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引き続き、1971年の「新建築」を読み進めている。
この前、広告しか取り上げなかった1月号。
中身はというと、住宅特集。かつ、篠原一男さんの小特集のようでもある。
住宅特集としては、清家さんの《続・私の家》や、宮脇壇さんの《鋼の家》、
篠原さんの住宅も2棟、掲載されている。
小特集というのは、篠原一男の論に、多木浩二の篠原論が続き、
要項が発表されている新建築住宅設計競技1972の審査員も,
篠原一男なのである。当時の注目度がうかがえる。
しかし、今の学生の何パーセントが篠原さんの名を知っているのか?

そして、目線はまたも細部に向かうわけで…。
新春号とあって、巻末に前年の建築短評集(「アンケート1970」)が載る。
限られた字数だが、それがかえってピンホールカメラのように、鮮明な像を写してくれる。
冒頭には、内井昭蔵さんの出世作《桜台コートビレッジ》と、
槇文彦さんの名作《ヒルサイドテラス》。ともに称賛に包まれていたのが分かる。
末尾の日本万国博は、これと対照的。
非難 ― 万博に参加した者にとっては、限定的にしか評価していないことの表明 ―
のレトリックを競い合う場のようだ。

《生駒山宇宙科学館》― U研究室(吉阪隆正)の最後の大作
と、《第3スカイビル》― 吉阪研究室にいたこともある渡辺洋治さんの代表作
の完成も、1970年。
コメントは、結果的に応酬になっている。
渡辺洋治→U研究室
 「解ったような解らないような図々しい建築」
吉阪隆正→渡辺洋治
 「南北軸の高層住宅への提案、鉄でのプレハブなど今後の発展性を持つものとして」

コルゲートパイプで作った《川合健二自邸》も「新建築」でフォローされている。
「自由な考え方に頭が下がってしまう。私たちも、もう一度建築から離れて
 出直したほうがいいかもしれない」(吉江憲吉)
書いたのは、大成建設を経た後、1958年に設計事務所を開き、
ホテルや保健所を多く手がけた堅実な建築家である。
川合健二と言えば、そこから多くを咀嚼した石山修武さんが思い出される。
雑誌「建築」の1970年5月号に寄せた「川合健二考」。
やや生硬な文章の中に、35年後の今まで貫かれた思想が息づいて、胸を打つ
その一方、コルゲートパイプを使った「パイプ」シリーズを作り始めている。
1970年に「パイプ♯2 当たり前のパイプ」
1971年に「パイプ♯3 もう一度当たり前のパイプ」
團伊玖麿を思わせるタイトルの後、シリーズ7番目の《幻庵》(1975)でブレイク。
以降のことは、周知のとおり。

世界のアンドーの名も見える。
アンケートには依頼の他、公募(要するに勝手に送り付ける)があったようだ。
安藤忠雄さんは3つの建築にコメントを寄せている。
だが、1つも取り上げられていない。
「その他大勢」なのである、扱いは完全に。
前年にアトリエを開設し、最初の作品は《富島邸》(1973)まで
待たなければいけないから、まあ当然だろう。
そんな中、「安藤忠雄(建築家)」という自称だけが、ぎらり光っている。
誰でも初めは無名だったのだ。ガンバレ若者よ!
みたいなオチになりました。
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インターネットは便利なものだ。
生まれ年の「新建築」がヤフーオークションに出ていた。
思わず落札してしまった1971年の12冊。

1月号からぱらぱら開いてみる。
古くなった雑誌は、細部に味が出る。
本文の論考より、ちょっとしたコラム記事に、
コラム記事よりも、欄外の広告に、
時代の象徴を感じたり、時代に対する先入観をぬぐい去られたりする。
明治や大正の研究をしている時に、そんな経験が多くあった。
今回はどうだろうか?

「1億人を超えたわが国の総人口」という記事から時代が分かる。
「総人口は1億370万3,552人で、沖縄を含めると1億464万9,017人になる」
沖縄を含めると?・・・返還前なのである。
「人口動態で明らかになったことは、いっそう大都市におけるドーナツ現象が進み、核家族化がすすんだことである。東京23区内では、人口は戦後の国勢調査を通じこんどはじめて減少し、逆に東京のベッドタウンや武蔵村山市では急激な増加を見せ、東京に隣接する神奈川県、千葉県、埼玉県においてもその人口増は大きい」
今と逆だ。「核家族」という言葉が懐かしい。当然なので言わなくなったのか。
上にある記事は「日本建築家協会第1回大会開催される」。
前川國男さんが公害問題について語っている、そんな時代だ。
マンガ「サザエさん」(1946~1974)の最後のほう(単行本60巻台)が、
陰うつとしたムードに包まれていたことを思い出す。

眼を引かれたのは、1枚の広告。素朴な文章に、奇妙な写真。
ボーマン美術装飾

プロスパサウナ ― すごいな、このねじり柱。女王陛下もお使いなんだ・・・。
しかし、よく見ると「英帝室」御愛用だから、
「英王室」とは別の、どこかに存在する帝国かもしれない。
ボールピンタワー ― ボーリングブームのまっただ中である。
時代の波を乗り越え、会社のボーマン美術装飾は、今も健在。
カラオケ館や、結婚式場など多方面で活躍している。
装飾の需要は尽きない。明治時代だったら、左官が担当していたような。
分からないのは「ベニンの君主・オバと従者」。 インパクト充分だが、
何なのか、どこに使うのか、どんな時代背景が読みとれるのか。
ご存知の方いますか?