしい、南国リゾートの雰囲気。
内部は暖炉を備え、木材や金属といった素材もいぶし銀の魅力を放つ、落ち着いた邸宅のよう。
そして、ガラス張りのサンパーラーは、背面にあるゴルフコースのクラブハウスを(機能としても見た目にも)兼ねるという仕掛けである。
品格ある混成物を設計する高橋貞太郎の力量が、川奈ホテルに良く発揮されている。

より広く見ると、川奈という場所の性格は川奈ホテルがつくったといっても過言でない。ホテルそのものが新たなリゾート地を生み出し、認識させたことになる。
こうした性格は、戦後の「志摩観光ホテル」(近畿日本鉄道、建築設計=村野藤吾)や「ホテル立山」(立山黒部貫光、建築設計=村田政真)[過去の関連記事]などにも継承されていく。
こうした「新しさ」を、あたかも自然のように思わせられるかどうか? 金をもらって設計を行う建築家の力が問われるところなのだろう。
2009.07.08
「戦後建築オーラル・ヒストリー」を新連載

書かれていない過去がある。残された過去の痕跡から「歴史」を構成しようとする時、もっとも役に立つのは文字資料であり、物質資料だが、口述資料もまた他に代え難い貢献を行うことは言うまでもない。そんな痕跡を提示する新連載。第1回は市浦建築設計事務所(現・市浦ハウジング&プランニング)で半世紀にわたり公共住宅の企画・設計に携わってきた、小林明氏と富安秀雄氏への聞き取りから抜粋した。
「建築雑誌」2009年7月号、p.28
日本建築学会の会報「建築雑誌」で「戦後建築オーラル・ヒストリー」という連載を始めた。
第1回は、市浦ハウジング&プランニング顧問の小林明さんと富安秀雄さん。
インタビューさせていただくと、生きた団地計画史である。のみならず、戦後建築家の群像も彷彿とさせる。
2ページの枠内には収まり切らない内容だったので、誌面では以下の骨子をまとめた。
「奈良北団地」「神大寺団地」「南永田団地」といった「近郊高層高密度団地」誕生の背景、丘陵地造成の意味、久米権九郎と団地計画、そして、昭和40年代の公団の様子・・・。
次の8月号は、建築史家のあの人です。
2009.07.07
40年目の「建築家 坂倉準三展」

パナソニック電工汐留ミュージアムで「建築家 坂倉準三展 モダニズムを住む 住宅、家具、デザイン」が始まった(9月27日まで)。
ル・コルビュジエに学び、モダニズムを牽引した建築家・坂倉準三と坂倉建築研究所の仕事を集めた本格的な回顧展だ。神奈川県立近代美術館(これも坂倉の設計)の「建築家 坂倉準三展 モダニズムを生きる 人間、都市、空間」(9月6日まで)と同時開催されている。

神奈川県立近代美術館の展示は、公共建築や都市計画といった坂倉の仕事全般を扱っている。パナソニック電工汐留ミュージアムでスポットを当てているのは、この館らしく、住宅とインテリア。
坂倉さんと言えば、やはり戦後の公共建築や都市的な設計の印象が強い。それに対して、個人住宅の多様な展開や、戦前から戦後に持続する家具の試行といった側面は、これまで比較的に見過ごされてきた。今回の展覧会は、それを明らかにしている。
一般受けもするし、専門家もうなる。そんな展覧会である。
7月3日のオープニングレセプションで、槇文彦さんが挨拶をされた。
槇さんの選ぶ言葉は、美しい。
平易だが、怠惰なルーティンではなく、スマートで、血が通って見える。氏の建築が思い出されるのだ。
そんな槇さんは今回の展覧会を「坂倉先生に久しぶりに会えたかのよう」、「迫力のある展示」と形容していた。
各大学が制作した住宅の模型と、多く集めてきた家具の現物が、さほど広くない会場に集約されて、火花を散らしている。そうした展示空間そのものが、「切れば血の出るような建築」(坂倉竹之助さんの挨拶)をめざした坂倉準三を伝えている。
坂倉準三が没したのは1969年。それから切らしていた“スピリッツ”が別の形でよみがえる。
2冊の図録もいい。展覧会の準備を通じて明らかになった最新の成果が、2館それぞれの図録に収められている。
ともに装丁は秋山伸さん。見る気にさせるデザインだ。
パナソニック電工汐留ミュージアムの表紙は赤く、神奈川県立近代美術館の表紙は緑。どこかで見たような・・・はっ、『ノルウェイの森』!(舞台設定は1969年だ)。
なおさら上下巻、並べて置きたくなるのである。


2009.07.02
知られざる和モダンの宿「ホテル井筒」

東京オリンピックの年にできた長野県松本市の「ホテル井筒」。訪れると内装は予想以上にオリジナルで、こういうものを探していたんだ、と思った。

旅館系のインテリアは改変されやすい。なんど裏切られたことか…。しかし、中でも残りにくいのが浴場で、ホテル井筒も大浴場はさすがに当初のものではなかった。高度成長期的な浴場・温泉施設でインテリアが現役のもの、どこかにありますかね?
(21)コラボレーションが生きた築45年の和モダン建築:ホテル井筒 - 倉方俊輔の「ドコノモン100選」
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/column/20090630/533699/
今回もさまざまな巡り合わせがあった。設計者の野老正昭さんとインテリアを担当された野老春子さんから、当時の状況をお聞きできたのも良かった。
「野老」と書いて「ところ」。どこかで見た覚えが…と思ったら、デザイナーの野老朝雄さんは息子さんだった。阿部仁史さんの「FRP Ftownビル」の外装を担当されたり、最近の『新世代建築家・デザイナー100』

もちろん築45年なので、ホテル井筒の内装が完全に当初のままというわけではない。しかし、これくらいモダンで和で、斬新な設計が残っているものは珍しいのではないか。
玄関ドアのガラスもオリジナル。「HOTEL IZUTSU」のロゴがスタイリッシュだ。サインデザイン~インテリア~建築の横断ぶりや、玄関ドアの押し手のデザインなどに感じられるのは、野老朝雄さんとの連続性。

高度成長期らしい勢いを満喫できる「デザインホテル」。吹き抜けのホール空間を味わい、ガラスブロックの浴室を体験し、宴会場で驚いてほしい。稲葉なおとさんの本
