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先日の6月10日は、神戸市主催の「おとな旅・神戸」で、24名の皆さまに北野の建築をご案内。
私よりもずっと長く住まわれているマダム方に解説するというのも、不思議な気分ですが(笑)

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ドイツ的なロマン主義に中国や日本を捉える視点が重なる「風見鶏の館」から、古典主義のプラグマティックな解釈であるアメリカ総領事の住まい「萌黄の館」、「旧レイン邸」でのランチの後、「ローズガーデン」で世界の安藤忠雄・雌伏時代からの個性を読み取り、「神戸ムスリムモスク」でイスラームの意匠と教義に触れる。
「日本」対「西洋」といっただけではない、世界の中での日本の位置が見えてくる。

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「『異人館』ひとからげ」というイメージから、もう一歩踏み込んだら、他にない国際都市・神戸の個性が、一層はっきりし始める。建築を鑑賞することには、そんな力があるという思いが間違っていなかったと感じた、参加された皆さんの笑顔でした。

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7月1日(水)には「旧居留地編」を行います。普段入れない「商船三井ビルディング」の特別なスペース、「海岸ビルヂング」のご案内、そして昼食をいただきながら、国の重要文化財である「旧神戸居留地十五番館」を体感します。
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木屋瀬のまち01

まちがミュージアムとは、こういうことかと思った。
北九州市八幡西区の木屋瀬(こやのせ)を訪れて。

建物はもちろんだが、最も書いておきたいことは、
ボランティアガイドの素晴らしさである。
マニュアル化されてはいない。
みなさん自分のスタイルで話しかけ、語る。
それにしても知識が豊富だ。
眺めているだけでは分からないことを教えてくれる。
何を聞いても答えてくれそうだ。
お決まりの解説セットが出てくるのではない。
あくまで主体はこちら側にあるのだ。
考えてみれば、ガイドの方が自分のスタイルを持っていることと、訪れる者が主導権を持っているということは矛盾しない。
ホテルマンにしても何にしても、一流のサービス業とはそういうものではないか?
木屋瀬で感じたのは、真のサービスである。

木屋瀬のまち04

しかし、これは誰でもできるというものでもないだろう。
まずは多分、好奇心が必要だ。
好奇心、向学心が、生きた知識をつくる。
建物の歴史、細かなつくりから、地域との関係まで、ガイドの方の知識は、専門家である私が聞いても、なるほどと感心した。

それと、プライド。
自分のまちに対する誇りを皆が持っている。
だから、語りかけは静かで柔らかく、力強い。
こうしたまちへのプライドは、木屋瀬のここ10年、20年の取り組みで、より涵養されていったものだと推測する。
それは自分自身への誇りと、重なりあうことだろう。
自分に出自があり、そこにいつかは還るということ。それは人に抑制と、生き生きとした前途への努力を与えるのである。

しかし、こう考えていくと、こうしたことは年輩者に圧倒的に有利だ。
何かのためでない純粋な好奇心・向学心にしても、静かな誇りを持てることも、残念ながら20代や30代ではまるで及ばないだろう。
初めに書いたような、自分のスタイルで語り、間合いを計っていることなど感じさせず、こちらの緊張を解いて我々が自分自身になれるようなサービスは、お年を召された方、あるいはリタイアされた方の得意種目だと言って良い。
このまちは特にそのことを感じさせてくれた。

木屋瀬のまち03

木屋瀬には郷土資料館もあって、それは充実した展示だったが、やはり分が悪い。「もやいの家」や「旧高崎家住宅(伊馬春部生家)」などは無料で入れ、ボランティアガイドの方の説明を聞きながら、歴史と地理を自分の身体で発見する喜びに浸れるのである。
建築とは何て豊饒なものかと思った。

ヨーロッパを訪れた際、ふらっと訪れたまちに良好な美術館があったり、刺激的なイベントに遭遇したりという経験をして、若かったこともあって、豊かだとはこういうことかと、いたく感銘を覚えた。
木屋瀬を訪れ、無料で最上級のサービスを受けて、そんな経験を思い出した。
声高に宣伝しているものだけが優れているのではない。普通にそれぞれが高い質を持っていて、訪れるのを待っているといった「無駄」とも言える状態。日本も、特に大都市以外は、そうなりつつあるし、そうならないといけないのではないか?

「まちがミュージアム」というのは、その時に実現性が高い思想だろう。
仕事(子育てや勤務)を終え、故郷に腰を落ち着けた年輩者が、日々新しい人々に会って精神と肉体の若々しさを保ちながら、誇りを感じて生きられるような。
子供から年輩者までが、この日本にまわりきれないほどの歴史と地理の豊かさがあることを知り、そこから次の仕事や趣味を産み出せるような。
そのように使い続けられていくことによって、建築やまちを保存・保全できるような。

もちろん、こうしたことは直接に利益を生み出しはしない。
意欲に応じた補助が必要だろうし、今もそうなっているに違いない。
その補助は、医療保険や教育や建設に対する支出に比べた時、膨大になるだろうか?
自然環境から前近代、近代、戦後にまで目を向ければ、かなりのまちがミュージアムになりえるだろう。極端に言えば、何もつくらなくったってそれは可能で、効果は絶大だ。

木屋瀬のまち02
2010.04.28 東京2010
常磐橋(1877)

「新建築」2010年4月号は、新春らしい特集だ。
「特集:東京2010」と題し、110人の建築家・専門家に、それぞれ3つの東京の建築を推薦してもらう。それを地図上にプロットし、これまでの「新建築」の写真とデータとを併せる形で、いわば集合知の東京ガイドマップを、新東京人をはじめとするすべての建築関係者に送り届けている。

マクロに見ても、ミクロに見ても興味深い。
例えば、平田晃久さんが伊東忠太の築地本願寺に優れたコメントを寄せていたことが研究者としては嬉しく、菊地宏さんは渡邊洋治の第3スカイビル(これは中村竜治さんも選んでいた)だけでなく、寡黙に建つ渡邊洋治自邸も挙げていて、鋭いと感じた。
大西麻貴さんと石上純也さんが選んだ3件は、それぞれにやや意外なもの。ただ、コメントは前者が野太く、後者がやわらかで、男女入れ替わったようなところは、いつも通りだったが。
建築史家・鈴木博之さんの推薦文も微笑ましい。肩の力の抜けた文章が、本郷を離れたことを思わせる。

私は以下の3件を挙げた。

○常磐橋(東京府、1877)中央区日本橋本石町2~千代田区大手町2
○聖徳記念絵画館(小林政紹+佐野利器+小林政一、1926)新宿区霞ヶ丘町1-1
○ホテルオークラ本館(大成観光設計委員会/谷口吉郎ほか、1962)港区虎ノ門2-10-4

どれも存在としてはど真ん中なのに、不思議と、これまで建築として語られることは少なかった。
それぞれ、前近代から近代の転換(擬洋風)、近代化(様式建築)、戦後の再出発(モダニズム建築)の中で、近代化(西洋化)の最前線に建ちながら日本を表象し、日本における近代の苦心と困難と可笑しさと可能性を語っているように見える。
その苦心と困難と可笑しさと可能性のショーケースとして「東京」はあり、その意味では、東京は現在が最高地点(ピーク)ではないか。

そんなことを「インタビュー:歴史のショーケースとしての東京」として語った。
「特集:東京2010」では、菊竹清訓さん、林昌二さんや伊藤滋さんら6人が「東京論」を論じてもいる。その末席に置いてもらった。
可笑しいのはこれが、「西日本工業大学」名での最初の記事であること。
肩書きだけ見たら、なんで東京を語っているのかと思う方もいるかもしれない。

いろんな意味で、異動の手土産を持たせていただいたような気分。
東京については、これからも考え続けていくことになるのだろう。

ホテルオークラ本館(谷口吉郎他,1962)
早川倉庫01

2月28日に熊本大学建築学科・田中智之さんのスタジオの講評会が熊本市萬町の早川倉庫で行われた。明治初期に建てられた2棟の木造建築が、今も現役なのだ。

「一号倉庫」は明治11(1878)年、「二号倉庫」は明治13(1880)年の竣工。もとは岡崎酒店酒類醸造場としてつくられた。大正時代から早川家がこれを用い、和傘・履物の卸売などに使われた後、現在は貸倉庫として使用されている。
以上のような歴史的経緯は、崇城大学の磯田桂史准教授の研究室によって研究された。28日は講評会と共に「『保存』を越える何かのために」というタイトルで講演させていただいた。磯田さんをはじめ先生方も来場されていて身が引き締まった。

早川倉庫08

「一号倉庫」と「二号倉庫」は、外観からはほぼ同じようだが、架構の違いが自然と空間の違いに結びついているのが面白かった。構造である意匠である木材は風雪を味方に付け、何に転用したとしても負けないような存在に感じられた。自由度の高い《建築》が、そこにあった。

早川倉庫07 早川倉庫03

敷地には他に「本宅」が建っている。そちらも早川倉庫の早川礼三さんにご案内いただいた。大きな木造建物だ。一部は倉庫に使われ、一部は改造して住まいにされている。
中に入って驚いた。一つは架構の想像以上の豪放に、もう一つはリノベーションのセンスの良さにである。

早川倉庫05 早川倉庫06

露わな小屋組は、そのままでは決して人に優しくない。自らの原理で確固として建っている。そこから扉を一枚隔れば、ヒューマンスケールの住まいである。いわゆる日本の「民家」風ではなく、率直さだけを通底させたようなインテリアだった。
木材を早川さん自身が磨き上げ、職人に指図して改装されたという。生まれた時から横にあるからこそ、何が似合うのかを熟知しているのだ。

早川倉庫02

豪放と繊細が、アンチヒューマンとヒューマンがお互いを支え合っている。民家はこうしたことも可能にする。まるで「上原通りの住宅」(1976)である。篠原一男さんにおける「伝統」とは、こういうことだったのかと知った。


※2009.03.03追記 続きを翌日の記事として書きました

熊本大学建築学科・田中スタジオの講評会が一昨日、熊本の早川倉庫で行われた。田中智之さんにはコメンテーターとして呼んでもらって、たいへん有り難かった。

というのも、大学の講評会に参加させていただくのは初めてだったが、田中さんの柔らかなコーディネートと、同席させていただいた熊本大学社会環境工学科の田中健路さん、星野裕司さんの同じ地平を共有しながらも異なったコメントに誘われて、良いデビューを経験することができたからだ。
半年をかけるに足る、リサーチとデザインの現場が普段の生活圏内に存在している。その成果に関して、学科の垣根を越えて率直に話してもらえる。熊本大学の学生は幸せだと思った。

加えて特筆すべきは、早川倉庫との出会いだった。講評会の現場となった倉庫をはじめ、明治11年から13年にかけてつくられた建物群を拝見させていただいた。その模様をアップしたいのだが、ホテルのパソコンにSDカードの差込み口が無かったために断念。

今日は福岡に来ている。シーサイドももちやぐりんぐりん等、以前に訪れていないところから攻めて行きたいと思う。空には雲ひとつ無い。
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