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プレハブ・ハイブリッド01

ライターの渡部千春さん大城譲司さん、磯達雄さん、編集者の宮沢洋さんと、目黒で豚カツを食べながら飲んでいたら、秋田の角館の話になった。
磯さん+宮沢さんによる「建築巡礼 ポストモダン編」(「日経アーキテクチュア」連載)。第2回の2008/10/27号では大江宏の角館伝承館(現・角館樺細工伝承館)を採り上げていたが、その取材に渡部さんも一緒に行ったという。

僕が角館に向かう途中では、近くの集落で茅葺き民家と戦後の住宅を合わせた、ちょうど1本の線を境にPhotoshopで合成したような建物を見つけましてね・・・と、以前の記事「民家ハイブリッド」に書いた出来事を久しぶりに思い出して、はたと気づいた。続きの話があったことに。

プレハブ・ハイブリッド02

それがこれである。寄り道の遅れを取り戻すべく、車をスタートさせてすぐ、視界の片隅に何かがよぎった。Uターンして確認すると、今度はハイブリッドなプレハブ小屋があった。
簡単で安価な軽量鉄骨製ユニットハウスとして全国に普及した(株)ナガワの「スーパーハウス」。ここでは、本来の陸屋根が勾配屋根に改造されている。

プレハブ・ハイブリッド03

近づけば、杉板を使ったていねいな仕事。換気口の納まりも味わい深く、ユニバーサルなものが、ローカルな存在に変容している。
成り立ちとしては、先の民家とは新旧の順番が逆だが、「木」の力を実感させられる。形式を超えた、融通無碍な接着力。

風土に養われたそれを、大江宏は「伝統」と呼んだ。形式ではないのである。「近代建築」という形式を超えるものとして、大江は「伝統」を再理解していった。
そうして生まれたのが1978年の「角館伝承館」である。これらをすべて秋田の道行きが教えてくれたのだった。

角館伝承館01
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外観しか望めないが、外観だけでもその異形が知れる。周囲にベランダをまわし、木造のようなプロポーションの柱で支える。知事の公館がベランダコロニアルの「擬洋風建築」なのである。まるで明治10年代のような。
一方で、この建物の隣には書院造りの和室棟が連なる。明治20年代から昭和戦前期まで、公的な立場を持つ日本人の住まいとしてあった「和洋並列型」にならったようでもある。
完成は1974年。この年の『都市住宅』の年間テーマは「保存の経済学」だった。10月には新建築臨時増刊『日本近代建築史再考―虚構の崩壊』が出ている。戦前の「様式建築」再評価の時代だったわけだが、それは通常、最先端で活躍している建築家にとっては反「近代建築」の意を強くさせるものであったとしても、デザインの参照源ではなかったわけであり、そんな気運とシンクロして新作をつくった建築家としては大江宏以外、ちょっと思いつかない。この年にリノベーションの先駆例である倉敷アイビースクエアを手がけた浦辺鎮太郎が大佛次郎記念館(1978)や倉敷新市庁舎(1980)のようなスタイルに走るのは、もう少し後のことであるし。
公館の内部を作品集から窺うと、階段の様式的な手摺子や床のパターン柄など、キッチュすれすれにも見える。しかし、力技で素材と空間をまとめ上げているに違いない。前年に完成した大江宏の東京さぬき倶楽部(東京都港区、1973)を訪れれば、そうした推測も容易だ。

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