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今年から、芝浦工業大学の大学院で「建築設計特論1」(前期)という授業を持っている。豊洲の校舎が綺麗で、迷路めいているのと、大学院生が真面目な顔で聞いているのが印象的である。


そもそも《設計》とは何だろうか? 建築家はどこまで計画でき、何をデザインすべきなのか? この根源的な問題に触れられるよう、本授業では私たちと地続きである日本の近現代建築を扱う。様式主義、モダニズム、ポストモダンといった流れの中から、毎回、具体的なトピックを論じていく。


というシラバスで、今ごろ吉阪隆正あたりを話している予定が、まだ伊東忠太を彷徨っている。

前回、『10+1』第20号に書いた「『日本近代建築』の生成──『現代建築』から『日本の近代建築』まで」(2000)の話をしたのだが、もうすでに「10+1 DATABESE」に入っていた。便利ですね。
http://tenplusone-db.inax.co.jp/backnumber/article/articleid/187/

あと、洲崎の「モダニズム」あれこれ
洲崎01 洲崎02

洲崎03 洲崎04

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blocco壁面03

先週末のこと、あまり無い時間にインターホンが鳴ったので出ると「お久しぶり、長田です」。

ドアを開けると、建築家の長田直之さん(ICU)。昨年度から奈良女子大学の准教授に着任されるまでは、東京事務所が上の階にあったので遭遇することもあったのだが、このところはご無沙汰だった。
いま金沢と小松の間あたりで住宅をやっていて、コンクリート仕上げのイメージを共有するため、自分が設計したものに施工者を連れてきたという。高速1000円を利用して。

今週末までのGAギャラリー「住宅プロジェクト2009展」に、長田さんのプロジェクトも出ていた。聞けば、その住宅とのこと。今回はコンクリート仕上げだけではなく、素材活用の新機軸も盛り込まれているというので、ますます楽しみになる。

施工者である長坂組の方とも、金沢あたりのお話で盛り上がる。金沢あたりの現代建築だと、新堀学さんのM邸は拝見したと言うと、その施工者だった。というより、新堀さんに紹介してもらったという。そういえば、お二人は安藤忠雄事務所つながりなのだった。
「M邸もらせん階段とかタイルとか大変だったでしょう」「えぇ、はい(笑)」。
「あそこにいると出てから色々やりたくなるんだよ」と、長田さんが冗談めかす。

長坂組のblogに進捗状況が載っているので、ちょくちょく見てみよう。
http://ngblog.exblog.jp/

私の家の靴入れ

「私の家」の靴入れの持ち手が慶應のマークに見えた。

清家篤・新塾長および新常任理事が就任 - 慶應義塾大学
http://www.keio.ac.jp/ja/news/2009/kr7a43000000w8sa.html

人の上に立つ器量と、しで終わる一文字の名前、それにお顔立ちも受け継がれている。
祖父・清家正氏は機械工学者で、東京府立電機工業学校・同府立工専校長校長・都立大工学部長を務めた。
父の清家清氏は言わずとしれた建築家で、東京工業大学教授・東京芸術大学教授・日本建築学会会長・札幌市立高等専門学校(現・札幌市立大学)校長を歴任。

もちろん、専門が違うので、天が造ったわけではない。『「私の家」白書』には、雑誌「婦人之友」に掲載された親子対談が採録されていて、読むと面白い。



大和証券ビル01

先日、呉服橋を通ったら、「大和証券ビル」の取り壊し作業がついに始まっていた。

大和証券ビル(中山克己,1956)

ガラスのカーテンウォールが美しかった1956年完成の建物で、設計は中山克己建築設計事務所。札幌オリンピックの会場となった「真駒内屋内競技場」(1970)をはじめとしたスポーツ施設、オフィスビルなどを多く手がけている。
完成した時は、ピカピカの未来の象徴だったのだろう。映画「無責任」シリーズなどで植木等の務める会社として使われている。

大和証券ビル03

空に異彩を放っているのが屋上の電波塔。未来派の彫刻か何かのようだ。かつては目立っていたのだろうその存在も、今は探さないと超高層の風景に埋もれてしまう。これはもう少しの間、見ることができるはず。

大和証券ビル02

2007年2月に斉藤理さんと出した『東京建築ガイドマップ』のまち解説で、こう書いた。

「実はこのコースにはポイントが2つある。両方とも今のうちに立ち止まっておきたい場所だ。その一つが呉服橋交差点である。交差点の三隅に戦後まもない時期の建築が揃う。」

その3つのうち2つが、もう無くなってしまった。

前川國男日本相互銀行解体

*「建築浴MAP」(googleマップ)で所在地を見る
死んだと死んでいるは違う01

死んだと死んでいるは違う。

死んだと死んでいるは違う02

…のだそうです。
東京農工大学農学部本館02

「これだけ上で枝分かれしている大きなケヤキは珍しいと思います」
広報の方に解説いただいて、あー、確かに。

東京農工大学農学部本館01

正門から続く一本道の向こうには、1934年に完成した鉄筋コンクリート造の農学部本館。
それだけなら昭和戦前期のキャンパスに共通する性格だが、並木がつくる尖頭アーチの高さと、本館の塔の高さが見事に適合している。こんな眺めはそうない。枝打ちを欠かさず、手をかけてきた証だ。
さすがに自然と人工の良い関係を先導してきた、東京農工大学である。

東京農工大学農学部本館04

キャンパス内もさまざまなグラデーションの緑と、その中でアクセントを加える花々。猫が歩いていたり、鴨がいたりして、建物がその陰に隠れることの良さが味わえる。こんな雰囲気も、他にあまりない。

*「建築浴MAP」(googleマップ)で所在地を見る
大田省一さん02

昨日は東海大学准教授の渡邉研司さんが開いているレクチャーシリーズ「MARS会」へ。
ここ数年来、気になっているテーマの一つが、「デザインサーヴェイ」なのである。

昨年の10月にはJIA+KITアーカイブズの一環として、「よみがえるデザイン・サーヴェイ」展をJIA大会で開催した。調査地を再訪したり、関係者に話を聞いたり、兼松紘一郎さんや渡邊さん、渡邊研の院生と一緒にサーヴェイの調査を行った(以前の関連記事)。

今年は大林都市研究振興財団の助成が取れたので、さらに展開して「デザインサーヴェイ」の再考をまとめられないかと渡邊さんと考えている。
それで「MARS会」の年間テーマも「デザインサーヴェイ」。前回は僕が伊東忠太のサーヴェイについて話したのだった(以前の関連記事)。

大田省一さん01

昨日の第2回では、東京大学生産技術研究所助教の大田省一さんにお話いただいた。
ベトナムなどをフィールドとする大田さんは、強い足と目と頭を持つ研究者として尊敬している。「建築雑誌」編集委員会幹事の名簿にも一緒に名前があったので、何かほっとしたのだったが、近しい仲でも、意外と真面目な講義というのは聞かなかったりもする。

大田さんの話は面白かった。今「デザインサーヴェイ」を再考することに大きな意味がある。そんな思いが正当だと感じさせてくれた。
実感に基づいた細やかな解釈は触発的だし、他方でアメリカやフランスの、ある種の覇権との関係で捉える広い視点は、専門研究者たる大田さんからでないと出てこない。
大田さんは今「建築雑誌」で「デザインサーヴェイ」の特集を編集されている。そっちも楽しみ。

オレゴン大学デザインサーヴェイ

しかし、参ったのは、帰路に小田急線がストップしたこと。
渡邊さんや大田さんはそれ以前に乗り換えたので助かったが、彰国社の神中さんと僕が、下北沢の人身事故に引っかかる。新宿に着いたのは、日付も変わった1時半だった。