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2006.02.25
「賞罰なし」でなくなりました
帰宅すると、薄っぺらの封筒がポストの中に落ちている。
差出人は「日本文化藝術財団」。
中身が紙1枚なのは、すぐに分かる。
「『残念ながら…』なら、参考資料くらい、返却してくれてもいいのに」
ぼやきながら、封筒の口を破る。
端の少し折れた用紙には、
「厳正なる審査をいたしました結果、
日本現代藝術奨励賞の受賞者に決定しました」
と書かれていた。
今年で13回目の「日本現代藝術奨励賞」。
要項によれば、
「現代藝術の創作普及、調査研究に関する活動を行うことを
主な目的とし、その活動において既にある程度の実績があり、
奨励賞を受けることにより今後の活動が更に期待される藝術家
または研究者」に与えるとのこと。
伊東忠太と吉阪隆正の研究活動が評価されたようだ。
「日本現代藝術奨励賞」の過去の受賞者には、
建築家の妹島和世さん、宮本佳明さんなどがいる。
同財団は他に「日本現代藝術振興賞」などを主催している。
こちらの受賞者は、建築に隣接した分野の方が多い。
和泉正敏氏(彫刻家、イサム・ノグチのお弟子さん)
原美術館(現代美術館、渡辺仁の設計した邸宅を改装・別館は磯崎新が設計)
田窪恭治氏(芸術家、「林檎の礼拝堂」再生プロジェクトで村野藤吾賞、
鈴木了二さんとのコラボ「絶対現場」「金刀比羅宮社殿」など)
宮脇愛子氏(彫刻家、磯崎新夫人)
川俣正さん(芸術家、建築・都市的なプロジェクトを多く手がける)
荒川修作氏(芸術家、「養老天命反転地」とか「三鷹天命反転住宅」とか)
宮本隆司氏(写真家、廃墟・アンコールワット・段ボール小屋などを撮影)。
建築つながりで言えば、今年の「日本文化藝術振興賞」(伝統的な対象を扱う)は、京都の町屋の保存活用で知られる「財団法人奈良屋記念杉本家保存会」が栄誉を受けた。
建築史・評論の分野で初めての受賞者になれた。
ダブルで初物で、うれしい。
財団は未来を見据えながら、「藝術」という表記などに、
日本への独自の思い入れを感じさせる。
授賞式は、格式ある「明治記念館」。
名誉会長の瀬島龍三氏にお会いできないかしら、わくわく、
などと、式典の日を心待ちにしている。
差出人は「日本文化藝術財団」。
中身が紙1枚なのは、すぐに分かる。
「『残念ながら…』なら、参考資料くらい、返却してくれてもいいのに」
ぼやきながら、封筒の口を破る。
端の少し折れた用紙には、
「厳正なる審査をいたしました結果、
日本現代藝術奨励賞の受賞者に決定しました」
と書かれていた。
今年で13回目の「日本現代藝術奨励賞」。
要項によれば、
「現代藝術の創作普及、調査研究に関する活動を行うことを
主な目的とし、その活動において既にある程度の実績があり、
奨励賞を受けることにより今後の活動が更に期待される藝術家
または研究者」に与えるとのこと。
伊東忠太と吉阪隆正の研究活動が評価されたようだ。
「日本現代藝術奨励賞」の過去の受賞者には、
建築家の妹島和世さん、宮本佳明さんなどがいる。
同財団は他に「日本現代藝術振興賞」などを主催している。
こちらの受賞者は、建築に隣接した分野の方が多い。
和泉正敏氏(彫刻家、イサム・ノグチのお弟子さん)
原美術館(現代美術館、渡辺仁の設計した邸宅を改装・別館は磯崎新が設計)
田窪恭治氏(芸術家、「林檎の礼拝堂」再生プロジェクトで村野藤吾賞、
鈴木了二さんとのコラボ「絶対現場」「金刀比羅宮社殿」など)
宮脇愛子氏(彫刻家、磯崎新夫人)
川俣正さん(芸術家、建築・都市的なプロジェクトを多く手がける)
荒川修作氏(芸術家、「養老天命反転地」とか「三鷹天命反転住宅」とか)
宮本隆司氏(写真家、廃墟・アンコールワット・段ボール小屋などを撮影)。
建築つながりで言えば、今年の「日本文化藝術振興賞」(伝統的な対象を扱う)は、京都の町屋の保存活用で知られる「財団法人奈良屋記念杉本家保存会」が栄誉を受けた。
建築史・評論の分野で初めての受賞者になれた。
ダブルで初物で、うれしい。
財団は未来を見据えながら、「藝術」という表記などに、
日本への独自の思い入れを感じさせる。
授賞式は、格式ある「明治記念館」。
名誉会長の瀬島龍三氏にお会いできないかしら、わくわく、
などと、式典の日を心待ちにしている。
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2006.02.24
長田直之さんの東京進出「blocco」
いろいろあったのだが、blogはごぶさたしてしまった。
いろんなことを、少しづつ。
先々週末、良く晴れた風の強い日、
北区王子の集合住宅、bloccoを見に行った。
設計者の長田直之さん(ICU一級建築士事務所代表)は、
大阪を拠点に活動を続け、敷地形状を活かした住宅に定評のある若手建築家。
bloccoは東京デビューの作品だ。
タカギプランニングオフィス主催の「TPO ReCoMendation 2004」で設計者に選ばれ、この1年間、駒込のケヤキハウスの一室を借りて、設計監理にあたっていた。
bloccoを見に行ったのも、ケヤキハウスのオーナーからの誘いを受けてのこと。
「一人で現場をちゃんと見て。礼儀正しいし、若いのに感心しちゃうわ」。
やけに買われているなあ。
3つ年上の長田さんとは『建築MAP京都』の執筆の時、初めてお目にかかった。
まだ、安藤忠雄建築研究所から独立されて間もない頃の話だ。
車で近づくと、bloccoはすぐに分かる。
古い商店がぽつぽつと並ぶ木造住宅地。
角地にある打ち放しコンクリート仕上げの集合住宅がそれだ。
5階建てに全29戸が収まる。

説明としては「十字プラン」から始めるのが適当だろう。
雑誌「カーサ ブルータス」の2月号が
「2006年の大発明をひと足先に紹介します!」と書くところの「十字プラン」。
中央に縦長(短いほうが2.3m位)の6~11畳程度のメインの部屋、
両脇に6畳程度のサブの部屋が取りつき、
そのうち入口のあるほうは土間仕上げで、一角に浴室があるというもの。
1階と2階の一部の部屋は、これと違って、道路から独立した入口があったりする。
まず単純に感心するのは、「十字プラン」(や1・2階のイレギュラーな配置)のおかげで、隣の部屋との間に隙間ができ、プライバシーを確保した上で、光や風が通り抜けること。
外部廊下を歩いた時のシーンの面白さにも貢献している。
一つ一つの住戸を訪ね歩いていくと、すべての部屋のプランが微妙に違う。
専用庭を介して部屋に入るもの。
同じ「十字プラン」でも、土間が広いもの、狭いもの、L字形に曲がっているもの。
少しの違いが、使い方を左右する。生活のイメージが喚起される。
窓の配置がまちまちなのも面白い。
各部屋の窓は、大きく3つのタイプがある。
メインの部屋の端に用意される(中央の部屋は除く)床から天井までのガラス窓。
1m角の窓。それに、キッチンの手元を照らしたりする細長い開口部だ。
遠くのマンションを眺めたり、路地を挟んだお隣の盆栽を観賞したり、
中華料理屋の真っ赤なビニール屋根を覗いたり。
「昭和81年」( (C)横山剣)って感じの、人間くさい風景を切り取って、
ここならではの魅力にしている。

全体を見てまわると、「捨て部屋」が無いことに気づく。
北向きの部屋もいいし、南向きの部屋もいい。
上の階にも下の階にも、そこにしかない個性がある。
メゾネット形式で無いのに、立体的な思考を感じさせる。
建築表現の面でも、「売れる」建物という意味でも、巧い。
建て込んだ敷地やリノベーションの仕事で鍛えた設計者の実力、
それに、今回の設計にかける意気込みを感じる。
久しぶりにお会いした長田さんは、
僕のイメージの中にあったよりも、堂々として、骨太に見えた。
「関西でオープンハウスというと数十人だけど、
今回、それほど告知していないのに、百数十人が訪れて、こりゃ大変だなと」。
こちらでの仕事を何件か抱えていて、bloccoの一室を東京事務所にするという。
関西と東京のテンポの違いなどを、にこやかに話す。
確かに、東京はちとクレージーかもしれない。
でも、長田さんなら、呑み込まれることなく、さらに波に乗っていくことだろう。
人も、作品も、若くして、これだけ老練なのだから。
いろんなことを、少しづつ。
先々週末、良く晴れた風の強い日、
北区王子の集合住宅、bloccoを見に行った。
設計者の長田直之さん(ICU一級建築士事務所代表)は、
大阪を拠点に活動を続け、敷地形状を活かした住宅に定評のある若手建築家。
bloccoは東京デビューの作品だ。
タカギプランニングオフィス主催の「TPO ReCoMendation 2004」で設計者に選ばれ、この1年間、駒込のケヤキハウスの一室を借りて、設計監理にあたっていた。
bloccoを見に行ったのも、ケヤキハウスのオーナーからの誘いを受けてのこと。
「一人で現場をちゃんと見て。礼儀正しいし、若いのに感心しちゃうわ」。
やけに買われているなあ。
3つ年上の長田さんとは『建築MAP京都』の執筆の時、初めてお目にかかった。
まだ、安藤忠雄建築研究所から独立されて間もない頃の話だ。
車で近づくと、bloccoはすぐに分かる。
古い商店がぽつぽつと並ぶ木造住宅地。
角地にある打ち放しコンクリート仕上げの集合住宅がそれだ。
5階建てに全29戸が収まる。

説明としては「十字プラン」から始めるのが適当だろう。
雑誌「カーサ ブルータス」の2月号が
「2006年の大発明をひと足先に紹介します!」と書くところの「十字プラン」。
中央に縦長(短いほうが2.3m位)の6~11畳程度のメインの部屋、
両脇に6畳程度のサブの部屋が取りつき、
そのうち入口のあるほうは土間仕上げで、一角に浴室があるというもの。
1階と2階の一部の部屋は、これと違って、道路から独立した入口があったりする。
まず単純に感心するのは、「十字プラン」(や1・2階のイレギュラーな配置)のおかげで、隣の部屋との間に隙間ができ、プライバシーを確保した上で、光や風が通り抜けること。
外部廊下を歩いた時のシーンの面白さにも貢献している。
一つ一つの住戸を訪ね歩いていくと、すべての部屋のプランが微妙に違う。
専用庭を介して部屋に入るもの。
同じ「十字プラン」でも、土間が広いもの、狭いもの、L字形に曲がっているもの。
少しの違いが、使い方を左右する。生活のイメージが喚起される。
窓の配置がまちまちなのも面白い。
各部屋の窓は、大きく3つのタイプがある。
メインの部屋の端に用意される(中央の部屋は除く)床から天井までのガラス窓。
1m角の窓。それに、キッチンの手元を照らしたりする細長い開口部だ。
遠くのマンションを眺めたり、路地を挟んだお隣の盆栽を観賞したり、
中華料理屋の真っ赤なビニール屋根を覗いたり。
「昭和81年」( (C)横山剣)って感じの、人間くさい風景を切り取って、
ここならではの魅力にしている。

全体を見てまわると、「捨て部屋」が無いことに気づく。
北向きの部屋もいいし、南向きの部屋もいい。
上の階にも下の階にも、そこにしかない個性がある。
メゾネット形式で無いのに、立体的な思考を感じさせる。
建築表現の面でも、「売れる」建物という意味でも、巧い。
建て込んだ敷地やリノベーションの仕事で鍛えた設計者の実力、
それに、今回の設計にかける意気込みを感じる。
久しぶりにお会いした長田さんは、
僕のイメージの中にあったよりも、堂々として、骨太に見えた。
「関西でオープンハウスというと数十人だけど、
今回、それほど告知していないのに、百数十人が訪れて、こりゃ大変だなと」。
こちらでの仕事を何件か抱えていて、bloccoの一室を東京事務所にするという。
関西と東京のテンポの違いなどを、にこやかに話す。
確かに、東京はちとクレージーかもしれない。
でも、長田さんなら、呑み込まれることなく、さらに波に乗っていくことだろう。
人も、作品も、若くして、これだけ老練なのだから。
2006.02.09
鈴木恂、旅する建築家



「世界を旅して写真やスケッチで捉えながら、連れ立っていない。
ひとりで対象を見ているという凄みがある」(植田実)
「どこからでも建築は始まるということを、この住宅に学んだ」(西沢大良)
「僕が初めて会った1970年代は、はっきり言って『不良』でした(笑)。
優しい先生の顔をかなぐり捨てて、もう一度『不良』になってください」(内藤廣)
以上、2006年2月4日(土)のシンポジウム
「鈴木恂・建築の軌跡1965-2005」の発言から。
建築家の鈴木恂さんが、3月で早稲田大学教授を退任される。
その「退任記念建築週間」の一環として開かれた。
司会は赤坂喜顕さん。パネリストは、鈴木アトリエ出身の、板屋リョクさん、
「都市住宅」の編集長として鈴木さんを発見したと言っていい、植田実さん、
「箱の家」の建築家であり、戦後モダニズム建築にも造詣が深い、難波和彦さん、
吉阪隆正の研究室の先輩・後輩関係でもある、内藤廣さん、
そして、若手建築家の中でモダニズム建築の関心が近年、高まっているが、
その代表者の一人といえる、西沢大良さん。
仕事の都合で少し遅れて到着すると、250席の会場は、ほとんど満席だった。
有名人の姿はもちろん、学生も多く詰めかけている。
鈴木恂さん本人も聴いている。
豪華メンバーによる、スリリングな企画。
単なる賛辞で時間が過ぎるはずもない。
建築家・鈴木恂の個性と時代性をめぐって、熱い言葉が交される。
2時間(+30分延長)の間尺に到底、収まらない。
今後の論議に期待がつながる。
鈴木恂さんの建築は、大胆と繊細を兼ね備えて、格好いい。
時代の潮流に頼っていないから、今も建築として強い。
それは本人にも通じている。
1935年に北海道で生まれ、早稲田大学に進学。
建築家として名声を獲得し始めた頃の吉阪隆正に学び、
1960年代初頭から、欧米の他、
その頃まだ珍しかった中南米や中近東などを旅して帰国。
組織に属することなしに、自らのアトリエを開く。
打ち放しコンクリート仕上げやガラスのスカイライトといった大胆な作風で、
日本の住宅のイメージを書き換え、有名人や横文字職業人の邸宅も多く設計する。
これらが30代の出来事。
1970年代半ば以降、仕事の幅を広げ、
例えば、GAギャラリーやスタジオ・エビス、マニン・ビルなどを手がける。
スタイリッシュな作品でありながら、業界人の軽薄さや、
「巨匠」の鈍重さは微塵も感じられない。
初期の軽やかさは、裏切られていない。
建築家として、こんな理想的なプロフィールはそう無いのではないか。
表層的にステキでありながら、根源的な格好良さがある。
たぶん、今の若者も魅かれるような類のものだ。
ル・コルビュジエが、旅とレプラトニエ先生から、
吉阪隆正が、旅とル・コルビュジエからしか学ばなかったとすれば、
鈴木恂さんは、旅と吉阪隆正からのみ、自分を鍛えたと言えようか。
軽やかに動き、熱く冷たく観察し、咀嚼するまで寝かせるだけの自己抑制を備え、
自分の吐く魅力的な言葉に自分がすがることは無い。
才気にあふれて、時代やスタイルや立場を、軽やかにすり抜け続ける。
表面上の違いを超えた「旅する建築家」の系譜がのぞく。
2月11日(土)まで、早稲田大学小野梓記念館地下2階で「写真展:回廊 KAIRO」、
同1階で「建築展:MAKOTO SUZUKI WORKS」が開催されている(10:00~18:00)。
壁に据えた建築模型や図面、旅に出たくなるような雲のスケッチや写真。
過去を振り返るのではなく、才気を追体験できるような空間だ。
http://www.waseda.jp/jp/event/
11日の15時からは、小野梓記念館地下2階で
鈴木さんの最終講義「空間をめぐって 建築の野生(フィールド)」。
今度は早く行かないと、本当に入れなさそうです。
2006.02.08
卒業設計という祭り
ICSカレッジ・オブ・アーツという専門学校で、週に2日、教えている。
つい先日に卒業設計の講評会があった。この学校では初めての試み。
インテリアデコレーション科(2年制)の5名と、
インテリアアーキテクチュア&デザイン科(3年制)の12名が選抜され、
居並ぶチューターと在校生の前で自作を説明し、質問に応えていくという形式だった。
学科の名称から想像できるように、
ICSはプロダクトからインテリア、建築までを範囲としている。
「チューター」という聞きなれない言葉は、教師のことで、
英国国立大学と提携する同校は、基本的に5~8名を一単位として、
90分間を一人の先生がゼミ形式で教える「チュートリアル制」を採っていることから、
このように呼ばれる。
大きく「設計」と「理論」の二本柱からなる教育方針もICSの特徴で、
デザインの修練や実務の知識と同時に、
自分のデザインを説明づける能力にも重きが置かれている。
卒業設計の前には、卒業研究(卒業論文)も書かせる。
僕のように実務にうとい人間も、だから、役に立たなくは無いようだ。
みかんぐみのマニュエル・タルディッツさんと加茂紀和子さん、
若手建築家の柳沢潤さんや根津武彦さんや佐藤勉さん、
彫刻家の古郡弘さん、プロダクト・デザイナーの村澤一晃さん・・・。
講評会には、ICSのチューター陣が勢ぞろいした。
説明が一人3分、質疑応答が7分で、午後早くには終了。
そんな予定は、早々に有名無実になる。
なにせチューターたちが、(僕も含めて)良くしゃべるのだ。
やさしく質問したり、けしかけたり、
時に声を荒げる場面さえも、学生の言いたいことを引き出すためにあった。
真剣な議論が、各人のデザイン姿勢の開陳になっていて、
聞いていて、スリリングだった。
熱気は最後の公開投票で、最高潮に達した。
学生たちの前で、ひとり一票をいずれかの作品に投票する。
得票の多いものが、その場で最優秀賞に決まる。
マイクがまわされ、各チューターが、自らの推薦理由を熱っぽく語る。
学生だけでなく、チューターもジャッジされていることは、言うまでも無い。
振り返ると、学生たちの眼は、食い入るように真剣だった。
みな精いっぱい取り組んだのに、一握りの者だけが選ばれて、
解説する機会が与えられる。
チューターは「先生」ではなく、一人の「デザイナー」として、それらに向き合う。
自分の説明不足をふがいなく思ったり、
確かだと思っていたことが揺らいでも、おかしくはない。
プライドと不安の交錯は、聞いている者たちにも共鳴しただろう。
もともと熱気と礼儀に満ちた学校だが、
欠けていたものがあるとすれば、こうした横断的な批評の場だったかもしれない。
おそらく、学生だけでなく、チューターにとっても同じだろう。
きめ細やかな日常のチュートリアルでは、根本的な姿勢をなかなか語れないし、
それを公開の場でぶつけ合える機会も少ないのだから。
こんな健康な冷酷さも、年に一回くらいは悪くない。
つい先日に卒業設計の講評会があった。この学校では初めての試み。
インテリアデコレーション科(2年制)の5名と、
インテリアアーキテクチュア&デザイン科(3年制)の12名が選抜され、
居並ぶチューターと在校生の前で自作を説明し、質問に応えていくという形式だった。
学科の名称から想像できるように、
ICSはプロダクトからインテリア、建築までを範囲としている。
「チューター」という聞きなれない言葉は、教師のことで、
英国国立大学と提携する同校は、基本的に5~8名を一単位として、
90分間を一人の先生がゼミ形式で教える「チュートリアル制」を採っていることから、
このように呼ばれる。
大きく「設計」と「理論」の二本柱からなる教育方針もICSの特徴で、
デザインの修練や実務の知識と同時に、
自分のデザインを説明づける能力にも重きが置かれている。
卒業設計の前には、卒業研究(卒業論文)も書かせる。
僕のように実務にうとい人間も、だから、役に立たなくは無いようだ。
みかんぐみのマニュエル・タルディッツさんと加茂紀和子さん、
若手建築家の柳沢潤さんや根津武彦さんや佐藤勉さん、
彫刻家の古郡弘さん、プロダクト・デザイナーの村澤一晃さん・・・。
講評会には、ICSのチューター陣が勢ぞろいした。
説明が一人3分、質疑応答が7分で、午後早くには終了。
そんな予定は、早々に有名無実になる。
なにせチューターたちが、(僕も含めて)良くしゃべるのだ。
やさしく質問したり、けしかけたり、
時に声を荒げる場面さえも、学生の言いたいことを引き出すためにあった。
真剣な議論が、各人のデザイン姿勢の開陳になっていて、
聞いていて、スリリングだった。
熱気は最後の公開投票で、最高潮に達した。
学生たちの前で、ひとり一票をいずれかの作品に投票する。
得票の多いものが、その場で最優秀賞に決まる。
マイクがまわされ、各チューターが、自らの推薦理由を熱っぽく語る。
学生だけでなく、チューターもジャッジされていることは、言うまでも無い。
振り返ると、学生たちの眼は、食い入るように真剣だった。
みな精いっぱい取り組んだのに、一握りの者だけが選ばれて、
解説する機会が与えられる。
チューターは「先生」ではなく、一人の「デザイナー」として、それらに向き合う。
自分の説明不足をふがいなく思ったり、
確かだと思っていたことが揺らいでも、おかしくはない。
プライドと不安の交錯は、聞いている者たちにも共鳴しただろう。
もともと熱気と礼儀に満ちた学校だが、
欠けていたものがあるとすれば、こうした横断的な批評の場だったかもしれない。
おそらく、学生だけでなく、チューターにとっても同じだろう。
きめ細やかな日常のチュートリアルでは、根本的な姿勢をなかなか語れないし、
それを公開の場でぶつけ合える機会も少ないのだから。
こんな健康な冷酷さも、年に一回くらいは悪くない。
2006.02.01
『吉阪隆正の迷宮』が2刷になるので
おかげさまで、『吉阪隆正の迷宮』(TOTO出版)の増刷が決まりました。
この際に誤字・脱字、事実誤認などがあれば、訂正したいと思います。
お気付きの点がございましたら、2月3日までにお知らせいただければ幸いです。
すでに気づいた点として、以下があります。
p.145、鬼頭梓さん発言の終わりから5行目
(誤)僕は早稲田大学を → (正)僕は東京大学を
お手持ちの方がおりましたら、ごめんなさい、訂正してください。
この際に誤字・脱字、事実誤認などがあれば、訂正したいと思います。
お気付きの点がございましたら、2月3日までにお知らせいただければ幸いです。
すでに気づいた点として、以下があります。
p.145、鬼頭梓さん発言の終わりから5行目
(誤)僕は早稲田大学を → (正)僕は東京大学を
お手持ちの方がおりましたら、ごめんなさい、訂正してください。
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