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星薬科大学01

アントニン・レーモンドの設計で1924年に完成した「星商業学校(現・星薬科大学)」は、当時なんとも「SF的」な総合校舎だったに違いない。何せ一つの建物の中に収まるのは、階段教室、大講堂、図書館から運動場まで・・・。しかも、そこには一つの階段もない。すべてが一続きの床でつながっている。

星薬科大学04

魔法の鍵はスロープだ。正面の吹き抜けにスロープが巡る。背面には階段室の代わりに2つのスロープ室があって、見た目のアクセントにもなっている。大講堂も床がゆるやかに傾斜している。

星薬科大学03 星薬科大学02

スロープは階の違いや建物内外の境といった常識を取り払う。正面の階段室の視線が、入口の門とつながる。ここにあるのは外に対して隔てるような威厳ではない、機能に基づいた新しい建築の存在感。

星薬科大学05

当時これだけの施設をつくらせた星一がすごい。使い続けている星薬科大学も偉い。さまざまな機能を内包し、敷地の中心に位置を占める校舎であるだけに、通常は建て替えられやすそうなものなのに。
創設者のレジェンドが宿る小さな大学ならではの、偉業だと思う。
オランダ王国大使館01

来年の準備のために、オランダ王国大使館へ。現在の大使公邸はJ.M.ガーディナーの設計を上林敬吉が引き継ぎ、1928年に完成。以前は大使館として使われていた。昨年、葺き替えたという銅板屋根は昔ながらのやり方で、建物を大切にしているのが分かる。

チューリップの小道を抜けて、現在の大使館へ。身体は大きく、気配りは細やかな文化担当官。デスクの脇には、スタイリッシュなmoooiのヌードポスターがあって、これもオランダという感じだった。

オランダ王国大使館02

旧慶應義塾大学医学部附属病院西病舎01

斉藤理さんとの共著『東京建築ガイドマップ』では、移り変わる東京にあって、奇跡的に、考えるべき建築が3つ並びになった場所として、次の2か所を挙げた〔ともにArea 01〕。

・東京大栄ビル(旧蛇の目ミシンビル、前川國男、1965)
・片倉ビル(旧片倉館、清水組、1926/37)
・京橋三丁目ビル(村野藤吾、1978)

・大和証券ビル(中山克己、1956)
・旧日本相互銀行本店(前川國男、1952)
・第一鉄鋼ビル(池田建築設計事務所、1951)

である。すでに、旧日本相互銀行本店は消えてしまった〔註1〕。

旧慶應義塾大学医学部附属病院西病舎02

実はもう1か所、3棟が連続した場所がある(正確には小さな建物を間に挟んでいるが)。どれも昭和戦前期の完成だから、連続性で捉えた時には、さらに貴重かもしれない〔Area 09〕。

・慶應義塾大学予防医学校舎(曾禰中條建築事務所、1929)
・慶應義塾大学北里記念医学図書館(和田順顕、1937)
・旧慶應義塾大学医学部附属病院西病舎(曾禰中條建築事務所、1932)

旧慶應義塾大学医学部附属病院西病舎03

最後の「旧慶應義塾大学医学部附属病院西病舎」は、すでにもぬけの殻になっている。取り壊されるのは間近だろう。裏に回ると分かるが、意外と大きな建物だ。
採光や換気を考慮して窓を広くとり、最先端の治療研究の施設。北里記念医学図書館で竣工写真を印刷した絵葉書を売っていて、新築当時の姿を知ることができる。
設計は戦前最大の建築設計事務所の一つである曾禰中條建築事務所。その末期に至った「アール・デコ化」を物語る。



註1 もちろん、これらには様式的連続性は無いのだから「移り変わるからこそ面白い」とTOKYOの現状肯定につなげることもできる。一つ言えるのは、良い建築は少なく、またこうしたスロットマシーンでたまたま当たったような事後的嬉しさも含めて、都市の楽しみとして享受すべきでないかとだけ記して、ここでは詳しい議論を避ける。

*「建築浴MAP」(googleマップ)で所在地を見る