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2012年5月の「UR団地再生デザインコンペ」で最優秀賞を受賞した藤田雄介さんの「花畑団地27号棟プロジェクト」が完成したので、今日は見に行った。

花畑団地06

1964年から入居が開始された東京都足立区の花畑団地の、1966年に建設された住棟1棟をまるごと再生するというプロジェクト。東京オリンピックの年にでき、今は高齢化も進行している、いわば「団地」のど真ん中は、どのようにリノベーションされたのだろうか。

花畑団地05

結論から言えば、団地の持っていた戦後の人間主義的汎用性が、現在の手法で再生されている。私はとても良いと思った。
このリノベーションの良さは、図面や文書からではよく分からないのではないか?
間取りをとても変えたわけでもなければ、コミュニティに直接手を加えようとしているわけでもない。だから選出した西澤立衛さんら審査員の慧眼たるや・・。

花畑団地04

訪れて理解できたのは、この設計の魂が、間取りそのものというより、部材のディテールと周辺環境にあることだ。
小さな部材と大きな都市が操作の主対象であって、あいだの建物スケールは最重要ではない。極端に言えば、中抜き。そこが新しい。建物スケールを操作することが「建築」だと思ってきた、ここ約半世紀の日本の建築界 — 実は団地の時代はそうではなかった — に一石を投じている。

花畑団地02

室内に入ってみよう。まず感じるのは、正方形の開口部を通して、周囲の広がりが室内に入り込んでくる清々しさである。その理由は、民間開発ではあり得ない当時の団地の建ぺい率の低さだけでなく、「ヒューマニズム」の設計ではあり得ない工業主義的な住棟配置が寄与している。
団地の住棟配置は一般に機械的だ。でも、この花畑団地ほど整然としたグリッド配置は珍しい。だから、室内の人間がとる姿勢が都市と整合して、内外が一貫した空間の爽やかさの中で生きることができる。

花畑団地03

その関係性をつくる上で大事なのは、間に噛ませる建具。工業主義と人間主義を同時に体感させる、この木製のサッシでなければいけないと、設計者は考えたのだろう。
実際、この形態と素材が、新設されたテラスを外部の部屋のように感じさせている。屋外に広がる団地の工業主義と人間主義を、古臭い存在ではなく、再考に値するものとして捉えさせる。

花畑団地07

この1981年生まれの設計者によるプロジェクトには、ここ十数年における北欧モダンブームやリノベーションの一般化、団地の再評価といった空気が、当たり前のように入り込んでいる。
同時に、これは建築家の個性の表明でもある。正直、今まで私は藤田さんの都市的な思考とtoolboxへの参加に見られるような部材への関心の間にどんなつながりがあるのか、頭では理解していても、しっくり来ていなかったところがある。
でも、今日、この作品によって藤田雄介という建築家の姿が見えた。建具と都市を接続しながら汎用性を志向するということが腑に落ちた。

花畑団地01

彼は個別性ではなく、新たな汎用性に賭けている。団地なんて、建材みたいなものだ。決して一品生産ではない。でも、手に馴染むようにと設計されたいくつかのヴァリエーションがある。そして、自分を主張するのではなく、生活の幅を静かに拡張する。
「デザイン」の狂躁を経て、そんな新たな豊かさを私たちが手にし始めた事実と同期する建築家が現れたことを、私は支持する。
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今日の昼過ぎには、TOKYO FMのホリデースペシャル「ドライブのシティ」に出演。堀内貴之さんがパーソナリティを務める「シンクロのシティ」の拡大版だ。『東京建築 みる・あるく・かたる』を読んで、話を聞いてみたいということになったらしい。
東京をロケバスが走って最新スポットを紹介、という企画なので、歴史家の立場と微妙にずれる気もするが、まあ、いいか・・笑。東京国際フォーラム前に停車したロケバス内で10分くらいトーク。
結論から言えば、バスの中なので、いい意味で配信されている実感がないのと、みなプロなのでまったく急かされる感じを受けなかったのとで、緊張のキの字も無かった。楽しかった。

ホリデースペシャル「ドライブのシティ」01

後半では、東京にある穴場の建築を尋ねられたので、上野公園の「法隆寺宝物館」を推薦。すると「私、奈良出身なんですけど、法隆寺と関係あるんですか?」とガイドの松井絵里奈さんが、いい球を投げる。さすが!
宝物というのは、明治初めにフェノロサや岡倉天心が美術として発見して国立博物館に献上した7世紀からの貴重な品々なんだけど、常に展示しておく場所が無かった。それで、十数年前に建てたのが「法隆寺宝物館」。名前は古めかしいけど、これがカッコいい。MOMAの新館も設計した世界的な建築家・谷口吉生の設計で、いつ行っても空いていて、まるでスタイリッシュな高級ホテルのロビーのよう。宝物も意外に可愛かったり、面白い。最近、東京国立博物館の企画展は混んでいるけど、そんな時はぜひこちらにどうぞ、と話す。

ホリデースペシャル「ドライブのシティ」02

さて、そろそろ終わりかな、と思っていると、意外にもう一つ尋ねられる。そういえば、直前に見た台本に、先ほど彦摩呂さんが「近江屋洋菓子店」のアップルパイを紹介されたとあったな・・。
本郷にある支店もまったく同じインテリアで、装飾の無いインテリアに、昭和の洋菓子がモダンだった雰囲気が現れているでしょう。建築としては有名じゃ無いけど、そんな風に建築には物語がいろいろ潜んでいるんですよ。こちらは『ドコノモン』で採り上げた事柄。

ホリデースペシャル「ドライブのシティ」倉方俊輔

トークの模様を、番組スタッフの方が撮影されていた。
建築の面白さは、今後も折に触れて伝えていきたいな。話すのはいくらでもできるので、お声がけください(笑)
1970年の大阪万博が生み落とした“未来”は、今も各地に息づいている。高知県土佐清水市竜串の「足摺海底館」も、その一つだ。
かつての少年科学漫画を思わせる看板が辺りに立つ。開業は1972年。看板は色あせたが、建物は今も鮮明に、風景の中で異彩を放っている。

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足摺海底館は、機械部品のように増殖できそうな外観が「メタボリズム」的であり、海上展望室は「カプセル」のようだ。
もちろん、現実には交換や拡張の予定は無いし、展望室をわざわざ十字形にする理由も見当たらない・・・

足摺海底館02

倉方俊輔『ドコノモン』(日経BP社、2011年12月26日発売)より
東京タワーを見物したら、足下の金地院も詣でたい。徳川家康に重用された以心崇伝(いしんすうでん)が開いた伝統ある寺院だ。1956年に完成した珍しい八角形平面の本堂がひっそりとたたずむ。

金地院本堂01

中央の頭上は折上小組格天井の形状だが、天井板はなく、吹き抜けのルーバーになっている。柔和になった光が室内を一体化する。日本建築の形を用いながらも、伝統にはない垂直方向の採光や空間性を実現させた優れたデザイン。

金地院本堂01

倉方俊輔『ドコノモン』(日経BP社、2011年12月26日発売)より
魅力的な近現代建築は、まだまだ眠っている。主流ではないが名建築と呼べるものをリストアップしていく。栄えある第1回は1971年生まれの「ニュー新橋ビル」。
「新橋のお父さんに聞きました」的なインタビューの背景としてテレビによく登場する、網目状のファサードが特徴的なあのビルである。

ニュー新橋ビル01

階段やエスカレーターに愛らしい色彩のタイルを凸凹に張って場所を記憶する手がかりにするなど、ビルの目的に応じた設計の配慮がさえわたる。

ニュー新橋ビル02

倉方俊輔『ドコノモン』(日経BP社、2011年12月26日発売)より
遠藤勝勧さん出版記念パーティー01

遠藤勝勧さんが『スケッチで学ぶ名ディテール―遠藤勝勧が実測した有名建築の「寸法」
』(日経BP社)という本を出された。その出版記念パーティが少し前に座・高円寺であった。呼ばれて行ったら、すごいことになっていた。

遠藤勝勧さん出版記念パーティー02

会場のアンリ・ファーブルに上がると、目の前のテーブルで、川添登さんと菊竹清訓さん高橋てい一さんが談笑している。そこに穂積信夫さんが深々と挨拶され、見回せば(分かっただけでも)近藤正一さん、武者英二さん、曽根幸一さん仙田満さん、鈴木恂さん、富田玲子さん・・・。伊東豊雄さん古谷誠章さんが、ずいぶん若手に見える。

遠藤勝勧さん出版記念パーティー03

動く戦後建築史絵巻である。
堀越英嗣さんに「一番若いんじゃない」なんて声をかけられてほっとし、こういう中だと、あまり年が変わらないような錯覚に陥って、宮崎浩さんなどとも緊張せずに話せたのは幸いだった。

面白かったのは、入口に用意された芳名録。パシフィックホテルで奥様と披露宴を挙げられた時のものを、遠藤さんが持参された。
その空いているページに今回は記入するという粋な趣向で、菊竹事務所の「アーキビスト」遠藤さんらしい。
以下は田中一光さんの記帳。

遠藤勝勧さん出版記念パーティー04
足摺海底館01

以前の記事で書いた通り、2005年に保存再生された高知県土佐清水市の「海のギャラリー」(林雅子、1966)は素晴らしかった。竜串の奇岩はスケールフリーで、〈ひだ〉のようで、奇妙な素材感があった。
しかし、それだけが竜串の魅力なのではない。
サンゴの売店に売り子はいれど、一向に人は通りかからない。なかなか良くできた中国風意匠の「珊瑚博物館」は昨年、閉館したと言っていた。向こうの山の上にあるホテル、あれ廃墟なんじゃないか?

竜串の奇岩 珊瑚博物館01

今でも行きにくいこの場所が、昭和30年代には観光ブームに沸いたとは信じられないが、辺鄙だから良かったのかもしれない。時間を気にせず、まだ見ぬものを求めて進む青春、あるいは白秋の旅。そんな需要は今や、インドか東南アジアか、どこかそっちに向かっているのだろう。

足摺海底館02 足摺海底館03

時代を超えたアートと、流れゆく俗世。「足摺海底館」は言ってみれば、その間に建っている。
この建物について何の予備知識も無かった。奇岩の向こうに見つけた時は、思わず声を挙げた。だって「メタボリズム」なのだもの。
まわりの風景と無縁の赤と白の色彩。強引な開発色を隠そうとしない。そんな所も、今や好感度につながっている。メタボリズムの中でも、これは黒川紀章(的)だろうという直感は、中に入ると確信に変わる。
世間にこれだけ影響を与えられた建築家は他にいたか? 黒川紀章さんはやっぱりすごいぜ。といったことを結論の一つにまとめた記事はこちら。

(23)大阪万博の“未来”が息づく海中展望塔:足摺海底館 - 倉方俊輔の「ドコノモン100選」
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/column/20090825/534924/

海中展望塔というものには生まれて初めて入ったのだが、予想以上に楽しかった。竜串の中で、ここだけ人が集まっているのも分かる。
しかし、「海中展望塔」というビルディングタイプがあるのだなあ。取材すると、国内では以下の9つがすべてだと思うけれど、違ったら教えてください。例えば明治のパノラマ館のように、これはこれで貴重な時代の証人かもしれない。

足摺海底館04



■国内に建設された海中展望塔の一覧
1 「白浜海中展望塔」(1970年、和歌山県白浜町)※1985年にタンカーの衝突で倒壊

2 「ブセナ海中展望塔」(1970年、沖縄県名護市)
http://kankou.e-pon.jp/busenapark/

3 「串本海中展望塔」(1971年、和歌山県串本町)
http://www.kushimoto.co.jp/en-tenbou.html

4 「足摺海底館」(1972年、高知県土佐清水市)
http://www.a-sea.net/

5 「玄海海中展望塔」(1974年、佐賀県唐津市)
http://www.sashoren.ne.jp/chinzei/tiiki/kanko6.html

6 「勝浦海中展望塔」(1980年、千葉県勝浦市)
http://www.bay-web.com/leisure/katsuura/

7 「シードーナッツ」(1987年、熊本県天草市)
http://dtn.amakusapearl.com/sea/

8 「白浜海中展望塔(コーラルプリンセス)」(1987年、和歌山県白浜町)※2代目
http://www.kit-press.com/navi/le/shirahama-kaicyu_tenboto/index.html

9 「オホーツクタワー」(1996年、北海道紋別市)
http://www.o-tower.co.jp/towerframe.html