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アーキテクチュアシンポ02

※関連記事として、磯崎新「カザルスホール」と都市 を書きました(2009.02.06追記)

1月28日に東京工業大学で公開シンポジウム「アーキテクチャと思考の場所」があった。開始20分前に着くと、600人収容の講堂はすでに満席。
この豪華メンバーなのだから無理はない。
司会が東浩紀、登壇者が磯崎新、浅田彰、宮台真司(思想系の内容なので今日は「さん」は無し)、それに若手として、昨年の単著『ゼロ年代の想像力』が面白かった宇野常寛、1月31日の「LIVE ROUND ABOUT JOURNAL」で同席する濱野智史(昨年『アーキテクチャの生態系』を著し、『思想地図〈vol.2〉』にも執筆している)が加わる。そういうことで駆け付けたのだが、脚が少し遅かったようだ。

LRAJ2009a LRAJ2009b

入口でもらった資料を開けると、「LIVE ROUND ABOUT JOURNAL」のチラシも挟み込まれていた。宣伝は着実に行われているようだ。
そういえば、主宰者の一人である藤村龍至の名も今回のシンポジウムの中で登場していた。東浩紀は次のように言った(メモ書きをもとにしているので発言通りではない)。
「決定するときに、作者と市場以外に、すべてのログを取るという第3の方法があるのではないか。なんでそう思ったかというと、藤村龍至さんに話を伺うことがあって、建築を設計していく時の生成プロセスを全部残すことでクライアントとのコミュニケーションをつくっていく。藤村さんは気づいていないけれど、これはネット的なやり方だと」
ただ、反論めいた話になってしまうが、この東浩紀の「超線形設計プロセス」の理解は違うのではないか。東浩紀のまとめはやはり的確で、聞いていてすごい - 浅田彰ほどではないにしても - と思ったのだが、2つだけおかしさに気づいた点があって、一つは宇野常寛のプレゼンの後のまとめ。もう一つはここだった。
だって、設計を依頼された建築家がクライアントとのコミュニケーションをつくっていくのは当然であって、「超線形設計プロセス」のそうした側面は副産物ないしは方便である。ちょうど、磯崎新にマイクが渡った時に彼が「富士見カントリークラブハウス」について「私はゴルフが分からないから『?』の平面形にしたんです」と言うと、聴衆が分かった気になってしまうのと同じようなものだ。
ログをとって説明可能にする、というのはたいしたことではない。繰り返し考えることで、建築的に使える環境的要素を見出すというのが本当のところで、その点でたいして建築というものは変わらないわけだ。

アーキテクチュアシンポ01

さて、シンポジウム全体の流れはというと、東による趣旨説明の後、濱野と宇野がプレゼンを行い、磯崎・浅田・宮台がそれに応じる形でディスカッションが始まり、予定された3時間が来て「切断」された。

全体の感想としては、登壇者の応答関係が成立していないシンポジウムだった。暗示的な瞬き合いのようなものはあるにせよ、明示的にはまったくと言っていいくらいに無かった。
ただ、それは決して悪いことではない。各登壇者の姿勢のショーケースとして機能していた。その意味で『思想地図』的。1500円(というのは本の値段で、このシンポジウムは同書と東京工業大学世界文明センターの宣伝なので無料)で、どこからでも読めてお得なのだった。

もう1つ全体の感想を挙げるとしたら、“東+宇野+濱野” と “磯崎+浅田+宮台” とは、相互に違う世界について語っていた。ほとんど梅田望夫の『ウェブ進化論』がいう「2つの世界」である。ネットの向こうの「あちら側」とリアル世界の「こちら側」。宇野は東・濱野と少し違うように思うが、シンポジウムではその立場をうまく言えていなかった。
もちろん、“磯崎+浅田+宮台”がネット世界について知らないわけではないのだが、どちらを真の《現在》とみるかが別々なのだ。別のいい方をすれば、制限されていないもの(ネット)と制限されているもの(リアル)の間にどの程度の交通、相互参照関係が成り立つか。“磯崎+浅田+宮台”はそれを「弱」とし、“東+宇野+濱野”は「強」とみなす。これはコンピュータに接した世代云々だけでなく、年齢、つまり自己が社会的に保証されているかどうかにも起因するだろう。

先ほど「切断」と記したのは、濱野智史のプレゼンが磯崎新の「プロセス・プランニング論」(『空間へ』所収)に時間を割き、物理的な建築には切断=一回性=不可逆性が不可避だが、「アーキテクチャの生態系」(新しい人工的な自然のようなものとして立ち上がってきているインターネット環境)はこの「切断」を無くすところに特徴があるとし、そこから後のディスカッション後半のおしゃべりが「切断」をめぐって展開されたからだ。
そこから濱野は「いかに暴走しないような設計を行うのか、それを現実の世界に適用していくかを考えたい」と述べた。そのとき「建築」と「社会設計」と「情報環境」が関連する必要があるのだとも。

明日の「LIVE ROUND ABOUT JOURNAL」(INAXギャラリー、11:00-20:00)で、その先が垣間見えるのかもしれない。
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いろいろ話題を呼んでいる「建築系ラジオ」
その公開収録が、2009年2月6日(金)15時~18時に国士舘大学世田谷キャンパス(梅ヶ丘校舎34号館10階スカイラウンジ)で行われる。
今回のテーマは「学生時代にやっておくべきこと」。五十嵐太郎さん南泰裕さん山田幸司さん松田達さんのコアメンバーに加え、ゲストは堀井義博さん、大成優子さん、樫原徹さん、倉方俊輔。
私が話すのは「建築学科はつぶしがきくか?」。どうなのだろう? 全出演者のお考えも尋ねてみたい。
参加は無料、予約なしで聴きに来られますので、興味が湧いたらふらりとお越しください。

2008年10月20日の収録についてはこちらの記事、当日の模様はこちらの記事を参照。



建築系ラジオ公開収録「学生時代にやっておくべきこと」in国士舘大学

<日時>
2009年2月6日(金)15時-18時(14時半開場)

<場所>
国士舘大学世田谷キャンパス梅ヶ丘校舎、34号館10階スカイラウンジ
http://www.kokushikan.ac.jp/access/140000_0179.html
http://www.kokushikan.ac.jp/campus_life/campus/052900_0117.html
お越しになる方は、直接こちらにいらして下さい。
〒154-8515東京都世田谷区世田谷4-28-1
(小田急線梅ヶ丘駅下車、徒歩10分、または東急世田谷線松陰神社前駅下車、徒歩6分)

<テーマ>
「学生時代にやっておくべきこと」

<出演者>
ゲスト/堀井義博、大成優子、樫原徹、倉方俊輔
コアメンバー/五十嵐太郎、南泰裕、山田幸司、松田達
参加無料、予約なしでどなたでも聴きに来れます。

<当日お問い合わせ>
国士舘大学 理工学部理工学科 建築学系 南研究室
〒154-8515 東京都世田谷区世田谷4-28-1
Tel.&Fax.03-5481-3287

<スケジュール>
15:00-15:30 山田幸司の説教するダイハード・ポストモダン

15:30-17:30 全体討議「学生時代にやっておくべきこと」

1.大学で何をすべきか?
堀井義博「製図室で何をすべきか?」
五十嵐太郎「思い出に残る講義」

2.大学院なんて行かなくてもよい?
大成優子「妹島事務所に就職するまで」
樫原徹「博士課程までいくとどうなるか?」

休憩(10分程度)

3.海外を目指す
堀井義博+松田達「海外建築学校情報」
留学希望の学生からの質問コーナー
(3人程度出演学生募集しています)

4.建築と就職
山田幸司「実務こそがデザインを成長させる」
倉方俊輔「建築学科はつぶしがきくか?」

17:30-18:00 南泰裕のアーキソフィア(ダイアローグ編)
(出演学生募集中です)

お問い合わせのある方は、下記アドレスまでお知らせ頂ければ幸いです。
参加の旨を一報頂ける方は、ぜひお知らせください。

お問い合わせ・出演学生への応募など
info@radio.tatsumatsuda.com
コメントなど(下記アドレスへのメールは、番組中に読み上げられる可能性があります)
comment@radio.tatsumatsuda.com
建物のカケラ01

江戸東京たてもの園で「建物のカケラ - 一木努コレクション」展が始まったので、行ってきた。
建物は生まれ、やがて消えゆく。約900箇所の解体現場に赴き、失われる建物の断片を救い出すこと40年の「カケラ」コレクター。一木努さんの個人コレクションをお蔵出しした展覧会だ。

建物のカケラ02b

まずその量に圧倒された。銀座煉瓦街の基礎レンガ、鹿鳴館の杭、帝国ホテルの装飾レンガ、吉阪隆正邸の玄関床タイルといった建築史上で著名なものから、一木さんのふるさとである旧下館市の消防署やなじみの銭湯のタイルまで、展示総数は約700点にもおよぶ。
東京主要部にあった建物のパーツは地図のように構成され、「カケラの街」になっている。見る人によって、琴線に触れる断片も違うはずである。

建物のカケラ03

「建築雑誌」の編集長を藤森照信さんが務めていた2年間、毎号の表紙に一木努コレクションの写真が使われていた。撮影が増田彰久さん、表紙デザインが南伸坊さん。歴代の「建築雑誌」の中でも印象深い表紙だったのだが、その表紙と現物を並べた展示も今回あって、見比べてみて興味深かった。

建物のカケラ04

加えて、今回の展覧会が特徴的なのが「触れる」、「撮れる」、「読める」ということ。
「触れる」というのは、メイン会場の入口部分の展示で、ここにあるパーツだけは手を触れることができる。実際の肌合いやカーブの具合などが分かる。
「撮れる」は、会場の中が撮影可能だということ。「カケラの街」をいろんなアングルで撮ると、断片の迫力も増してくる。
「読める」というのは、訪れるともらえる資料。カタログ代が要らない無料のパンフレットなのに、情報が実に詰まっている。オールカラーの32ページで、カケラのそれぞれの来歴や解説が読める。これだけで、たてもの園入園料の400円はするだろう、普通。
会場でじっくり眺めた後、帰ってまた楽しめるのだ。

同展は2009年3月1日までで、毎週月曜日(祝日の場合はその翌日)は休館。

建物のカケラ05
日経アーキテクチュア2009/1/26号

年末年始に執筆していた「注目の10人」が活字になった。
「日経アーキテクチュア」最新号(2009/1/26号)の特集記事で、2007年、2008年に引き続いて担当させていただいた。昨年まで、3月の特集号「アーキファイル」に収録されていたもの。
活躍が目立つ建築関係の人物(建築家、家具デザイナー、構造家、施工管理者…)を10人ピックアップし、その活動を紹介する。今年は、次の10人(組)をとりあげた(敬称略)。

谷尻誠(建築家/suppose design office)
・山田眞人+杉本直樹(施工管理/大林組)※
・宮脇省造(企画開発/星野リゾート)※
・陸鐘驍(建築家/日建設計
藤森泰司(家具デザイナー/藤森泰司アトリエ)
藤村龍至(建築家/藤村龍至建築設計事務所)
鈴野浩一+禿真哉(建築家/トラフ)
末光弘和+末光陽子(建築家/SUEP.)
・鈴木啓(構造家/A.S.Associates)+小西泰孝(構造家/小西泰孝建築構造設計)満田衛資(構造家/満田衛資構造計画研究所)
・城所竜太(構造家/Arup Japan

「※」を付した8人(組)を取材、執筆した。他に編集部の囲み記事がある。
私の中でも一番ライター的な仕事といえるかもしれない。それだけ緊張もし、実りも多い。
1人分1200字強という与えられた字数で、いかに対象の一番いいところをありありと描けるか、多少の論理性も交えて。そんなことを考えていると、筆が非常に遅くなる。
そのときに耳に優しい言葉に流されないことと、その特質を一般性で押しつぶさないことは心がけたつもりだ。というのも、前者で雰囲気をつくるのは住宅系ライターにかなわないし、後者とバーターにきちんと役に立つ記事を書ける経済系ライターにはなれないのだから。
社会の中での個人の企図と成果 - ふたつは一致していることもズレていることもある - が、少しは過去を見るのと同様に、描けていればいい。

今回とりあげた方は、みな魅力的で、考えさせられたことが多かった。この「建築浴のおすすめ」でも、また触れたいと思う。
大泉の家07

「〈階段〉が面白い要素なのは、そこが建築家に残された最後のデザイン領域になるからで、レンタブル比や壁紙の色について厳しく言う施主でも、階段までは普通口を出さない。でも必要不可欠なものだから、付けないわけにいかない。いわば盲点。そこに建築家の希望を滑り込ませることができる」

大泉の家08

『手すり大全』の紹介がてら、先週金曜の早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校のレクチャーで、そんな話をした。
だから1970年代までの建築は中に入ると意外に発見的だ、という趣旨だったのだが、昨日のオープンハウスで訪れた菊地宏さんの「大泉の家」は、出来たてなのに、金曜の話がよく似合う住宅だった。

大泉の家01

敷地は線路沿いの直角三角形。建築面積が28.24平方m、延床面積が77.79平方mと、これは立派な狭小住宅である。
そうした条件に対して、一見すると変わった設計をしているようには見えない。敷地に3層を重ね、斜線制限で切り取った形状。事前に平面図や立面図を見る限り、それくらいにしか思えなかった。
しかし、実際に訪れると広いのだ。さらに、そうした広さ以上の〈使い出〉が一つ一つの階にある。なぜか?
一番の首謀者は階段だ。

大泉の家02

「大泉の家」の階段は、側壁に囲われ、クランクしている(バルコニー同様、手すりの工事はまだ始まっていない)。閉鎖された空間の中に、四角い窓から光が注ぐ。近づいていくと、それが外がのぞける高さにあることに気づく。
いったん閉じた空間に入ったあと各階(≒各部屋)に出るのだから、広く感じるのは当然だが、それ以上に、各階の壁に施された色と呼応して効果的だ。色面と意外な角度で - 水平方向にも垂直方向にも - 遭遇する。

大泉の家05

たぶん、〈階段効果〉というものがある。例えば、階段は身体の向きを強制的に変えさせる。1階と2階の間の例えば1.41階のようなレベルをつくりだす。それは建物が小さければ小さいほど効いてくる。

大泉の家06

極小だからこそ、階段が体感的な意味を帯びるし、機能が特定されない部屋の分化が意味を持つ。色面もこの2つの意味に関わっているが、さまざまなものをつなぐ階段はその心棒として働く。具体的で冷静な判断が、菊地宏さんらしいと思った。

大泉の家04
久米設計本社ビル03

JR京葉線の潮見駅を降りたのは初めてだ。
倉庫や印刷工場があるかと思えば、丹下健三・都市・建築研究所の手がけた小ぎれいな公団マンションがある。最初は、とりとめのない印象だった。

「以前の本社は西麻布にあったので、1993年にここに移った時には、なんでという声も多かったみたいですよ」と芝田義治さんが言う。それも分かる。
久米設計の建築設計部に務める芝田さんとは日本建築学会の「建築雑誌」編集委員会でご一緒していて、せっかくなので本社ビルを案内してもらうことになった。
「でも、僕はこの本社を見て入社を決めたんですけどね」。

久米設計本社ビル01

芝田さんがそう言った理由が、本社を道路側から見ていた時にはピンと来ていなかったが、社内をひととおり案内していただき、運河側に出る頃には納得したのだった。
水面が正面のような建物だ。道路と反対側は運河で、そちら側に一面のガラス窓が開いている。この久米設計本社ビルの特徴は、天然の木が植えられた中央の吹き抜けなのだが、これが水面に面しているからこその設計なのだと合点がいく。

久米設計本社ビル02

すべての部署が吹き抜けに通じていて、そこから一番近いところに社内打ち合わせのブースがある。BGMではなく、天然のホワイトノイズが全体を包み込んでいる。人の動きが見える。同じ空気を吸っていることが、五感を通じて分かるような空間だ。その空気はよどむことなく、川の流れにつながって思える。

久米設計本社ビル04

芝田さんのデスクも見せてもらった。眼を机から少し上にやれば、そこは運河と青空である。
後ろにサポートしてくれる仲間の存在を肌で感じ、前には無限の拡がりがある。ここから健康な建築が当たり前に生まれなければおかしいような環境だ。
東京音楽大学100周年記念館など、芝田さんが関わった設計の背景が少し分かったような気分がした。
偶然にも芝田さんの隣で働いているのは、家族ぐるみで親しくしている弟の同級生。お子さんが生まれたばかりで、デスクトップではもちろん愛娘が笑っていた。

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蒲郡市民体育センター01 蒲郡市民体育センター02 蒲郡市民体育センター03

20世紀の建築を語る上で「構造表現主義」という言葉をしばしば耳にする。通常とは違う「構造」が「表現」の主役を担う。その見本のような建物が、愛知県蒲郡市にある。
「蒲郡市民体育センター」は、石本建築事務所の設計で1968年に完成した。当初の名称は「蒲郡市民体育館」。昭和の時代にはこれほどの施設が周囲で珍しかったので、有名選手が来館したり、プロレス興業も行われた。そんな話を聞いた。

それにしてもインパクトの強い外観である。カーブを描く鉄骨の屋根を、14本の柱が引っ張り上げている。
建築通の方なら、全体のシルエットからエーロ・サーリネン「TWAターミナル・ビルディング」(1962)を連想するかもしれない。支柱はピエール・ルイージ・ネルヴィ「ローマの体育館」(1958)だろうか。
特に後者と比べると、支柱が擬人化されて見えてくる。同じ支柱くんが、あちらではドームを押し合い、こちらでは屋根を引き合っているようで、頬が緩む。
あるいは、もっと直接的に「紡織機」を連想することも可能だろう。体育館が完成した当時、蒲郡市は繊維産業で潤っていた。豊田自動織機の発祥地は、ここから北西に約20kmの位置にある。

しかし、この建物は外見だけではない、内部をぜひ訪ねてほしい。
支柱が壁の外側でがんばってくれているお陰で、すべての面にガラスがまわっている。大屋根が宙に浮いて見える。屋根がつくる中央下がりの空間が、勾配の急な観客席を居心地の良い場所にしている。
意外にも内部は大味ではない。観客がそれぞれに試合に向き合えるような空間が達成されているのだ。

蒲郡市民体育センター04 蒲郡市民体育センター05 蒲郡市民体育センター06

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