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先週、好評のうちに閉幕したTOTOギャラリー・間の「藤本壮介展 未来の未来」に本人から展覧会レポートを頼まれ、折角ですから、「モンスター」呼ばわりの藤本壮介論を書きました。
最近、国外を旅行したりしている経験や、同年生まれの藤本壮介さんが私が最初に出会い、気にし続けている現代建築家であること、最近の世相への違和感と期待などを織り込み、口当たり良く、しかし、お子さま向けでない味わいに仕上げたつもりですが、まぁどうなんでしょうね。
少し長いですが、ご一読いただければ幸いです。

藤本壮介展 未来の未来 ⎮ 展覧会レポート ⎮ TOTOギャラリー・間 「1995年からの希望の建築またはフューチャーモンスター」
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缶詰めになって執筆しなければならない週末に、興味深いオープンハウスのお誘いをいくつかいただき、ありがたいのだが・・。
一つだけ、一つだけ、と心に誓って、今日は藤原徹平さん(FUJIWALABO)による渋谷のマンションリノベーションを訪れた。

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分かっているねー! 来てみて良かった、と思った。
もう二度とない珠玉の、あのスケールとディテールを生かしたリノベーションだったからである。

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「あの」というのは、例えば、思い出した順で言うと、1925年にできた「船場ビルディング」(この間、小学1〜3年生と訪れて昔のスケールはこうでね、という話をした[子ども建築ツアーのすすめ])や、1958年竣工の「神奈川県住宅公社ビル」(横浜国立大学の藤岡泰寛さんのご案内で、ちょうど昨年の今ごろに中島直人さんら前現代都市建築研究会の見学会で訪れた[藤岡泰寛「横浜の防火帯建築コンメンタール」])や、1967年に完成した「フンドーキンマンション」(大分の建築家・光浦高史さんに先月お招きいただいた。すごかった[DABURA「フンドーキンマンション家守の日記」])が、まったく異なった形態でありながら、共通に持つアレのこと。



建築計画者・小野田泰明さんは、近刊の『プレ・デザインの思想 — 建築計画実践の11箇条』(TOTO出版)において、日本の集合住宅では、経済的合理化の圧力によって「片廊下型」が標準的なものとなり、空間の「均質化」と「断片化」を招いたことを指摘。「こうした自閉した住居プランは、生活行為の外への染み出しを減少させ、共用空間を最低限の外廊下や階段だけからなるアクセスに特化した痩せた空間におとしめてしまう」と明解に整理してくれている。
今回、藤原徹平さんがリノベーションしたのは、典型的な、民間事業者による築50年の片廊下型の集合住宅だ。
思うに、片廊下型という「モデルプラン」だけでは捉えきれない、スケールの問題というものがあるのではないか。2DKから3DK、3LDKへ。大きなキッチンも、エアコンも、独立性の高い部屋も・・と、取り込んでいって、ある瞬間、片廊下型は質を変えてしまったのでは? スケールが1.5倍、2倍になった段階で、決定的に失われたものがあるのではないか。「あの」や「アレ」なんて、さっき言ったのが、それだ(笑)

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今回リノベーションされたのは、外部を意識せざるを得ない住宅である。外廊下と窓の間に、自分がいる、という実感がある。外部と共に生きる住まい、と言っても良い。
窓を開ければ、外廊下側まで空気が流れる。それを想定して、部屋の間には欄間が設けられている。丁寧にキッチンの方向に風が通るように、欄間が雁行して取り付けられている。和風の意匠が、愛らしい。そっけない網入りの大きなガラス窓も、今はかわいい。外廊下にまで気配や物があふれ出す。そんなスケールである。
一言で言うと、これは「立体長屋」だ。理念による統一よりも、当時の庶民性と即物性に成立の基盤を置いている。

「民間」には、こういう良さもあるんじゃないか。日本の集合住宅の軌跡はともすれば、51C型をはじめとする、公団の仕事で代表されがちだ。小野田さんの論も「51C型は良かったのに」と読めなくもなかったり・・。
もちろん、公団の進取の試行には、私もグッと来る。まだその意味は汲み尽くされていないと思う。同時に、文化住宅や社宅、その他の公社やこうした民間の試みにも、また違った良さがあることを忘れるべきではないだろう。それらに光を当てて、その特有の質を現代化することもまた、今すべき行為ではないか。聞けば、このマンションは、福岡県の筑豊で住宅を供給してきた業者がつくったとのこと・・なるほど。

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今回、藤原徹平さんは、2つ並びの住戸をベランダアクセスで連続させる形でリノベーションを行った。クライアントは片方の住戸にずっと暮らしていた。隣の住戸が売りに出されたので購入して、改修設計を依頼した。
もとから暮らしていた住戸は、建具や間仕切もオリジナルのままにしていた。それに対して、新たに購入した住戸は当初の間仕切などは取り払われていた。両者の特徴を生かして、もとの二住戸がベランダでつながる、新しい空間が生まれている。
新たに付け加えたほうの住戸では、子ども用の下に収納のあるベッドが、部屋と動線を静かに干渉させて、親と子、部屋の内外が分断されない使い勝手を編み出している。
古いマンションのリノベーションというと、間仕切を取っ払ってワンルームに・・となりがちだけれど、それでは不可能な空間だ。だって、この当時の住戸は、たとえワンルームにしたところで、こんなものなんだもの。
このスケールだから、家具が空間を規定し、建物の愛らしいディテールが質を決め、住戸が外部空間を常に意識せざるを得ない。藤原徹平さんの設計は、この良さを改めて認識させるようなプランニングである。安東陽子さんのカーテンは網入りガラスとつかず離れずのデザインであり、岡安泉さんの照明はベタつかない当時の即物性をさらにカッコいいものに思わせて、共にもとからのディテールを引き立てている。

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一言で言えば、このマンションは、家具〜建物〜都市が連続するような、もともとの成り立ちであり、リノベーションがその性格を高めているのだ。小野田泰明さんが、現在の日本に一般的な集合住宅(やその他の建築)において問題視しているのも、この「家具〜建物〜都市」間の分断だろう。それを解消するためには、もっと使い手の実際の考え方、使い方に迫らなければいけない。
今回のリノベーションプロジェクトのクライアントは、いかにも渋谷に住んでいるような、実にスタイリッシュな方だった。風が通ること、家自体が広くはなくても近くには何でもあって便利なこと・・。お話を伺うと、このスケールならではの良さが分かって、使いこなされている。
だから、こんな風に、新たな知性を感じさせるリノベーションが成立したのだなあと思う。
とても現代的で、都市的な住まいだった。

こういうことを設計者はどんどん試みて、市場の中で成立させてほしい。さもないと、正当な顔をした、あの野蛮に駆逐されちゃうから・・。私は言うだけだけど、いくらでも応援する。そして、そこにはきちんと仕事をしている研究者同士の連携も欠かせないだろう。
女性誌「Precious」(小学館)の2013年11月号で、文化欄「Culture University」の「世界的建築家の東京作品巡り」を担当しました。フランク・ロイド・ライトから妹島和世まで、8つの東京建築をピックアップして、モダニズム(という言葉は1回も使っていないけど)の流れの中で誌上講義しました。

世界的建築家の東京作品巡り

数十万、数百万円は当然よ、といったコートやジュエリーがキラキラまばゆい中に、専門の内容をうまく落とし込んでくれて、今や女性誌はそこまでの許容度があるんだなと実感。

「Precious」2013年11月号
Web Preciousより

「空間を楽しめる感性があれば、どこにいても、だれといても、一生楽しい。建築は女性の人生を豊かにするはずです」と言っているのは、嘘ではありません。
「建築とは、人生を重ねた人のほうが楽しめる文化だと私は思います」とは、40代がターゲットの女性誌だからということでなく、本当にそう感じます。

真面目な建築史も、ほっこりした建築史も必要で、さらにラグジュアリーな建築史も無いと、キラキラさを競う新築に対抗できないのではないか? こうした仕事、お待ちしています(笑)
実践女子大学の高田典夫さんにお誘いいただき、生活環境学科で10月2日(水)の2限にお話することに・・照明デザイナー、フォトグラファー、構造エンジニア、まちづくり、大工、多彩な建築家まで、幅広い特別講義。いいなあ、こういう授業。

実践女子大学生活環境学科特別講義ポスター

明日に備えて準備を開始。「なぜ、建築を見る、歩く、語るのか?」というタイトルにしたのは何の気なしにだったが、ちょうど先日、視察してきたOpen House London 2013(9月21日・22日)の話で締められることに気付いて、がぜん楽しくなる。
甲斐みのりさんとの共著『東京建築 みる・あるく・かたる』(京阪神エルマガジン社)という具体的な物でがつんと始め、中間は建築(「男性」的な単体の「建物」)の話と見せかけて、最後はOpen House Londonの見聞記で「都市」や「女性」という伏線がうまく回収できるよと。

Open House Londonは1992年に、一般の人々と建築の専門家の間が隔てられていることに素朴な疑問を抱いたMs Victoria Thorntonが、徒手空拳で実行。21年後の今ではロンドンが2日間湧くような、一大イベントとして定着しました。
今年見に行ったら、一眼レフを持った建築カメラ女子の姿も目について、いずこも変わらない(笑)
名作だけ、あるいはモダニズムだけとか様式建築だけにならない、ゆるさを保つMs Victoria Thorntonの姿勢が、この雰囲気を生み出しているんだなぁと理解。『東京建築 みる・あるく・かたる』をまとめる時にも意識したことだったので、嬉しかった。

Open House London: The 'mad' idea that went global : BBC News
光嶋裕介さんの『建築武者修行―放課後のベルリン』(イースト・プレス)を読了する。昨年の『みんなの家。建築家一年生の初仕事』(アルテスパブリッシング)に続く近刊だ。
扱われているのはベルリンだけでなく、パリ、バルセロナ、ヴェネツィア・・。柔らかい筆致に身を委ねながら、さまざまな都市や建築家の本質が伝わってくる。それが自分にとってはどう映るのか、確かめに旅に出たくなる。
建築に興味を持っていて、綺麗な写真集の後に何を読めばいいか迷っているような一般の方におすすめできる。もちろん、私も確かめに旅に出たくなったから、学生や専門家が楽しめることは言うまでも無い。こんな視線を持ち、書中に巧みなスケッチを挿入する光嶋裕介という建築家への興味も、喚起させられるだろう。ただ、そうであっても、建築家の自己セールスが前面に出ていない。まだ若いのに・・。そんなことも、万人向けの良書として成立している理由なのだろう。
光嶋さんがこれまでに設計した幾つかの住宅だけで、新しい建築家の出現!なんて喋々しては軽薄に過ぎるはず。ただ、確実に言える。待ち望まれていた新しい「書き手」が建築界に現れたのだと。


SPACESPACEの岸上さんにご案内いただいて、大阪市立住まいのミュージアムで開催されている「住まいをデザインする顔〜関西30代の仕事〜」展を見て、その後でがっつり食べたくなったので、SPACESPACEの展示で紹介されていた天神橋筋六丁目の「中華食堂 十八番」に入ると、まさに早い旨い安い多いの四拍子で、満足!

と、そんな情報も得られるほどに、出展者の展示が個別的。内容だけでなく、手法もそれぞれの個性を表しているから、楽しみは深い。
ただ、あまりにキュレーションが無くて、それぞれの出展者が届けようと狙った一般の方は、かえって戸惑ってしまうかもしれない。その展示の世界に逐一入り込まねばならないので。

ともあれ、あまりない好機。関西の建築関係者・学生は目にして欲しい。開催は6月30日(日)まで。6月23日(日)には、木原千利+竹原義二+吉村篤一+出展者によるトークセッション(要申込、無料)も行われる。
『やわらかい建築の発想』(フィルムアート社)をご恵投いただきました。

この本は30代前半の建築家たちが、今さら聞けない《最初の問い》に真面目に答えていく本です。
質問は「建築に必要なスキルとは何ですか?」、「建築の世界ではどのような人材が求められているのですか?」といったものであり、それに答える執筆者たちは、いえつく(東京理科大学建築学科卒業のクリエーターグループ)、猪熊純さん、大西麻貴さん、木内俊克さん、田根剛さん、栃澤麻利さん、成瀬友梨さん、平瀬有人さん、藤原徹平さん。ありそうで無かった本です。

この本にどんな効能があるか?
まずは建築の勉強や設計演習が本格的に始まって、何から読んで良いか分からない学生におすすめです。思考の手がかりが大いに得られるでしょう。それだけではない。買って、書棚に並べておけば、4年生、大学院生、社会人と折に触れて再読することになり、その時には以前には気づかなかった解答の深みを発見するはず。
《最初の問い》というのは往々にして、《最後の、究極の問い》になります。それを通じて、各々の建築観が垣間見えるのも興味深い。
例えば、猪熊純さんの言葉はきちんと論理的で射程が長く、平瀬有人さんは細部を思考するところから大きく拡げて世界を捉えようとする。藤原徹平さんは試験的(動的)なことにおいて内容も言葉遣いも一貫しています。執筆者の中で私がお会いしたことが無いのは、いえつくグループを除くと、田根剛さんですが、体感的で、他人に伝えようという熱に満ちて、大きな言葉が、少し前の世代まで無かった感じで印象的でした・・このあたりは私的な、穿った見方ですが。

いずれにせよ、こうして素朴な質問を問い続けることが、建築であり、建築家なのだというメッセージが本書全体を流れています。それが一番の教えでしょう。