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2009.03.21
後藤治さんが明かす「文化財保護法の失敗」
昨日の記事に載せた3月22日のシンポジウム「東京・大阪中央郵便局の文化財的価値」の最終版プログラムを見ると、3月11日の時点で「調整中」だった文部科学省からの参加は結局、無い模様。その直後に「登録有形文化財」での急転直下の幕引きに手を貸したような報道がなされたわけだが、そうでは無いに違いない。その説明をお聞ききしたかったので残念だ。
文部科学省(当時・文化庁)在籍時に「登録有形文化財」の設立に深く関わった工学院大学教授の後藤治さんが、昨年『都市の記憶を失う前に 建築保存待ったなし!』(白揚社)という本を上梓した。後藤さんらしく文体は簡潔で、構成は明瞭だ。このように読みやすく、内容の詰まった良書を新書版で出す。多くの人に考えてもらいたいという思いが伝わってくる。
第3章のタイトルは「文化財保護法の失敗」という少しショッキングなもの。同章でこんなことを書いている。「1980年代になっても、国宝・重要文化財に指定される建造物の大半は、寺社の建物だったのである」。民活によって都市の大改造が進んだ重要な時期に、文部科学省(文化庁)に都市への意識が欠如したこと、昭和を含む近代建築の保護措置が進展しなかったことが、厳しい現状を招いたと言うのだ。
様々な失敗があるなかで、文化財保護における最大の失敗のひとつは、この時期に「都市」という視点を欠いていたことではないかと思う。〈中略〉
危機的な状況の文化財を救うという点でいえば、大都市にあるものほど、保存に対する優先順位は高いはずであり、保存し継承していくための工夫が必要だったはずである。
ところが実際に、大都市圏での保存が優先的に行われ、かつ、そのために特別な工夫がなされた事実はない。例えば、東京都内や大阪市内には、伝建地区は現在も一箇所も存在しない。長い歴史をもつ先進諸国の首都のなかで、保存地区が存在しないのは東京ぐらいのものである。
後藤治『都市の記憶を失う前に 建築保存待ったなし!』(白揚社、2008)pp.128-129
それが今の「弱腰」の先例をつくり、いまだに「先例」を作り続けている。文面ではそこまで言っていないが、忸怩たる思いは容易に伝わってくる。
五十嵐敬喜・小川明雄著『「都市再生」を問う』(岩波新書、2003)によると、不動産業界は中曽根「民活」の時期には既に「国鉄本社や中央郵便局を含めた形で東京駅周辺地区を再開発する」という意志を表明していました。さらに、都市再生特別措置法の施行後に積み重ねられた既成事実、大都市圏における「都市再生緊急整備地域」の広がりという現実の前では、東京に「保存地区が存在」しうると考えることさえ難しくなっています。これは兼松紘一郎先生のブログに先程投稿したコメントでも言ったことですが、中郵をめぐる一連の新聞報道に目を通していると、経営者団体代表などの談話や経済担当記者の記事からは、「都市再生特別措置法が期限を迎えるまではやりたい放題、なんでもありのはずなのに、丸の内のような緊急整備地域で文化財保護論議などをもちだして妨害するのはけしからん」というような本音を読み取ることができます。
約30%をとどめる「剥製」でも約15%しか残らない「食べ残しの焼き鳥」よりはましで、日本郵政も譲歩の姿勢を示したのだ、という見方もあるようです。しかし、日本建築学会は吉田鉄郎の代表作を「戦前の日本における近代建築の中でももっとも優れた水準の作例」と評価し、その「建築的価値は、外観だけではなく、平面や構造から意匠細部までを含めた、建物全体に」あり、「かけがえのない文化遺産と認識」しているのですから、そのかぎりでは「トキを焼き鳥にするようなもの」というよりもむしろ「デッサウのバウハウス校舎を破壊するようなもの」で「ナチにさえできなかった蛮行(穏当でない表現かも知れませんが)」といえるかも知れません。「正面のみを残すという珍妙な残骸と化している」(松原隆一郎氏)日本工業倶楽部会館に続き、「登録有形文化財」に指定された「剥製」を超高層が垂直に貫通して聳える光景が、日本の大都市圏における「文化財保護」の水準を世界に示すことになるとしたら悲しいことです。
約30%をとどめる「剥製」でも約15%しか残らない「食べ残しの焼き鳥」よりはましで、日本郵政も譲歩の姿勢を示したのだ、という見方もあるようです。しかし、日本建築学会は吉田鉄郎の代表作を「戦前の日本における近代建築の中でももっとも優れた水準の作例」と評価し、その「建築的価値は、外観だけではなく、平面や構造から意匠細部までを含めた、建物全体に」あり、「かけがえのない文化遺産と認識」しているのですから、そのかぎりでは「トキを焼き鳥にするようなもの」というよりもむしろ「デッサウのバウハウス校舎を破壊するようなもの」で「ナチにさえできなかった蛮行(穏当でない表現かも知れませんが)」といえるかも知れません。「正面のみを残すという珍妙な残骸と化している」(松原隆一郎氏)日本工業倶楽部会館に続き、「登録有形文化財」に指定された「剥製」を超高層が垂直に貫通して聳える光景が、日本の大都市圏における「文化財保護」の水準を世界に示すことになるとしたら悲しいことです。
2009/03/21 Sat 09:45 URL [ Edit ]
倉方俊輔
今日(3/22)の緊急シンポジウム「東京・大阪中央郵便局の文化財的価値」でも、五十嵐敬喜さんが「大丸有」勢力の圧倒的な包囲網を話されて説得力がありました。確かに中央郵便局の進め方は法律には何ら抵触していません。そして、朝日新聞社も読売新聞社も産経新聞社もその中にあるわけですから・・・(以下略)。
同時に保存側の言い分に対しても「モダニズム建築の好例」というだけでは市民に届かないというようなこともおっしゃっていた。これももっともで、自分の常識が届かない相手にどう訴えるかという戦術と話術は、建築界も五十嵐さんのような法律家(なにせ戦術と話術が勝負ですから)に学ぶ必要がある。そんなことを思いながら帰ってきました。
コメントありがとうございます。
同時に保存側の言い分に対しても「モダニズム建築の好例」というだけでは市民に届かないというようなこともおっしゃっていた。これももっともで、自分の常識が届かない相手にどう訴えるかという戦術と話術は、建築界も五十嵐さんのような法律家(なにせ戦術と話術が勝負ですから)に学ぶ必要がある。そんなことを思いながら帰ってきました。
コメントありがとうございます。
既にご存知のことと思いますがフランスでもこんな状況になっているのですね:
http://www.archi.fr/DOCOMOMO-FR/dossier-marine-nationale.htm
http://www.archi.fr/DOCOMOMO-FR/lods-grandmare.pdf
非常にショックを受けています。
http://www.archi.fr/DOCOMOMO-FR/dossier-marine-nationale.htm
http://www.archi.fr/DOCOMOMO-FR/lods-grandmare.pdf
非常にショックを受けています。
2009/03/29 Sun 21:17 URL [ Edit ]
倉方俊輔
ペレ兄弟とマルセル・ロッズの建物が…。知りませんでした。リンクありがとうございます。
内容とは直接の関係はないのですが、読んでいると「démolition」のほうが、「取り壊し」よりも文化財に対する正当な表現だと感じました。「取り壊し」というと「取り替え」に通じる穏やかな響きですが、実際は時に「爆破」までして「粉砕」するという事態なのですから。
とはいえ「バクハ」や「フンサイ」を叫べば人はすっと去り、「再生」や「継承」の耳優しさを求めるこの日本で、どのように斗うべきなんだろう。ついつい真面目なことを書いてしまいました。
内容とは直接の関係はないのですが、読んでいると「démolition」のほうが、「取り壊し」よりも文化財に対する正当な表現だと感じました。「取り壊し」というと「取り替え」に通じる穏やかな響きですが、実際は時に「爆破」までして「粉砕」するという事態なのですから。
とはいえ「バクハ」や「フンサイ」を叫べば人はすっと去り、「再生」や「継承」の耳優しさを求めるこの日本で、どのように斗うべきなんだろう。ついつい真面目なことを書いてしまいました。
ペレ兄弟の建物については、三月19日付けリベラシオンによると、知事が解体許可に署名し、23日付けによると現場に解体告示が貼られたそうです:
http://www.liberation.fr/culture/0101556539-le-site-de-la-marine-a-balard-va-etre-demoli
http://www.liberation.fr/culture/0101557289-balard-au-bulldozer
いまのところGoogle Actualités ではこれ以上新しいことは分かりません。23日からもう一週間以上が過ぎてしまいました。絶望的な状況のようにみえます。1965年にマルローによって文化財指定された部分だけ残せばよいという発想で建物群を一体としてとらえず、ペレ兄弟の建築の歴史的価値も十分検討せずにことを進めてきた国防省を始めとする当事者の姿勢は日本郵政を多少とも連想させますが、23日付けの記事を読むかぎりでは、この事例でのフランス文化省は破壊の共犯者のようにさえみえます。こんなありさまで「二十世紀文化遺産保護政策」とはふざけています。ジョゼフ・アブラム氏の憤激は当然です。文中の "En droit, rien n’interdit la démolition."にも打ちのめされてしまいます。フランスのような文化財保護の分野で進んでいると考えられている国で大建築家のしかも国家に属する作品を平然と破壊するような実例は、日本での文化財保護活動にも否定的に影響するおそれがあります。公共事業の側面もあるにせよこれはどちらかというと経済よりも政治的動機にもとづく文化財破壊と考えられ、サルコジ氏は la Grande Cité de la Défense nationale の実現によって自分の名前を後世に残したいのでしょうが、許せない蛮行だとおもいます。
http://www.liberation.fr/culture/0101556539-le-site-de-la-marine-a-balard-va-etre-demoli
http://www.liberation.fr/culture/0101557289-balard-au-bulldozer
いまのところGoogle Actualités ではこれ以上新しいことは分かりません。23日からもう一週間以上が過ぎてしまいました。絶望的な状況のようにみえます。1965年にマルローによって文化財指定された部分だけ残せばよいという発想で建物群を一体としてとらえず、ペレ兄弟の建築の歴史的価値も十分検討せずにことを進めてきた国防省を始めとする当事者の姿勢は日本郵政を多少とも連想させますが、23日付けの記事を読むかぎりでは、この事例でのフランス文化省は破壊の共犯者のようにさえみえます。こんなありさまで「二十世紀文化遺産保護政策」とはふざけています。ジョゼフ・アブラム氏の憤激は当然です。文中の "En droit, rien n’interdit la démolition."にも打ちのめされてしまいます。フランスのような文化財保護の分野で進んでいると考えられている国で大建築家のしかも国家に属する作品を平然と破壊するような実例は、日本での文化財保護活動にも否定的に影響するおそれがあります。公共事業の側面もあるにせよこれはどちらかというと経済よりも政治的動機にもとづく文化財破壊と考えられ、サルコジ氏は la Grande Cité de la Défense nationale の実現によって自分の名前を後世に残したいのでしょうが、許せない蛮行だとおもいます。
2009/03/31 Tue 07:12 URL [ Edit ]
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