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『JA70』風景の解像力

『風景の解像力 30代建築家のオムニバス』展は、書店にいま並んでいる『JA』第70号との連動企画展。東京・京橋のINAX GINZAで7月5日まで開かれている。

そのオープニング日である昨日(6月28日)、乾久美子さん、長谷川豪さん、平田晃久さん、石上純也さんによるシンポジウムがあった。展覧会および雑誌を構成する8人のうちの4人だ。次の4名 ― 中山英之さん、中村竜治さん、藤本壮介さん、藤村龍至さん ― のシンポジウムは、7月5日に行われる。
贅沢な企画だと思う。いまを時めく若手建築家が一堂に会しているにもかかわらず、展覧会の開催期間は8日間。シンポジウムは約100名しか聞けないのだから。藤村さんのblogにシンポジウムが5倍の抽選倍率だったと書いてあったが、それもうなずける。
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カトリック菊名教会02

日本大学名誉教授の山口廣さんが「村上さんは教会コンペで連戦連勝だね」と話されていた。
村上晶子さんが2006年の指命設計コンペで設計を手がけることになった《カトリック菊名教会》が献堂した。午前中の見学会に訪れた。いろいろな所でお世話になっている方々と、一同にお会いできて、さすがに坂倉建築研究所のネットワークだと感じる。
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最高学府・東京帝国大学(現・東京大学)の「正門」は、明治最後の年にようやく完成した。有名な赤門は正門ではなく、現在の正門の場所には、それまで木製の「仮正門」があった。
現在の正門の設計には、伊東忠太が手を貸した。形式としては江戸時代の冠木門をモチーフに、材料を花崗岩・煉瓦・鉄という燃えない材料に置き換えている。
いかにも「建築進化論」を唱えた伊東忠太らしい思考。そう早合点しそうになるが、この方針を決めたのは、当時総長だった浜尾新だった。「武士道精神」や「国体」が大好きで、夏目漱石に「明治四十二年の東京大学総長の頭脳の程度はこの位にて勤まるものと知るべし」と日記で揶揄されている浜尾新である。
伊東忠太らしさは、門扉や冠木形といった鉄部のデザインに現れている。迂曲するその曲線に…。門扉には唐草文様が彩られ、下部には青海波模様があり、冠木形では波打つ水と雲の模様が中央にある東京帝国大学の紋章を飾る。竣工の時の記事を読むと、唐草模様は「唐の金具様の輪郭」とされ、冠木形の上部曲線は「幾分『ゴツシク』式迫持の意義」を含むと説明されている。
「和魂洋才」のような門のコンセプトは、設計者に与えられた条件だった。伊東忠太は、それを踏まえながら、自らの嗜好と世界観をデザインに投影した。堅苦しくない曲線で正門を彩り、日本、東洋、西洋の様式を接続しようとしたのだ。

*下の写真をクリックするとgoogleマップに飛びます。
  
城西小学校01 秋田県営住宅新屋団地
「小さな『建築』としての住居」と題した原広司さんの講演会が、6月21日(土)に国士舘大学で開かれた。原さんを生で拝見したことはなかったので、興味津々で妻と赴いた。
定員約500名のホールは、開始時刻にはほぼいっぱい。学生が多いようだった。
同大准教授の南泰裕さんは、東京大学の原研究室の出身である。師の経歴を紹介する言葉の後、原さんが、写真で見慣れた少しルースなモノクロームのジャケットと白髪を、軽快に揺らしながら現れる。スタイリッシュである。
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東京日仏学院01 アテネフランセ01
本日は早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校の見学会。晴れ男を自認しているので、天候がなんとか持ったこんな日は嬉しい。
行き先は、東京日仏学院アテネ・フランセだった。集合場所の飯田橋で共通点を3つ挙げたはずだったので、それを思い出して書こうとしたら、次の7項目にふくらんでしまった。
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伊丹潤建築作品集表紙

伊丹潤さんが作品集『JUN ITAMI―1970-2008 建築と都市』(主婦の友社、2008)を出版された。丁寧なお手紙と共にお贈りいただいて大変あり難く、恐れ入る。

1937年生まれの建築家・伊丹潤さんのことを知ったのは、学校の本棚にあった『伊丹潤建築作品集』(求龍堂、1993)を手にとってからで、モノクローム写真からも伝わる生々しい素材感と、一方で静謐なその扱い方の取り合わせに、それまで目にしたどの建築とも違う、えも言われぬ魅力を感じたのだった。
しかし、その時の私は誤解をしていた。住宅を主な舞台に、1970年代の反「近代建築」の潮流を独自の個性として結実させた、どちらかというと孤高で寡作な建築家。そんな当時のイメージは、今年に入って改められたのだった。
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馬場烏山別邸の階段

6月30日(月)の18時から、東京・田町の建築会館ホールで、建築家・吉田鉄郎の特集番組(富山テレビ)の上映会&シンポジウムが開かれる。
吉田鉄郎は1894年に富山県砺波郡福野町(現・南砺市)の郵便局長の家に生まれ、1919年に東京帝国大学建築学科を卒業後して逓信省経理局営繕課に勤務。検見川送信所(1926)、別府市公会堂(1928)、東京中央郵便局(1931)、馬場烏山別邸(1937)、大阪中央郵便局(1939)を設計するなど、戦前のモダニズム建築を牽引した建築家だ。
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